お姫様と缶ビール

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 八年前、浮気を告白した浩二さんは「別れてくれ」と言った。結婚して十七年が経った冬の日だった。律はもう高校生で、浩二さんは四十二歳だった。  この人はいい歳をして何を言っているのだろうと、怒りよりも不思議な気持ちが真っ先に浮かんでいた。  私はまるで物わかりのいい振りをして、胸中に渦巻く全ての感情に無視を決め込み冷めた声を出した。 「恋人が出来たからって父親としての責任を放棄するのは違うでしょう」  取り乱さない私を浩二さんは不気味そうに、それでいて少し寂しそうにみやった。私が勘づいていないとでも思っていたのだとしたら、おめでたい人だ。 「養育費なら出すよ。律が大学へ行くというなら学費も出す。君にはもちろん慰謝料も払う」  弁護士をしている浩二さんの口から金銭の話を聞くと、事務的で酷く腹が立った。 「そういうことじゃない。私が言ってるのは、家族の形の話でしょ。離婚だなんて、思春期の娘にどんな影響があるのか少し考えたら分かることじゃない。あなたは仕事でも少しは見てきたんじゃないの」  自分に非がある事を大々的に認めているらしい浩二さんは、私の言葉に押し黙ってしまった。  仕事ではあんなに弁が立つのに、自分の弁護は案外下手なのね。言ってやりたいけれど、口にしたら私の方が醜くなる気がした。 「じゃあこうしましょう。律が独り立ちするまではこのまま、きちんと父親としての役割を全うして。その後なら、好きにしてくれていいわ」  この提案に浩二さんは中々首を縦に振らず、話し合いは長引くことになった。どうやらその新しい恋人と相談をしているようで、私はたった一人で戦っているのに最低な奴らだと思った。  律の幸せと日常を私が守るのだ。私は心底、使命感に燃えていた。それ以外の考えは浮かばなかった。浅はかな逃げ道だったと気が付いたのはずっと後になってから。浩二さんがいい歳なら、私だって間違いなくいい歳なのに。  結局その後、浩二さん達は私の提案を受け入れた。私たちは律が大学を卒業するまで不自然の無い夫婦関係を演じ続けた。浩二さんは元々仕事が忙しかったから、帰りが遅い日や泊まりがけの日が増えても律は勘ぐったりしなかった。  律は大学を卒業と同時に家を出て、私たちの間には同居する理由が無くなった。ごく当たり前のように別居が始まり、ついに二ヶ月前、浩二さんは綺麗さっぱり引っ越してしまった。それはもう、ものの見事に痕跡という痕跡を消し去って、家中から彼のものが消えてしまった。  私はと言うと二ヶ月経った今も売り払う予定の一戸建てに居座り続けている。荷物を片付けるどころか、むしろ以前よりも散らかした状態で。
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