透愛

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「何かを好きという時に、別の何かを否定して持ち上げるのは駄目だ。好きならそのまま好きと言った方が良いよ」  きっとその話を先輩の口から聞いた時から、もう始まっていたのだろう。透明な言葉、透明な吐息、透明な魂。世の中の大切な物は大体透明だから。  大学二年生の先輩はよく道を歩いた。人間だから当然道を歩くが、先輩にとって道は取材対象だった。風景画を描くのが好きな先輩は、リアリティを求めて東西南北のあらゆる道を探して旅していた。  私は先輩の全てが好きだったので、授業を休んだり、夏休みを利用して旅に同行した。私は一応小説家の端くれで、創作の為という大義名分を振りかざして先輩にしつこく付きまとった。大学生になって初めての夏休みは帰省しようかなと思っていたが、その計画も頓挫した。 「なんで人間は結婚するんだと思う?」  先輩は質問を時折私に投げかけた。  答えられた事も分からなかった事も、先輩は無言で流して次の質問を投げる。答える事がどうやら大事なのではないらしい。 「結婚したい人は幸せになりたいからなんだろうけど、ネットを見る限り失敗談ばかりで、希望が無いね」 「きっと幸せな例もあるんでしょうけど、ネットってネガティブな意見の方が注目されますもんね。難しいですね」 「じゃあ、君にとっての希望は何がある?」 「それはもちろん、先輩が私の希望です」 「芸術家に希望を求めちゃ駄目だよ。作品は解釈しないといけない。描いた奴より解釈して咀嚼した奴が一番偉いよ」  先輩は私の『好き』を芸術家として好きだと誤解しているらしく、しかしそれは私にとっても好都合なのでそのままにした。  良さげな道を見つけると、先輩はスマホのカメラで撮影を始める。三十秒で終わる時もあれば、一時間かけて何百枚も撮る時もあり、そんな時は大体自動販売機で買ったメロンソーダを飲んで待った。甘ったるい味が夏の香りと中和して、虫歯が加速しそうだった。  蝉の声は小説内で夏を表す言葉として出現するが、街路樹で鳴き続ける蝉の数は十匹以上いて、あまりにもうるさく、そして耳障りだ。夏の風物詩として一番適していない。私の自作小説では夏を表す語彙が蝉か風鈴しか持ち合わせが無いので仕方なく出すのだが。 「あの錆びた標識、良いね」 「あれですか?」 「ああ、色が良い。陽光で更に強調されているし、石畳の無機質さも良い。素晴らしい道だよ」  興奮気味に話す先輩は、舐め回す様に道を撮り続けた。先輩曰く、綺麗な物しか撮影したくないらしい。昔フォルダを見せてもらった時に、本当に驚いた。人の写真が一枚も無かったから。  先輩は人を、美しいとは思わないらしかった。
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