光売り

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 着物姿の女が屋台を引いている。  棚の造りになった屋台には、大小さまざまな光が陳列していた。眩いもの、暗いもの、燃えているもの、冷たく輝くもの、その種類と数は天秤棒の男を(しの)ぐほどだった。  女は屋台を一人で引いているとは思えないほど、小柄で華奢(きゃしゃ)だった。頭に挿した(かんざし)の玉が発光している。その光で彼女の素朴な顔立ちは色褪せて見えた。  その姿を功介は目で見ることができた。彼女の周り――正しくは屋台の周りだけくっきりと浮かび上がるように目視できるのだ。  光売りは愛想よく微笑んだ。  「こんばんは。何かお求めでございますか?」  柔らかな態度に、少年二人の体から力が抜ける。天秤棒の男よりは話しやすそうだ。  「目の光はありますか?」  「ええ、ありますよ」  あっさりと首肯(しゅこう)され、拍子抜けする。光売りは屋台の棚の一番上の段からガラス瓶を取り、中から二つを手の上に転がした。  「こちらになります」  差し出されたのは、薄くて平らな半透明の(まく)のようなものだった。光を放っているが、他の商品ほどの明るさは持っていない。  しかし、功介にはその二枚の膜が世界で一番鮮明に見えた。膜から目を()らすと視界がたちまち悪くなり、何も見えなくなる。反対に、膜を視界に入れていれば、長年見えなかった景色が見えるようになるのだ。足元に敷き詰められた路面の石や両側に立ち並ぶ灰色の家々。懐かしい風景が膜を中心にして広がっている。  禅介の顔を確認しようとしたが、彼は背後に立っていて振り向けば膜が視界からなくなり、再び盲目に戻ってしまう。  「これは、どんな仕組みだ……?」  「科学などでは説明できないものですから、難しいところです。この膜をそれぞれ両目に貼りつければ目が見えない人もたちどころに見えるようになります。数日貼ったままでいれば、やがて癒着(ゆちゃく)し取れなくなります」  二枚の膜を手に取る。「目の光」を()かして彼女を見ると、その顔を鮮明に確認することができた。少し鼻先が尖った、幼い顔つきだった。  顔の幼さに似合わない落ち着いた口調で、光売りは続ける。  「この光は元々ある人物から買い取ったものです。その人はとても目が良く、遠くの山の木にとまった(すずめ)も見逃さないほどでした。ですから、とても上質な光でございますよ」  功介は禅介を目の光越しに見ようとして留まった。  「買いたいのですが」  「ありがとうございます。代金ですが……」  告げられた金額は、十七歳の功介にはとても手の届かない額だった。  光売りが言うには、生きた人間から視力を買って手に入れたものだから、仕入れ値も相当したようだ。しかも(まれ)に見る視力の良さなので他の目の光よりも値段が張るという。  「生憎(あいにく)ですが、現在売っている目の光はこれのみです」  功介はうなだれた。買えるものではない。家に帰って自分の全財産を持ち出しても半分にも満たないのだ。  考えてみれば当たり前のことかもしれない。医療では不可能なことを、この商品一つだけで解決してしまうのだ。対価は当然大きい。  「俺には買えません……お返しします」  「お待ちください」  光売りがやんわりと止める。まだ目の光を持っているようにと、功介の手を押し留める。高価な品を持ったまま、功介は硬直した。  「代金でのお支払いが難しいようでしたら、他のものでお支払いいただくことも可能でございます」  光売りが人差し指を立てる。砂糖菓子のように(もろ)そうな、繊細な指が屋台の光を(はじ)く。  「例えば情熱。これは火種として売れます。また、原動力の(みなもと)になる大変便利な光です。他には尻に灯る火。よく『尻に火が付く』と言いますよね。これは焦燥感を持たせるのにうってつけの光です。怠け者に重宝されております。火だけではなく希望の光や栄光などもお売りいただけます」  流れるように語る彼女は天秤棒の男とはまるで正反対だった。彼らは知り合いみたいだが、気は合うのだろうか。  「そんなもの、扱えるんですか」  「ええ。光売りですから」  屋台のきらめきに目を向ける。目の光の膜を透かして見ると、想像以上に眩かった。先ほどの天秤棒の男の商品もそうだったのだろうか。  「俺の体から差し出さなければいけませんか? 情熱だとか、希望だとか」  「いいえ、そんなことはございません。海面に映る夕日を捕まえたものですとか、虹ですとか、自然から採取したものでも構いません。水中でも燃える炎、千年前から現在まで灯り続けている火、特定の人しか照らさない光……などなど、とにかく通常では手元に置くことができないような光でしたら種類を問いません。