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私は街に唯一ある総合病院に立ち寄った。少なくとも、2日に一回。日々の感謝を忘れないために。頂きますやありがとうと同じように習慣として。
「お花、ここ置いておくね」
峯崎 和代 と書いてある病室。私の唯一の家族である祖母の病室。
祖母はいつも誰よりも大きな暖色で部屋を満たしていた。今日は濃いめのピンク。
「いつもありがとうね。学校は楽しいかい? 美優ちゃん」
ゆっくり発せられる言葉は枯れているけど、太陽の様に明るい。黄色い笑顔に、こっちまでポカポカする。
「うん。お陰様で。体調は平気?」
「大分良くなったよ。美優ちゃんがこうしてきてくれるからパワーもらってるよ。それなのに隆太はずーっと来んでね。ほんと誰の子なんだか」
祖母は退院できる気配がないくらいに体が衰えているのになぜかいつも具合が良くなっているという嘘をつく。加えて表情も偽る。それが私にとって不安で仕方なかった。昨日よりは良くなった。バレバレでもそう言い張る。私には真似できない芸当だ。
「お父さんも忙しいんだよ」
「そうかねぇ」
自分が入院しているというのに、一向に顔を見せにこない子供。親ならそりゃ腹が立つに決まっている。それでも、文句は一言で終わり。それ以上は言わない。お婆ちゃんは優しすぎる。
「くそー。先越されたか。部活終わってから、急いできたのによぉ。せこいぞ。美優も部活やれよ!」
「なんでよ」
バレーの練習着姿で病室に来たのは翔。いつもいつも真っ赤で真っ直ぐな色。私のお婆ちゃんには中学の頃からお世話になっていたんだとか。何事にも一生懸命で、私ですら、宿題とかでお見舞いに行けなかったりするのに、翔は毎日来ている。病院の面会時間が終わっていても、忍びこんで顔を見せに来るいわゆるヤバいやつ。でも、そんなところも全部ひっくるめて格好いいとか思う人も多いんだそう。そのうちの一人が、瀬奈。
「そうだ。ほら、見舞いにフルーツ持ってきたからみんなで食おうぜ」
そうして翔は生身の林檎をテーブルの上に数個置く。
「そういうのはカゴとかに入れてくるでしょ普通」
「ちまちますんなって。味も気持ちも変わらないだろ。ほら、美優切ってくれ」
果物包丁まで持ってきて、完全に私にやらせる気満々だったようだ。私は言われた通り林檎の皮をくるくると剥く。
「美優昔っから料理だけは得意だもんな」
「だけは余計よ」
「こっち来てさらに腕が爆上がりしてるからビビった」
「翔に言われたって嬉しくないし」
なんか照れ臭くて、外方を向いて、ひたすら剥き続けた。
「だったら、言われて嬉しくなるような彼氏でも探すことだな」
彼氏という言葉に、今日の電車での出来事が蘇る。
「翔だって彼女作ればいいのに」
「⋯⋯俺はバレーがあるからいいんだよ」
剥き終わってまだカットしていない林檎を丸齧りしてから、「じゃあな」と言って翔は何故か帰ってしまった。
「翔と美優ちゃんが一緒になってくれたら、お婆ちゃん一番嬉しいんだけどねぇ」
お婆ちゃんはそんなことを心の底から願っている。それは口から出た色でわかっていた。思っていても年頃の女子に言うべきではない。こういう時に私はふと罪悪感というか、
孤独感に駆られる。
私には翔は勿体無くて、もっといい人がいるのは間違いない。それは瀬奈かもしれないしそうじゃないかもしれない。でもお婆ちゃんはそう思わない。それは私のことを表面の取り繕っているところしか見えていないから。
本当の私なんて見せたら、そんなこと言えなくなる。
世界で一番大切なお婆ちゃんにも嘘をついている自分。私を本当の意味で理解してくれる人のいない一人の自分。やっぱり空っぽに感じてしまった。
中身の詰まっていない自分が虚しく思えた。
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