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その後、いつ解放されたのか分からない。
散々揺さぶられて喘がされ、最後には出すものもなく絶頂を迎えた。とんでもなく卑猥な言葉を言わされたり縛られもして__今までの人生経験なんて吹き飛んでしまいそうだ。
ただ気が付いたらベッドで、裸のまま彼に体を拭われていた。
シャワーを浴びたらしい彼からは、少しだけ湿った匂いと柑橘系の香りがした。俺が目覚めたことに気が付いた男は、優し気だった手を止めて酷薄そうな笑みを浮かべる。
「俺は、セックスの相手を他人と共有する気はないから、月単位で払うよ。愛人契約の方が、君もいちいち相手を漁るより楽だろう? いいね」
冷たい言葉に心が凍る。
彼にとっては俺は所詮、金で買った相手なのだと思い知らされる。ここ数ヶ月で友情でもない親愛でもない不思議なものが二人の間にできたと思っていたのは、俺の勘違いだったんだと突きつけられて胸が痛んだ。
俺には彼とたわいもない話をして過ごした時間はとても幸せなものだったのに。
彼が男も抱けたのは意外だったけど、それでもこんな風に物のように扱われるくらいなら前のままの方が良かった。
好きな相手に体だけ求められて、それを喜べるほど大人じゃない。
俺が『嫌です』と口にすると、彼は少し驚いた顔をして、それからすっと目を細めた。
「それは恋人がいるからかな? まさかお金って、そいつに貢いでるの?」
そんなわけないと横に首を振る。
「じゃあ何で?」
ベッドに腰掛けた彼が、俺に覆いかぶさってきて腕を強く掴まれる。いつもは理知的で穏やかな瞳が獰猛な色を乗せていて、それがどうにも悲しくて少しだけ瞳が潤むのを感じた。
「だって、困ってたお金って今月の家賃だし、それだって騙されたから足りなかっただけで、こんなに要らないですから。……もう帰ります」
ベッドに乱雑に放置された金に目を向けて、彼の下から抜け出そうともがく。だが強い力で囚われた腕はびくともしなくて俺は困って彼を見上げた。
「家賃? それはいつもこうやって生活費を稼いでるって意味? その、騙されたってどういうこと?」
もう会うこともないだろうし、どうだっていいだろうと思いつつ。やたら真剣に聞いてくる彼に、俺は身に降りかかった災難をあらかた話した。
俺の間抜けな話をしばらく黙って聞いていた彼は、ため息をつきながら頭をうなだれた。
「なんで……って、ちゃんと最初に聞いてなかった俺が悪いね」
後悔を色濃く滲ませた声に俺は首を横に振る。
俺も、流されずに叫んで殴ってでも止めるべきだった。きっと受け入れてしまったのは、どこかで彼とこうなりたいと思っていた願望のせいだろう。もっとも、まだ子供で夢見がちな俺が描いていたのは恋人同士のセックスであって、こんな形で抱かれるとは思っていなかったけど。
それでも名前も知らないような男に付いて行っていたよりはマシだと自分に言い聞かせる。たとえ愛はなくても、好きな相手とできたのだから彼を非難するつもりはない。
「……もしかしてと思うけど、初めて?」
彼がふと顔を上げて真剣な顔で呟く。ちょっと戸惑いながらも頷く俺に、彼は再び盛大なため息をつくと共に『ごめん』と呟いて、ベッドの上に座りなおすと俺に頭を下げた。
「最悪な初体験にしちゃったね。言葉じゃ償えないと思うけど、本当にごめん」
「別にいいです。もしあなたに連れてこられなかったら、最初に声を掛けてきた男とヤってたかもですし」
だから気にしなくていい。俺も痛む体を抑えて起き上がり、そういうつもりで言うと、彼は恐ろしい顔でこちらを見た。
「それはダメだよ。今後困ったことがあったら、まず俺に連絡して。君は……その、好きな相手とかは、いないの?」
好きな相手がいるにはいるが、それを彼に告げても困らせるだけだ。後悔している様子の男に、より一層の罪悪感を植え付けるだけなのは明白で、どうしたものかと口を噤む。
彼は俺の瞳の奥を探るようにじっと見つめて、もう一度『ごめんね』と呟いた。
「こんな聞き方卑怯だった。歳を取ると臆病になる、なんて言い訳だね。……無理やり襲った男の言うことは気持ち悪いだけだと思うんだけど、俺と付き合ってくれないかな?」
付き合う。予想していなかった言葉が彼の口から出て来て、俺は言葉もなく彼の顔を見る。
まさか俺を抱いてしまったから、責任を取ろうとでもしているのか。だったらそんなことをする必要はない。
そう告げようとしたとき、彼の大きくて乾いた掌が伸びてきて、俺の手を包み込んだ。
