光売り

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 出会いは油断しているときにあるものだ。だからこそ、驚きは大きく、そのわりにあっけなく感じてしまう。  脇道を抜けた瞬間、目の端に(とら)えた異色の輝きに禅介は功介を追い越して飛びついた。  肩を支点に棒を担いだ男は禅介が目の前に迫ってもびくとも動かない。  不安定なはずの天秤棒も、その両側に提げられた(おけ)も、桶より内側で紐に結わえられたガラス瓶だの小箱だの(かご)だのも、無風状態の湖面のように静止している。  銅像のような彼の前まで進むと、光売りは眼球だけをこちらへ向けた。天秤棒に吊るされた桶や瓶などから放たれた無数の輝きに反射して、狐の目のようにギラリと光る。それなのに何の感情も宿さない無機質さがあり、今まで歩いてきた闇よりも不安を感じさせた。  「あなたが光売りですか」  「そうです」  「光を探しているのですが」  「何なりと」  淡々とした返しに、禅介は尻込みしてしまう。歓迎されるでもあしらわれるでもない。必要最低限の答えだけが返ってきてそれ以上話を続けにくいのだ。  それにしても。  天秤棒に吊るされた光は実に不思議だった。  まず色がそれぞれ違うのだ。橙色、赤色、黄色。青色、水色、群青色。白い光をとっても微妙に違っていて、眩しいばかりの発色のものや光っているのかわからないくらい鈍いものまで様々だ。それらの色が脳に焼き付いて全身に伝染していくような感覚がしてくる。  これらの光はどうやって容器に入っているのだろう?  そう考えていると、光売りが口を開いた。抑揚のない、棒読みの演技のような口調だった。   「あなたは何の光を探しているのです」  「それは……」  禅介は光売りの眩い商品に目を向け、言葉を探す。あれは、あの光は何と言えばいいのだろうか。  「……人魂(ひとだま)」  「人魂……火の玉、怪火(かいか)陰火(いんか)……」  ボソボソと呟く。光に包まれているのに、それを扱う本人はいかにも陰気で暗い印象を持たせた。  「あなたがお求めの光は墓でさまよっている人魂のことでしょうか」  「それ以外にもあるんですか?」  ええ、と光売りは頷いて、指を折り数え始めた。鬼火、狐火、不知火(しらぬい)……。  「墓地以外にも、海や山、戦場跡など様々な場所で見ることができます。あなたが探しているのは墓地に出る人魂で間違いないですか」  「はい」  光売りの体が横に(かし)ぐ。光たちも揺れる。たまらず禅介は目を閉じた。  光売りは左側の桶の中に手を突っ込み、何かを探り始めた。平たい木製の桶から漏れていた光の色彩がかき混ぜられ、暴力的な色に変化する。  やがて光売りが取り出したのは、埃のような、何色とも言い難い実体のない火であった。蝋燭でいうところの芯がなく、電球でいうところのガラスがない。どうしてそれが人の手に収まっているのかわからない、奇妙な火の玉である。  「これだ」  禅介は手を伸ばす。  それに応えるように、人魂がふわりと浮き上がる。短い尾を引いて、禅介の前までやってくる。  両手で包み、閉じ込める。温度はない。感触すらなく、手に入れた実感よりも虚無が勝った。  「これをどう入れればいい?」  「入れるとは?」  光売りは表情こそ変えはしなかったが、平坦だった言葉の語尾が少し上がった。  「俺の中に入れたいんだ」  閉じていた手を開いても、人魂は逃げなかった。しかし、新しい動きを見せることもない。  「どうして、入れたいのですか」  光売りなのにわからないのか。禅介は苛立った。  「あの日、俺の体から出て行ったんだよ。魂が、俺から出て、墓場の中を飛び回って、どこかに飛んでいったんだ」  十二歳の春、学校近くの墓地に祖父の墓参りに行った。  その日の夜、鞄にいれていた小銭入れがなくなっていることに気付いた禅介は、どうせ見知った場所だからという軽い気持ちで真夜中の墓地に探しに行った。怖いという気持ちもあったが、これを成し遂げれば学校で友人たちに自慢できるという虚栄心も働いた。  墓地に着くまではそれなりに楽しめた。街灯が立っていて案外に明るいものだし、これから武勇伝ができることに興奮していた。  