一本道――道づれ

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 遥か一本道を一人で歩いていくのは嫌だからいっしょに行ってほしいとお願いすると、ああいいよと同意を貰ったので安心した。  ああいいよと半笑いの顔で頷いてくれたのは、職場の友で、しかし彼は、どうしたものか、このところ会社を欠勤中である。 たまたまの有休日、彼の部屋を訪れ、いっしょに一本道を歩いてくれ、と頼んだ私を、彼は不思議がるでもない様子で、今のオレってヒマだから、お安い御用さと頼もしくも引き受けてくれた。 かくして、じゃあと一本道を歩き始めれば、いい天気だなぁと彼がつぶやき、そうだねえと私は相づちを打つ。呼吸が合う。 イイ感じだなぁとまた彼がつぶやくので、そうだねえと私もまた相づちを返す。何度かそんなことが繰り返される。  繰り返されても、全く飽きないくらい、全くイイお天気なのだった。 「このまま何日も何日も雨なんて降らなくてさ、道がかっらからになっても、それなり地球ってのは破滅もしないのでしょう」と私は、そんなことを、もう相づちを返さない代わり、言っていた。  隣りの彼は、「ふーん」と返した。今度は彼が相づちを寄越す様子だが、 「ぬかるみの道ってのを味わえなくなるのが、ちょっとね。雨が降らないとね」 「ぬかるみって。べっちょべっちょの道だよね。靴なんてすぐ汚れるよね」 「けっこう好きなんだ、そんなの」 「へー、そうなんだ」  二人とも、それから少し黙った。 「でもさぁ。雨が降ったら、べっちょべっちょになっちゃう道なんて、そんじょそこらにいっぱいあるかなぁ」  首都から何十キロ離れているか知らないが、それでも一政令指定都市の街中に住み慣れている私は、つい、そう訊ねる。 「あるよ」と彼は素っ気ない調子の答えだ。 「無いように見えても、あるところにはある。というか、オレには、いつかこんなことがあったよ。コンクリートで固められた一本道を歩いて歩いて、あーくたびれた、ジュースでも飲んでヒト休みなんてしたくなったりした時、ジュースの自販機が5台も6台もある、まさしく自販機のたまり場ってな感じの場所にて、1缶のジュースを買って、立ち飲みをしながら歩いて行く。そうしていると、足が何かに誘われたみたいに、その次の角を曲がる。と、そこは、足を1歩2歩と勧めるたびにもうもうと土埃が舞い立つような荒れた道、イイ天気の日がつづいていたから、ホントかっらからの乾いた土の道だったけど、雨なんて降ってくれないかなー、なんて、天に向かってお願いしたくなったら、願いが届いたのか、急の土砂降り、息つく暇なく、道はぬかるみとなって、オレの靴を汚す。ズボンの裾もドッロドロ、でもオレは歩いた。ノッちゃって、ダンスでも踊るみたいなステップなんかも踏んじゃって、さぁ」  ヒト息にも語る彼は、あ、ごめんよ、ワケわかんない話かな、と少年のような幼い顔になって謝る。  そんなことぜんぜんだよ、と私は謝る彼を気にせず、コンクリートの一本道を歩く、進む。彼と歩行のスピードが合っている。呼吸が合っているのだなとホッとする。  けれども、そのうち、一本道は二股の道に分かれる。右、左。 「あ、一本道じゃなくなっちゃったね」  私と彼の声がいっしょになる。 「イヤだよ。一本道しか歩きたくない」 「オレだって、そうだよ」  しかし、二人はもう、一本道が二本道に分かれる分岐点に立っている。 「気にしなくっていいってことだよ。オレらはバカかい」 「バカって」 「だって、そうじゃないかよ。一本道が一本道でなくなっても、右でも左でも選んだ道が、また一本道なら、どうってことないってさ」  ホント、そうだねと私はまたホッとしながらうれしくなった。  さて、右と左、どちらの道を行けばいいのか。 「左がいいな」  私の迷いの先を行くよう、彼が強い声で言った。 「そっちの道だと、ずっと一本道かな。また二本道に分かれたりしないかな」 「そんなことわかんないけど、二本に分かれりゃ、またどっちかの道を選べばいい、それだけのことさ」  左の道へと歩き出す彼は、早足になる。わたしは追いつくのがやっとだ。 「早過ぎない? 歩き方。息が切れそう」 「ごめんよ。でも、なんだかそうしないと怖くてさ」 「怖い?」  ああと頷き、オレのさぁ、すべての誤りってのは、あの日右の道を選んだことに始まるんだからな、と情けなさそうな声で言った。 「そう、そう、そうなんだよ。あの日の昼休みにさぁ、安くてうまい定食屋ってのがオープンしたって聞いてさぁ、スマホで特売記念のクーポンなんかもダウンロードしてさぁ」 さぁ、さぁ、さぁと繰り返される語尾が厭わしくない。 うん、うん、うんと私は先の話を促すようにも頷いていた。 「そんでもって、それからさぁ。