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膨張した空気は、夏の在り方を定義し続ける。
寂れた無人駅、見知らぬ街。夏だけが確かな物。
「先輩、なんでここにしたんですか?」
「素晴らしい道は、こういう所にあるんだよ」
先輩は歩き続ける。田舎の蛙は蝉より煩わしい。でもそれはきっと生きる為の行為で、悪い事じゃない。とても耳障りだけど、絶対に。
「この世に無駄な事は無い。何故ならそもそも全てが無駄だからだ。生きる事も愛する事も無駄だね」
「また語り始めましたね」
「全てが無駄なら、それらは実質無駄では無いという事だ。だから創作して何になるとか、本を読んで何になるとかそんな事は言ってはいけない。それを言う権利があるのは、自分が人類にとって得になれると思っている馬鹿野郎だけさ」
先輩の難しい話を聞くのが私は好きだ。意味が通じなくても、心の隅を覗いている気分がして、軽率に嬉しくなれる。先輩の言葉に触れる度に、頬が茜色に染まって、喉が途端に乾き出す。
「深い話ですね」
「君は、この思想に対してどう考える?」
「……えぇ」
難しい話は理解しづらいのでどうしても流しがちになるのだが、それが仇になった。目を輝かせて返答を待つ先輩を無碍にするのも嫌なので、とりあえず答える。
「えっと……同意です。誰かが無駄だと感じた事は、他の人にとっては命より大事な事かもしれません」
ふーんと興味無さげに頷いて話は打ち切られた。そっちが聞いてきたんじゃないかと思ったが、まあ良いかと周りを見回す事にした。良い道を見つけて報告する。そうすれば、優しく褒めてくれるかもしれない。
「先輩はどうして道を描くんですか?」
「綺麗だから。人を描きたくないから。虚構ではないから。このどれかかな」
「ちゃんと言わないと好きに解釈しますよ?」
「それでいいよ。君になら、どう解釈されても」
ひゅっ、と吐息が零れ消えた。
意外すぎた言葉に少し動揺する。
「君は馬鹿だから」
「……なんじゃそりゃ」
「君はもう少し、自分の凄さを自覚した方が良いね」
先輩はまた微笑んで、良い道を見つけたのか、走り始めた。撮り始めている様を、私はベンチという観客席で眺める。文学的な感傷が一つ二つと脳味噌に現れて、スっと消えていく。日陰になっていたこの場所は涼しく、汗はすぐに引いた。
道を撮影する先輩は、私といるよりずっと笑顔だった。陽光に照らされた先輩は独り舞台の上で踊るダンサーの様に観客である私を楽しませる。カメラに映る景色の中に私は入らない。私のクラップハンズはただ、先輩の為にある。
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