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(ずっとつけてきたのかな……)
追い打ちをかけるように、葵依は声を掛けられた。
「お金は用意した?」
と一木は冷たく言い放つ。その問いに、葵依は力なく「通帳が盗まれた」と答えた。
「そんな嘘、誰が信じると思ってるの」
と、一木は苛立ちを隠そうともせず吐き捨てた。それに対して、葵依は乾いた笑みを浮かべる。嘘なら良かったのに、そう思いながら微かに笑みを零したことが一木の癇に障ったらしい。一木は顔を真っ赤にし詰め寄ってきた。
「払うって言ったくせに、今更払わないつもり!? 拡散するから!」
「本当に盗まれたの!」
葵依は反射的に言い返した。予想外の反応に一木は一瞬、驚いたように目を丸くするが、その様子に気付かず葵依は苦しそうに息を吸い込み、眉間に皺を寄せて言葉を続けた。
「私が一生懸命働いて貯めたアルバイト代、ママの生命保険、私のために貯めてくれたお金が入った通帳がないの。──印鑑も、盗まれた」
「でたらめ言わないで」
「でたらめじゃないっ! 家の中を探してもなかっ……」
言いかけて葵依は急に黙り込んだ。何かに気付いたかのように目を大きく見開き、呆然とした様子を見せる。
「勝手に引き落としできるんじゃ……」
嫌な想像が頭を過り、葵依は青ざめた。銀行に急いで連絡しなければと考え、ポケットの中の携帯に手を伸ばしかけたが、ふと気付いた。
「ぎ、銀行はもう閉まってる……ど、どうしたらいいかな?」
と、一木に助けを求めるような目を向ける。自分を脅している一木にも助けを求めるほど、葵依は藁にも縋るほど思い詰めていた。
「し、知らないしっ! っていうか、しらばっくれないでよ!」
「しらばっくれてなんていない! 勝手に引き落とされせないように口座を凍結したいのっ」
葵依の縋るような視線に一木は一瞬たじろぐが、すぐに苛立ったように言い返す。
「24時間受付のコールセンター的なのが普通あるでしょ……」
「あるっ。調べて電話をするね」
その言葉に少し安心した葵依は、ポケットから携帯を取り出そうとしたが、次の瞬間、一木の手が葵依の手を払った。その勢いで携帯が地面に落ち、ガシャリと音を立てて壊れた。
「警察に電話をする気!?」
一木は、携帯を拾おうとした葵依の手首を掴んで、強引に引き寄せた。逃げ場を失った葵依は、ブロック塀に押し付けられ、睨みつけられた。
「警察には知らせない! 私はただコールセンターに電話して口座を凍結したいだけ!」
「嘘は吐くな! 金を払わずに警察に言う気でしょ!」
一木の異常なほどの警察への警戒心に疑問を感じつつも、葵依は必死に警察に通報しないことを訴えた。しかし一木は聞く耳を持たず、肩を掴んで力強く押し付ける。その痛みに葵依は小さく呻いた。
「金を払え!」
「だからっ──」
「通帳がないの!」と叫んだその瞬間、突然耳を裂くようなブレーキ音が響き渡った。
突然の音に驚いて目を閉じた葵依の前で、一木が振り返ると、黒いワゴン車が止まり、助手席のドアが勢いよく開いた。全身黒ずくめの人物が現れ、伸ばされた手が視界に飛び込んできた。
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