スマホのマップなんて頼りもしないで、息も切らさずドンドン歩いて、ああもう少しで、その定食屋に着くのだろうってところで、道は二股に分かれた。え、どっちに行くんだ? 迷うのは一瞬、オレの足は右の道を進んだ。このチョッ感に間違いはない。なぜかしら確信できた。確信を抱くまま、まっすぐ歩いて行ったら、何やらおおっきな児童公園なんてのが忽然と現れて、おじいさんと孫らしき幼稚園児くらいの男子がブランコに乗ったりして遊んでいる。なぜだか知らないが、オレは公園の中へと足を踏み入れていた。どうも、こんにちは。どうもどうも。何だか声を掛け合ってしまうと、いや、定食屋へ行く自分にはそんな時間などなかったはずだが、ホントになぜだかそうしてしまった。すると、おじいさんは、ちょっと自分は用事があって、とお願いしてきた。そう、ちょっとした用事がある、公園を出て公衆電話から電話を掛けに行くから、ちょっとの間この子を預かってくれまいか。いや、預かると言ってもこの子の手でも握って、この公園内をぶらぶらしてくれていたりしたら時間はすぐすぎる。この子はこの公園が大好きで、ぶらぶら歩いてさえいれば、ゴキゲンがいい。お願いできないだろうかと懸命に頼んでくる。ご用事の電話なら、わざわざ公衆電話まで行かないで、これを使ってくださいとスマホを差し向けてあげたが、そこまでお世話になるわけにはいかない、とおじいさんは拒否し、じゃあお願いしますねと男の子の手をオレの手に握らせて、おじいさんはおじいさんらしからぬ小走りで、公園を出て行った。えー、オレの昼ご飯、どうなるんだよー。こんなところでうかうかしてたら、昼休みなんてすぐ終わっちゃうよーと嘆いても後の祭り。バイバイと手を振っておじいさんを見送った男の子は、ぼくのおじいちゃんはいつもあんな風だ。ぼくといっしょにお外に出ていても、急にぼくを置いて、どっかに行っちゃう、と泣きそうな顔になるが、だいじょうぶだよとオレが手を握ってやると、そうだね、おにいちゃんといっしょだもんね、と機嫌がよくなる。それでも子供は子供なのだから、急につむじを曲げられて泣き出されでもしたら大変だと、オレは握った手を離さず、公園内のぶらぶら歩きを始めた。そうしていればこの子はゴキゲンがいいとおじいさんが言っていたのは本当らしく、きょうはお天気がいいからキモチがいい。幼稚園もお休みしちゃったから、ぼくは朝寝坊して、さっき起きたばかりで、だから気分もソーカイなんだ、と大人みたいな口調で言ってのけたりもするので、ほう、そうかいとこっちもヘタなシャレを言ってやると、キャハハと笑う。かわいい子だ、昼ご飯の定食がフイになっても、まあいいかとそんな気持にまでなりそうな自分、いやそこまで甘くしてやってはいけない。自分はまだクーポン割引の昼の定食を諦めてはいないのだ、とおじいさんのご帰還を待っていたら、あれあれと警察の車がやって来て、公園前で止まったかと思うと、二人の警官らしき人物が降りて来て、すたすたとこっちまでやって来る。 〝ちょっと通報があったものですからね〟 〝ツ、ツーホー?〟 〝ハイ、お孫さんがユーカイされかかっているから何とかしてくれって〟 〝ユ、ユーカイ?〟 そ、そんな、え? どういうこと? 戸惑うしかないオレは、追い打ちを掛けられる。 あのおじいさんがとっとと小走りで戻ってきて、『こいつだ、ユーカイ犯はこの若者だ』とそのシワだらけの指がオレをまっすぐに差したかと思うと、それを合図とするみたいに、男子は、ワーンと泣きだし、おじいさんに抱き付く。 〝ちょっと来てもらいましょう。話を聞かせてもらいます〟 オレはあっという間に車に乗せられ、警察署へと連行されてしまった。唖然、愕然とするばかりのオレ――しかし、間もなく、帰っていいよと言われて自由の身になった。帰っていいよとなったのは、他ならぬ憎き〝捏造じいさん〟が、スミマセンでしたと詫びを入れに来たからだ。別室で事情を語ったという〝捏造じいさん〟(以下、「捏爺」と呼ぶ)は、自分は孫がかわいい。孫は物心つく前にフタ親を事故でなくしてしまって、わたしが引き取ったわけだが、すなおないい子だ。不憫でもある。だから、この子の歓ぶことをしてやりたい、してやりたいとそれだけを思って、毎日を過ごしている。だから、さっきの公園でのユーカイ犯騒ぎってものは、〝捏造劇〟ってなもの。そうなのです、自分も一員となってお芝居をやるのが、この子はすごく好き、好きでたまらないんです。――かくして、捏爺と孫は揃って頭を下げて、ゴメンなさいと謝った。 「そ、そんなことでユーカイ犯にされちゃ、やってられないよねえ。捏爺、にくいね。いくら孫をうれしがらせてやりたいからってねえ」  私は怒り声を出すしかなかった。 「まあな。