身内 Ⅲ

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身内 Ⅲ

 食堂での夕餉が酒の席の様相を見せ始めた頃、よりくつろげる談話室へと場所が移された。  いつも以上に長丁場である夕餉。順に配される食事ではないため、惰性のような形になってしまっているのだ。しかし、砕けた雰囲気に満ちたそれは、苦痛ではなく、むしろとても楽しく過ごせている。  それもこれも、ビルネンベルクとアルティミシオンという立場ある年長者らがそうした場にしようと、砕けた会話ばかりをしてくれているからかもしれない。  内々の話になりそうなところを、蚊帳の外に置かれがちになりかけるキルシェにわざわざ会話を振ってくれるあたりがそうしたことの現れだろう。  ほぼ口を挟むことなく、彼らのやり取りを見守ることが多いとはいえ、お陰で疎外感なく彼らのやり取りを笑いを零しながらキルシェは混ぜてもらっていた。 「__キルシェ」  ふわふわ、とした心地に浸っていると、軽く身体がゆすられてキルシェは目を開ける。  長椅子の隣に座るリュディガーが、揺すったのだとわかるものの、一同の視線がすべて向けられているのが疑問でならない。  それを見、くつり、と笑ったのは一人がけのソファーに腰をすえ、肘掛けに重心を寄せていたアルティミシオンだった。 「日も跨いだ。キルシェ嬢は、そろそろお休みになられたほうがいいのではないか?」  え、と驚けば、ビルネンベルクが部屋の時計を視線で示すので、キルシェはそちらを見る。  確かに、針は日を跨いでしばらく経ったことを示していた。  __いつの間に……。  この家の時計は、この談話室だけでなく吹き抜けの広間にも、大きな時計がある。それは仕掛け時計で、刻を告げる鐘がなる先駆的なものだ。それを聞き逃すとは、にわかには信じがたく、キルシェは驚きを隠せない。 「まるで気づきませんでした……」 「君、だいぶ酒が回っているだろう。さっきから反応がぼんやりしている」 「そうですか……?」 「実際、今、うつらうつらしていた」  アルティミシオンの言葉に頷いたのは、卓を挟んだ反対側に鎮座するビルネンベルクだった。 「いやぁ、仲睦まじさを見せつけられているようで、それはそれでいいものでしたよ」  笑いを含んだ声で言うのは、暖炉脇の背もたれのない椅子__否、足乗せ台に腰掛けるライナルト。  彼は何故笑っているのか__キルシェが怪訝にしていると、すぐそばで咳払いするのはリュディガーだった。 「……だいぶ、回っていらっしゃるようで」  ライナルトは今度は肩をすくめて苦笑を浮かべた。 「雪の中、急かすように私のお使いをさせてしまったから、疲れていたのだろう。酒の回りも早いというもの」 「たしかに。加えて言えば、泣く子も黙る大ビルネンベルク公がいる席です。緊張するな、という方が無理でしょう。気疲れもあったと思いますよ。__ハナトリンデン卿でさえ、緊張する席でしょうからね」 「我々に合わせすぎたのではないのか?」 「いや、我々、というよりも大旦那様にでしょう」  なんだと、と片眉をあげるアルティミシオンはライナルトを軽く()めつける。その視線には、どちらかといえば、冗談めかしたものがにじみ出ていた。 「__自分も、そう思います」  そこへリュディガーがさらに続けば、アルティミシオンは反対側の肘掛けに体重を移動して、肩をすくめて酒盃を一気に煽ってみせた。 「皆さん、お強いんですね……」 「私はさておき、控えめに言って、ビルネンベルクの方々は、皆そろいもそろって酒豪ですからね」 「私はまだ弱いほうだよ、ライナルト」 「よくおっしゃいます」 「あ、君、以前のあれをまだ根に持っているね」  くつくつ、とビルネンベルクが言った言葉を、アルティミシオンの耳がぴくり、と捉えた。 「以前のあれとは?」 「あぁ、お耳にいれておりませんでしたか。実は、帝都に戻って__」 「先生」  やや強く止めに入るリュディガーに、ビルネンベルクは膝を打って笑う。 「まぁ、それはさておき……。キルシェ、眠気もあるだろう、部屋で休むといいよ。我々にこれ以上付き合うことはしないでいい」  ですが、と困惑して一同の顔を見れば、皆一様に頷いて見せる。 「__なにも無礼だとは思うまいよ。気負わずに」  アルティミシオンが至極穏やかな顔と声で言う。それは十二分に背中を押してくれた。 「……では、先に部屋へ下がらせていただきます」 「そうするといい」  リュディガー、とアルティミシオンが続けて声をかける隙があらばこそ、リュディガーはすでに席を立ち上がっていたのだが、同時にキルシェの身体は何故かリュディガー側にぐらり、と揺らぐので思わず座面に手をついて支える。  どうやら、いくらか体を寄せていたらしい。  大きな手を差し伸べられて、キルシェが手を乗せると引かれるようにして立たせられた。 途端、ふわり、とした感覚が勝って均衡がとりにくく、たたらを踏みそうになってリュディガーがそっと手を添えて支える。 「送ろう」 「いえ、大丈夫です。リュディガーは、このまま……」 「いやいや、ご冗談でしょう、お嬢様。そんな状態なのを自覚ないのであれば、なおさら」  さも愉快、とライナルトが笑うのを困惑していれば、ビルネンベルクが口を開く。 「ライナルトの言う通りだよ、キルシェ。階段から転げ落ちても可笑しくはない」  穏やかな笑みをたたえた顔で言うビルネンベルクであるが、その言葉は真剣なもの。であれば、そうなのだろうか__と、キルシェが支えているリュディガーを振り仰ぐ。  リュディガーは、深く頷いて見せた。彼の顔はより真剣でかたいもので、その表情を見るに譲らない意志が感じ取れて、キルシェは困ったように笑うしかなかった。 「……わかりました。では、お願いします」  キルシェは一度リュディガーから身を離して、居住まいをただす。 「今日まで、皆様には多大な__」 「キルシェ嬢」  口上を遮ったのは、アルティミシオンの笑いを含んだ声だった。 「__よい」  ただその一言。  たった一言は、あまりにも温かく、安心感を抱かせる。  キルシェは驚きとともに声をつまらせてしまった。 「後手後手に回ってしまわざるをえなかったことがある。……それに、このドゥーヌミオンのわがままにかなり振り回されているだろう。それで帳消しだ」  うむ、と視線を向けた先のビルネンベルクは深く首肯する。 「__むしろ、キルシェのほうが割が合わないのだよ」 「ありがとう、ございます……本当に」  過大なほどの温情に、ただただ胸が詰まる。  丁寧に淑女然とした礼をとるのだが、いくらかふらついてしまって、リュディガーがつぶさに支えてくれ、その様を彼らに笑われる。 「__ほら。自覚したかい?」  はい、とビルネンベルクへキルシェは苦笑を返した。  ひとつ咳払いして、キルシェはリュディガーに支えてもらいながら、皆にむかってできる限りの丁寧な礼をとる。 「それでは、おやすみなさい」  皆から口々に、挨拶と笑顔をもらい、キルシェは支えてくれているリュディガーを見上げる。  リュディガーは応じるように手を差し出すので、それに手を置くと、もう一方の身体を支えていた大きな手が背中に改めて添えられた。  そして、その背中に添えられた手に促されるようにしてキルシェは談話室を後にした。
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