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学校のチャイムが聞こえてきた。
海と空が夕方の色をしている。
この日は結局、充希は一枚も写真を撮らなかった。
バス通学の颯太を見送ろうと、一緒にバス停へ向かった。
言葉はまるで少ない。
必要なことを話さないと、本当に最後になってしまう。でも、もう充希は辛すぎた。
時間通りにバスが来て、颯太が乗り込む。
「じゃあ」
「うん、またね」
別れの挨拶が怖くていつも通りのやり取りで済ませた。
そうして一つの日常と恋が終わりを告げた。
またなんてあるのかないのかわからないくらいに充希は颯太に何も聞けなかった。
プシューとバスのドアが閉じて走り出す。
その瞬間、全身がざわめいて居ても立っても居られなくて。「嫌だ」と呟くと充希はバスを追いかけて駆け出した。
追いつくわけがなくて、バスは近づくどころか遠ざかっていく。あまりにも全力で走ったから、すぐに息は絶え絶えになった。
バスが見えなくなって、これで全てが終わってしまった。
と、充希は悔しくて海に向かって叫んだ。
「嫌い、大嫌いーー!」
だってわたしを置いていくのだもの。何も言わないのだもの。もう会えないのだもの。連絡先も住所も聞けなかった。繋がりなんてひとつもなくなっちゃった。
だから。
この恋は終わり。
自転車を取りに学校へ戻る途中、涙が溢れてきた。変化の結果は最悪だ。
嗚咽が込み上げる、鼻もくしゅくしゅする。ぼろぼろに泣いていた。
誰にも見つかりませんように。祈りながら駐輪場に向かって歩く。
また陸上部の脇を通らなければならなくて、波木に見つかりたくない充希は肩を丸めて俯いて足早に過ぎようとした。
ところがグラウンドから校舎の脇に入ったところで背後から波木に声を掛けられてしまった。
「合川、陸上部入って!」
充希は「いやです!」と叫ぶと走り出した。
波木に泣いていることがバレたら嫌だ。恥ずかしい。
全力で50メートルくらいダッシュしたら不思議な具合に気持ちがよかった。
けれども、波木が追いかけてきていて捕まってしまった。軽く手首を掴まれた充希は出来る限り必死に俯いた。自転車の車輪をじっと見つめる。
走ったら涙は乾いたけれども、こんなぼろぼろの顔を波木に見られるのはどうしてか嫌だった。
「陸上部入って」
「いやです」
今日3度目のこのやりとりに、充希は何故かほっとした。でも断る。今は走るよりも撮ることが楽しい。
「あいつ、転校だって?」
「どうして先輩が知っているのよ」
「お前のこと頼むって言われたから」
充希は思わず「なにそれ」とこぼした。
「わたし、今失恋しました」
告白もしてないのに失恋するなんて、なんて最悪なのだろう。告白しなくてよかったと充希は心底思った。
この変化はどちらにしろ最悪な変化だったのだ。あゝ、なんて最悪な日であることか!
また涙が込み上げそうだった。
「だからさ、俺と付き合って。陸上部入れなんて言わない。ずっと好きだった」
突然の並木の告白に結局また涙が込み上げた。
「今言うのずるい」と悪態を吐きつつも、嬉しく思う自分もいた。
波木がそんな風に思っているなんて知らなかった。颯太は知ってたのかもしれないと充希は思った。鈍い自分が恥ずかしい。
再び込み上げた涙はなかなか止まらなくて、波木のTシャツをびしょびしょにしてしまった。
一つの日常と恋が終わって、新しい日常に恋が転がってきた。
充希は鞄に刺したアスターをちらりと見てから思った。
この恋に身を任せてもいいかもしれない。
「先輩、花占いって知ってます?」
涙声でそんなことを言う。
「一枚ずつ千切るやつだよね」
颯太に告白しなかったのはきっとそれくらいの好きだったのだと充希は決めた。波木はかっこいいし優しいから自分には勿体無いと思う。昔好きだったけれども届くはずがないから勝手に諦めていた。
今は状況がまるで違っていた。
そういえば放課後、颯太を待っていた時。運命の人占いをしたのだった。颯太だと思ったら違っていた。颯太は来る人じゃなくて去る人だった。そうしたら、波木がやってきた。
不思議な気分だけれど腑に落ちる。
変化を好む充希の大事な日常には並木もいたから。
波木の前だと天邪鬼なのに素直になれることにも気付いていた。
「先輩、今日ね花占いしたのよ。そうしたら先輩が好きって言ってくれた。わたし、先輩と付き合う!」
なんて思いがけない恋の逆転勝利。
最低に成り下がったばかりの日常が最高に変化した瞬間だった。
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