「好きなんだ。歳の差がありすぎるから伝えるつもりはなかったんだけど、君を諦められそうにない。君が他の男と一緒に居るのを見た時、理性を失くした。付き合いたくないと言われてもしょうがないんだけど、このままだとストーカーになりそうだ」
彼はどこか苦い顔をしてそう呟くと、俺の手をぎゅっと強く握った。その力強さが、まるで手放したくないと言外に語っているようだった。
信じてもいいのか。悪い大人にからかわれているだけじゃないと思ってもいいんだろうか。
恐る恐る、俺も好きです、と呟くと。
握られていた手に、更に一瞬強く力が入って。それから本当に?と彼が呟いた。
しっかりと彼の目を見て頷くと、彼はまるで信じられないものを見る目で俺の瞳を覗きこんでいる。少しして腕を引かれて抱きしめられた。
「嬉しい。じゃあ、君は俺のものだね」
そっと耳元で低い声で囁かれて、肌に触れる吐息に体が震えた。
「あなたも、俺のって思っていいんですよね?」
俺は子供だから、気付かず我儘を言うかもしれないしヤキモチだって焼く。そんな気持ちを込めて彼の体にしがみつくと、締め付ける腕に力がこもった。
「もちろん。ああ、やばいな……君みたいな可愛い子が、こんなに無防備に外に出ているなんて、心配すぎる。閉じ込めちゃおうかな」
くすくすと喉の奥で笑いながら彼は少し物騒なことを呟く。回された力強い腕の中でもがくと、あやすように頭を撫でられた。
「最初っから全然態度変わらなかったし、俺と話してても好きになる要素なんてなかったのに……」
「それは、一目惚れだったからね。見ず知らずの他人にハンカチを貸してくれるような子、今時いないよ」
だから毎週、欠かさずに店で待っていただろうと笑われた。だけどそんな素振りはちっともなかったと思わず問い詰めると。
「大人になるとね、気持ちを隠すのも誤魔化すのも上手くなってしまうんだよ」
そう言って苦く笑う男は、少し悪い大人の顔をしていた。
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その後
恋人同士になった日から幾日か過ぎ去った。
彼とは喫茶店以外でも会うようになって、メッセージアプリでも電話でも頻繁にやり取りをしている。忙しいだろうにマメに連絡をくれて、言葉の端々にも愛情と気遣いを感じる。これが大事にされるってことなんだと感じて、スマホを眺める度に顔がにやけた。初めての恋人にこんなに甘やかされて溶けてダメになってしまいそうだ。
そして、多忙な彼の都合がついて、ようやく今日は再び彼のマンションに訪れている。
「この間は本当にごめんね」
食事を外で取って、優しく促されて彼の車に乗った時には、今日するんだろうと思っていたけれど……それでも後ろからそっと抱きしめられて心臓が跳ねた。
「この前は勘違いして酷いことした。あんなのがセックスだと思って、嫌にならないでね」
確かにこの間彼に散々いたぶられたのはまだまだ経験不足の俺には刺激が強かったが、それだって気持ち良かった。
それを言うのはあまりにも恥ずかし過ぎるけど、好きな男に組み敷かれて手酷く苛まれて……感じたのは脳を焼ききるような快感だった。
俺はMだったんだろうか。無理やり与えられた快感に支配されるのも、悪くなかったと思ってしまっている。
今日はきっと穏やかな彼らしく抱かれるんだろう。それはそれで幸せなんだろうけど、すこしだけあの時の圧倒的な熱量と刺激がもう与えられないということを惜しく思ってしまった。
だけどそんなこと言えないので、『嫌になんてならない』となんとか呟いた。すると彼は俺の手を優しく引いてベッドサイドまで導くと、寝室のドアをゆっくりと閉めた。
「良かった。心配しなくても大丈夫だよ。今日はちゃんと色々用意してきたし、いっぱい気持ちよくしてあげるから」
そう彼がにっこりと笑って差し出してきたのは……。
「最初はバイブとローター、どっちがいい? もちろん、後で両方使うけど」
卑猥な形をした、色とりどりの玩具で。固まる俺をよそに彼は甘い声で囁く。
「イっちゃだめなんて意地悪はもう言わないから、いくらでも出してね。出なくなってもドライでイこうね?」
優しい手つきで、俺の手首に柔らかい皮でできた手錠がかけられる。蕩けるような笑顔を見せた彼の手には、首輪にボールギャグ。
俺はもしかしてとんでもない大人と付き合ってしまったんじゃないかと、広いベッドに押し倒されながら思った。
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