着いてからはやや尻込みしたが、それでも祖父の墓の前に行き、地面に手を這わせて小銭入れを探した。風の音がするたび、ビクリと肩が跳ねたが、次第に気が(たかぶ)って口に笑みが浮かんできた。  小銭入れはなかった。だとすると誰かが持って行ったか、家路で落としたか。  帰り道を注意しながら帰ろう。そう腰を上げた瞬間、体中から血が抜けたように寒気がした。貧血を起こしたのか、めまいがした。しゃがもうとしたときには、禅介の体はいつも通りに戻っていた。  慣れないことをしたから気分でも悪くなったのか、そう合点したとき、自分の口から煙が出た。  父の吸うタバコの煙のように細いそれは、禅介の頭の高さで留まり、輪を描くように回転し、ひとまとまりになった。  膨らんだ餅の形に似たそれは、尾っぽを出してひゅるひゅると飛んだ。  禅介の手の届かない高さに舞い上がり、狭い墓地を旋回(せんかい)する。ゆっくりと、滑るように、一つ一つの墓の間を浮遊し、やがて墓地の塀を飛び越えて、消えていった。  残された禅介に異常はなにもなかった。体も心も特に変化は見られない。唯一の変化といえば、彼の表面にびっしりと、魚卵のような粒々が浮いていたことである。走って家に帰り、布団に潜り込み、鳥肌が消えたころには、小銭入れのことなど頭からすっかり消えていた。  「確かにあのとき、俺の口から魂が逃げていった……いきました。光売りの噂を聞いてから、俺の魂も売ってるかもしれないと望みをかけてました」  光売りは相変わらず直立不動の無表情だ。存在自体が摩訶不思議だからか、禅介の話に特別興味を持ったふうはない。  「その人魂は京都の墓地で得たものです。あなたがこの付近に住んでいるのなら、多分、あなたの魂ではない」  禅介には人魂の違いはわからなかった。たとえそれが自分の魂だったとしても、ただの不思議な塊にしか見えない。  「その人魂、あなたに懐いているようですね」  「ええっ、気持ち悪い……」  やっぱり返します、と言おうとしたが、光売りに遮られた。  「あなた、魂が抜けたと言いましたね。ではなぜ生きているのでしょう」  「そんなこと、俺が知りたい」  「ごもっとも。では自分の推論を言います。あなたの魂はあなたの中にあります」  禅介は思わず胸に手を当てる。内側には骨と心臓があるだけだ。魂のありかなどわからない。  「でも、たしかに魂が抜けるのを見たんだ」   「その人魂は別の人のものでしょうね。多分、あなたの体をすり抜けただけでしょう。口からそれが出たとき、寒気がしたんですよね。それこそ、他人の魂がすり抜けた瞬間です」  手の中の人魂――それは元は誰のものだったのか――が二人の話を聞いていたように、禅介の手の平に潜り込み、手の甲からにゅっと出てきた。  氷を心臓に押し当てられたような感覚が走った。唇が冷たくなるのがわかる。髪の毛が逆立った。  ほらね、とでも言うように、人魂が一回転する。  「本当に、懐いてますね」  「やめてくれ」  寒気が治まってからも、震えは止まらなかった。  たまらず後ろにいる功介にすがる。  「功介。黙ってないで来てくれよ」  腕に触ると、功介の筋肉がビクリと跳ねた。  「君、冷たい」   杖で(すね)を叩かれる。  「なあ、禅介」  「何だよ。この人魂もらうか?」  「いらないよ……それより、光売りがいるのか?」  杖が地面を叩く。光売りの商品が放つ光が杖に当たり、路面に細長い影をつくった。  「目の前のこの人、どう見ても光売りだろ。着物の女の人ではなかったけどな」  「見えない」  「は?」  功介が禅介の腕をつかむ。温かかった。  「これ、君の腕か?」  「どうしたんだよ」  「俺、見えないんだよ」  光売りが動き出した。こちらへ寄ってくる。彼の動きに合わせて揺れる光が目を射る。思わずまぶたが下がるが、横にいる功介は目を大きく開いたままだ。  功介が繰り返した。  「俺、見えないんだよ。目が見えないんだ」  杖が地面を小さく小突いた。  光売りが功介のそばまで来て、静かに止まった。  「あなたの求めている光がわかりました」  
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