そんでもって、オレ、なかなかショックから立ちなおれなくってさぁ、そんなわけで、このところ会社も欠勤してるわけ――セイシン弱いって言われるかもしれないけど、やっぱさぁ、昼の児童公園にて、いっしょにブランコ乗ったりしてるおじいさんと孫の男の子からさぁ、あんなやり方で一杯食わされるなんてさぁ、メゲるわけ、そんな感じ」  そうだったんだと同情するしかない私に、そう、そう、そうなんだよ、と彼は強く頷き返し、だからぁ、オレはもう、二股に分かれている道の右の道を行きたくない、また何だかヘンなことが起こりそうでさぁ、と頼むのであった。 私が拒むわけもなかった。 さあ、行こう、行こう、歩いて行こう、と前を向いて、私と彼は左の道を選んで、進む。いつの間にか手を繋いでいた。 「こうやってるとさぁ、何だかさぁ、恋人同士みたい、なんて言っちゃあ、怒られるな」  私は、アハハと笑って返した。ただ陽気に笑ってやることが、今の彼への思いやりなのだろうと思ったのだ。  私と彼は、歩いて行く。歩いて行けば行くほど、この一本道はずっと一本道で、もう二間になど分かれることなく続いて行くような気がした。 コンクリートの固い道、一歩進むたび、コツンコツンと音がするようだ。  すると、 「あ、ノドが渇いたかな」  と不意に彼が言った。  言われてみると、私にもノドの渇きが来たように感じた。 「自販機、ないかなぁ」  歩きながら、視線を遠くまで泳がして、自販機を探す彼は、しかし、「あ、コレってヤバイ」と笑った。 「ヤバクなんてないよね。あ、やっぱりヤバいのか」  私も笑って、そう言って返した。 彼は急の雨降りを欲しがっているのだとわかったからだ。 雨降り、土砂降り、ぬかるみの道。雨が降ったらべちょべちょになっちゃうそんな道。 彼は今、そんな道を歩きたいと願っているのだ。 そう、そう、そんじょそこらにはないぬかるみの道、そんなものを、彼は期待している、熱望している。 無いように見えて何処かにある道、コンクリートで固められた一本道をいつか、彼は歩いていた。あー、くたびれたとヒト休みしたくなって、自販機のたまり場みたいなところでジュースを買って、飲みながら歩いて行って次の角を曲がったら、道は急に土埃を舞わせる荒れた道となって、目の前にあった。雨なんて降ってくれないかなー、降ってくれたら、見る見る道はぬかるみとなって、彼の靴を汚しに汚す。ズボンの裾もドッロドロ――縁起担ぎをたくらむような自販機でのジュース買いを、彼は望んでいるのだろう。 「わかってくれてるよなぁ」  私のこころの裡を見透かすみたいに、彼は言った。 「うれしいよ」 「私もだよ」  私と彼の手の繋ぎ方が、いっそう強くなった。  天から雨粒らしきものが、ポツンと落ちてくる。  あれ、お願いが叶ったのかな――呟く彼の手を、私は離さない。 「オレさ、来週から、会社に行くよ。もう、休まないよ」  彼はまた呟く。 「うん、イイ。それがイイ」  私の手が、こんどは彼の方から強く握り締められるのが、わかる。  あ、彼は急に立ち止まって、私を抱きしめるのかな、と私は思った。  だが、そうはしないまま、彼は大股歩きになるものだから、私も大股歩きになる。 「何処に行くのかなぁ」 「何処に行くんだろうなぁ」  言い合っているうち、私と彼は、同時に足を止める。 「あ」 「あッ」  また分かれ道に来ていたのだった。  しかし、彼は動じない。だから、私も動じない。 「あっれー、こんどは三つだよ」  彼は、素っ頓狂なおどけ声を出して、指さした。  二股でなく、三股にと道は分かれている。  どれにする、どの道を選ぶ? と彼は私に訊かない。  右端の道、左端の道、真ん中の道、彼はざっと見渡すだけだ。そして、言った。 「どの道を歩いて行っても、オレたちは何処かにたどり着くんだな。その何処かにたどり着いても、オレは来週から、ちゃんと会社に行くんだ」 「そうだね」  私と彼は、手を握り合ったまま、歩き出す。  その道が、右端の道でも、左端の道でも、真ん中の道でも、もう構わなかった。 「――ところで」  しばらく歩いたところで、彼が急に訊いた。 「そうだよ。ところで、きみは、遥か一本道を一人で歩いていくのは嫌だからいっしょに行ってほしいとオレにお願いしたわけだけど、どうして嫌だなんて思ったのだろうか」  訊かれて、私は思わず笑った。 「そうだったっけ」  笑って、それから、こたえた。 「忘れちゃったかな。何がイヤで、遥か一本道を一人で歩いていくのが嫌だったのか、なんてね」 「あ、そうか」  彼も笑った。じゃあ、もっともっと歩いて行こうぜ、と私の手を握った。 私と彼は、足を速くしたり遅くしたりしながら、まっすぐな道を歩いて行った。
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