八十八夜

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 お隣は、私たちが越して来た時にはもうここに住んでいた。ふたりの息子さんが独立し、長男はここの研究所に勤め、次男は近くの中学校の先生ということで、兄弟揃ってこの住宅地の、別の敷地にそれぞれ新しい家庭を築いているそうだ。  理想的ですね。  それを聞いたとき、私はそう言った。  お隣の奥さんは鷹揚な笑顔でほほほ、と笑った。  完全無欠。私はだらしがない人だと思われないように、おそらく彼女の家のお嫁さんのように緊張した。  午後二時半になると、私はガレージから自転車を出し、パートに出かけた。    住宅地を出ると急な下り坂がある。  ブレーキを小刻みにかけ、一つ目のカーブを曲がりバス停の前を過ぎると坂は緩やかになる。  右手の田んぼには水が張ってあり、午後の高い日差しをぎらぎらと反射する。  田んぼを過ぎて二つ目のカーブを曲がり、小学校と中学校の校舎が見える直線道路になると、パート先のスーパーに到着する。私はここで、平日午後三時から七時まで働いている。  子供がいないので、土日や祝日は午前中から午後一時まで働く。  家を買ったあと、ローンの足しにと働き始めたのだ。  従業員用の駐輪場に自転車を止め、私は非の打ちどころのない主婦としての自分をイメージする。  一緒に働くのは、同じ住宅地の人ばかりだ。  二十代から六十代までの女性と、時間帯によっては高校生の男の子も働く。  いずれにせよみんな似たような家庭環境で、争いがなくとても穏やかだ。できればずっとここで働きたい。
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