光売り

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 光売りが功介の目を覗き込む。  古今東西から集めた光にあぶられ続けた商人の目に見つめられても、功介は何の反応も示さなかった。禅介の腕をつかむ指だけが時折ピクリと動くのみだ。  「あなたは、目の光を探しているのですね」  功介は頷いた。その目はどこを見ているのかわからない。  「俺、十二歳からどんどん視力が落ちていって、十三歳になる頃にはもう完全に見えなくなってました。今では杖があればここ辺りは普通に歩けるけど、目が見えないとすごく不便で……そんなとき、光売りの噂を聞きました」  月がない夜、街灯が消えた街に光売りがやってくる。  昔、ある小さな島村に光売りが訪れ、世界の様々な光や火を売ったという。  島で一番大きな権力を持った島長(しまおさ)に雇われた用心棒が、光売りから「猫の目」を買った。  猫の目は暗闇でもものがよく見える。暗い場所で猫を見ると、その目が白く光っているのがわかるが、用心棒はその光を買ったのだ。  どういった使い方をしたのかはわからないが、用心棒はその日から夜も冴えた目で見張りを続けることができるようになったという話だ。  「猫の目が暗闇に強いのは、何も目が光るからじゃない。よく見える仕組みだからこそ、目が光って見えるだけなんだ。でも用心棒は猫の目の光を手にしたことで夜でも目が見えるようになった。それなら『人間の目の光』があったっておかしくないだろう」  功介の目が見えない。禅介はそんなことを(つゆ)ほども疑わなかった。 しかし振り返ってみると、功介は暗闇に臆することなく杖だけで道を歩いていた。彼にとっては歩き慣れた場所であれば杖さえあれば昼も夜も関係ないのだろう。禅介が公園の街灯が光っているのを指摘したときもそうだった。禅介が「見て」と言って指をさしても、功介は「何を見るんだよ」とまったくわかっていなかったのだ。心当たりはたくさんあった。  しかし、それでも理解できないことがもう一つある。禅介はそれを口にした。  「功介。俺たちがぶつかったとき、功介は光売りを追いかけてたよね。着物を着て屋台を引いた女の光売り、だったよね。功介は目がまったく見えないんでしょ? どうして光売りを追ってこれたの?」  そう、それなんだ。そう言って、興奮気味になった功介は禅介をつかむ指に力を込めた。別段、痛くはないので好きにさせた。  「俺、もうずっと目が見えない状態だったのに。今夜、明るい光が見えたんだよ。暗い中で、その光の周りだけが明るくてはっきり見えるんだ。それは屋台に載ってて、それを引いてる着物の女も照らされてよく見えた。これさえあればって、俺、すぐに家を飛び出して……」  盲目の人でも見える光。そんなものがあるのだろうか。人魂よりも信じ難かった。  光売りが静止したまま話し始めた。もう天秤棒の商品は揺れるのをやめている。  「視力がなくなることを、『目の光が消える』、『目の光が奪われる』などと言うことがあります。どのような仕組みで目が見えるのか、また見えなくなるのか、そういった科学的なこととは関係なく、これらの言葉がありさえすれば、『目の光』は存在します」  「それなら、それを使えば俺は目が見えるようになるのか」  「そうです」  功介の指の力がいよいよ強くなる、そう思った矢先、功介は指を離した。両手をぎゅっと握りしめる。  「その光は、売っていますか」  「いいえ」  あまりにもそっけない返しに、蚊帳の外に置かれていた禅介が「は」と声を上げる。それに対し、功介は落ち着いたものだった。  そうか、と呟く。  「そうだとわかっていました。だって、俺からあなたは見えないから」  「あなたが見た光売りこそが、あなたの求める光を売っているのでしょうね」  「彼女を知っていますか」  「知っています」  「どこにいますか」  「わかりません」  功介の唇が噛みしめられた。結論だけの返答にやきもきしてしまうのは禅介も先ほど経験済みだった。聞かれたことにはきちんと答えてくれるから、責めるに責められない。  「功介、早く行こう」  今度は禅介から彼の腕をつかむ。もう冷たいとは言われなかった。  「どこにだよ」  「着物の女を探しにだよ。早くしないと夜が明けるぞ」  目の前の天秤棒の男に聞いていても(らち)が明かない。二人で街路の消えた街をさまよう他には方法がなさそうだ。  「禅介、君、それどうするんだ」  問われて思い出す。禅介の手の中には人魂があった。元は人の中に入っていたもの。おそらく、入れ物はもうこの世に存在しないもの。  「かっ、返します」   手乗りの人魂を光売りへ差し出すが、人魂は戻っていかない。逆らうように、禅介の腕を伝って肩まで迫ってくる。  寝静まった街に、少年の情けない悲鳴がこだました。  「その人魂、あなたのことをよほど気に行ったのでしょうね。値下げしましょう」  光売りが告げた金額は、隣町へのバスの運賃かと思うほど安いものだった。  「いりませんよ!」  「ですが、その人魂がもうあなたから離れません」  「どうにかしてください!」  人魂は自分がしまわれていた桶が眩しすぎたのか、駄々をこねるように禅介の服の中に入ろうとする。しばらく彼らの攻防は続いた。  結局、金を持ってきていなかった彼の代わりに功介がお代を支払い、人魂は晴れて禅介の所有するところとなった。  「よかったな。人魂を買いに来たんだろう?」  「よくない。帰りに墓場に寄って捨てていく」  禅介は泣きこそしないものの、子どもが()ねたような声になっていた。慰めるかのように、人魂が彼の首周りを浮遊する。  「しっかし、本当に好かれてるな。君のおじいさんだったりして」  「じいちゃんはこの世に未練なんかない」  「孫が墓場を一人でうろつくやつじゃ、安心して成仏できないよなぁ……。なあ、禅介。帰らないのか」  杖の音が消える。禅介も歩みを止めた。  功介は禅介の姿を見えない目で探していた。  「取り越し苦労だっただろうけど、君の目的は達成したんだろう? それならもう帰った方がいいんじゃないか」  禅介はふと思った。目は見えなくても感情は宿(やど)るものなんだ。  今の功介は禅介を心配そうな目で見ていた。たとえ目に光がなくても、笑えば細くなるし、驚けば大きく開く。ここに来るまでもそうだったはずだ。  ならば、彼が求める光を手に入れる瞬間を見てみたい。どんな顔を、目をするだろう。  「人魂の代金、払ってくれたじゃないか。余計なお世話だったけど」  肩に止まっているつもりなのか、禅介の顔の隣でふわふわと浮いている人魂に命じる。  「おら、このお方はお前のことを身請(みう)けしてくれたんだぞ。恩返しせんか」  人魂はオタマジャクシのように左右に尾を揺らした。そしてご丁寧にわざわざ禅介の首をすり抜けて、空高く浮かび上がった。  何色ともつかない、実体のない魂は尾を振りながら空を泳いでいく。気持ち悪かった。  「もしかして、光売りを探しにいってくれるんじゃないか」  「寒い……」  功介の腕にすがると、「冷たっ」という声が辺りに響いた。  腕に鳥肌をこさえた二人が見送るなか、見知らぬ人の魂が夜を探索へ出かけていった。
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