73 S

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73 S

「今日もめっちゃ可愛いな、詩音」  こそっとそう告げた匡也が「行こうか」って歩き始める。  いつもは降りる階段を昇って、行ったことのない匡也の家への電車に乗った。  色んなドキドキが混ざってて身体がパンクしそうだ。  揺れる車内で匡也にぎゅうっとしがみついて唇を噛んだ。 「次降りるぞ」って言われて、うん、て頷く。  もうちょっとで匡也の家に着くんだ。  降りたことのない駅。 「こっちだよ」って肩を抱かれて構内を歩いて、またあたふたしながら改札を抜けた。 「うちも駅から10分くらいだから」 「…うん」  うちの駅前を通ってるのとおんなじバスが前を通り過ぎて行った。  ドラッグストアやスーパーの前を通って、ゆるい傾斜を登っていく。 「そこの公園によく猫がいるんだけど…」  坂の途中の、ブランコと鉄棒のある小さな公園を匡也が指差した。 「茶色いふわふわのやつがさ、ゴロゴロしてたりすんだけど今日は陽が出てねぇからなぁ、って、あ、いた」 「え、え、え、どこ?」 「ほら、そこの木の下」  匡也は少し屈んで、オレと同じ目線で指を差してくれる。その指の先に茶色いネコが座っていた。 「うわー、可愛い。ほんとふわふわ」 「近くで見てくか?」  匡也が屈んだままだから顔が近い。 「ん?」ってオレを見た匡也の口角がクッと上がった。  早くその唇とキスがしたい 「…ううん。いい」  コートを掴んでる手で、もっと匡也を引き寄せて、同じ高さにある目をじっと見つめた。 「早く…匡也ん家連れてって…」  匡也の目が驚いたように見開かれて、そしてその目元が赤く色付いていく。 「…や…っべ、ちょっと待…っ」  片手で顔を覆った匡也が、はぁー…っと大きなため息をついた。 「…ったく、お前はさぁ」  ぐいっと強く抱き寄せられて、肩を抱かれている、というより片腕で抱きしめられてる感じになって、ますますドキドキする。 「こんなとこで俺を煽るなよ」  顔にかかる息が熱い。 「ギリギリなんだぞ?こっちは」  睨みつけるように覗き込まれて唇を噛んだ。 「お前可愛すぎんだよ、マジで。…行くぞ」  再び歩き始めた匡也の歩調が少し速くなった。匡也のコートをしっかり握って一生懸命付いていく。 「俺ん家、あれの5階」  匡也が目の前に見えてきたマンションを指差した。  ドキドキ ドキドキ ドキドキ  寒いはずなのに手のひらに汗が滲んでくる。  体温がどんどん上がっていってる気がした。  マンションのエントランスを通り抜けてエレベーターに乗った。  他には誰もいなかったけど、ドアにガラス窓があるタイプだから2人っきりになったとは言えなくてもどかしい。  …オレだって…  匡也が手の中で弄んでる鍵の音がチャリチャリ鳴ってる。  早く早く  エレベーターが止まった。  ドアが開いて、匡也がオレを引きずる勢いでエレベーターを下りて大股で歩いて行くから、付いていくのが大変だ。  1つ、2つ、ドアの前を通り過ぎて、奥から2軒目のドアの前で止まった匡也が、ダブルロックをガチャガチャと開けていく。  もうドキドキし過ぎて頭がわんわんいってる。  大きな手がドアハンドルをぐいっと引いて、オレは匡也に片腕で抱えられて中に入った。
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