ただし、ありふれた照明ですとかそこら辺の蝋燭ですとか、そういったものはお取引の対象外でございます」  どうでしょう、ご用意できますか?  功介は首を振った。  「諦めるか、俺の体から差し出すしかないみたいです」  沈黙が降りた。先ほどの猫が音もなく現れ、光売りの足元にすり寄った。  「素敵なお目目ね」と彼女が猫の頭を撫でる。  「あの」  功介の背後から声がした。  「もし、情熱やらを売ったら、功介はどうなるんですか」  「そうですね、彼から情熱がなくなります」  「というと?」  「お二人が情熱についてどのようにお考えかはわかりかねますが、物事に対するやる気だとか執着のようなものとお考えください。それらが一切なくなります。功介様は一生、何をしても情熱を抱くことができなくなります」  功介の背中を汗がつたう。体の外側は暑いのに、内側は冷えていた。  情熱がなくなったらどうなるのだろう。走ることへの、世界を見ることへの執着は残るだろうか。  光売りが猫を抱き上げた。三毛猫だということをそのとき知った。  「あら、この子男の子だわ。珍しい」  穏やかに笑う光売りが不気味なものに感じられた。今にも猫の目から光を奪い、屋台の棚に陳列するのではないかと想像した。その隣には功介が対価として差し出した「光」が並ぶ……。  「この目の光は買えません」  手を光売りに突き出す。功介の視界が狭くなった。  「左様でございますか」  功介の手から二枚の光が回収されようとする。それに割って入ったのは禅介だ。  「待ってください」  功介の手に禅介の手が重なる。膜が隠され、たちまち功介は何も見えなくなった。功介は恐怖した。何年も見えない状態だったのに、一度光を取り戻せば、また失うのがとてつもなく恐ろしい。  禅介が手をどけた。再びぼんやりとした世界が現れる。  禅介は光売りに一歩近づいた。  「これは駄目でしょうか」  差し出したのは、人魂である。魂は彼の手の上で大人しくしている。  「人魂ですね」  「さっき天秤棒の光売りから買いました。いたずらっ子だけど、まあいいやつです。これで目の光を買えますか」  光売りは手を伸ばし、人魂に触れた。  「ヒヤッとしていて、暑い日にいいですね」などと言う。  見ているだけで禅介はぞわぞわした。  「手乗りの人魂はなかなかありません。魅力的ではあるのですが、その目の光に比べると、まだ足りません」  人魂は不満を垂れるように一回転し、禅介の手に潜り込んで八つ当たりをした。こんなんだから価値が低いんだよ、と禅介は心の中で毒づく。  「どうしても駄目ですか」  「禅介、もういいよ」  功介が袖を引く。屋台の真ん中の段に置かれた一際(ひときわ)明るい光に(さえぎ)られ、お互いの顔が見えなかった。結局、功介は禅介の顔を見ることが叶わない。  「お待ちください」  そう言った光売りの声はなぜか興奮気味だった。見てくださいと(うなが)されるまま、彼女の腕の中の猫を見る。  目を爛々(らんらん)と輝かせた猫の尾は、二つに割れていた。  「もしかして、猫又(ねこまた)ってやつ?」  肯定するように猫の二つに分かれた尾が揺れる。  光売りははしゃぐように歓喜している。上品な振舞いで接客していたときと打って変わり、幼い見た目相応の表情になった。  「すごいですよ、この猫。三毛猫の雄で、しかも長年生きて猫又になってる。世界中探しても数匹といないわ。功介様、この猫を売ってくださいませんか?」  「いや、俺の猫じゃないです」  「あなたの猫ということで私に売ってくだされば、人魂と(あわ)せて目の光と引き換えます」  少年二人は顔を見合わせた。やはり顔は光で隠されている。  「その猫、そんなに珍しいですか? 何かの光が採れるとか」  「いいえ。むしろ光を採ってしまえば価値は下がります。お二人は猫の妖怪についてご存知でしょうか?」  二人は首を振った。そのさまに光売りは勢いを増す。  「猫又、化け猫。この二つは聞いたことがあると思います。長生きした猫が妖怪になったり、恨みを持った猫が化けたり、ですね。これらは有名ですが、それともう一つ、火車(かしゃ)という妖怪がいます」  火車は地獄から迎えに来る車である。車を包む炎は地獄の業火だ。その一方で、その姿は猫だとも言われている。葬式の最中、死体をさらっていくその妖怪は、炎に包まれているという。  「火車も猫又同様に長年生きた猫が妖怪になったものという説があるんです。この子は猫又ですが、考えようによっては火車にもなり得るんです。火車になれば業火が手に入ります」  猫又は耳をピクピク動かしながら、光売りの腕に収まっている。これからの行く先に納得して身をゆだねているように見えなくもない。  禅介は猫の体を隅まで観察した。  茶色が多い三毛で、後ろ足の間には大ぶりな玉が二つ、(かび)を生やしたように毛に包まれている。長い年月を踏みしめた肉球は硬く黒ずみ、毛並みは上質ながら汚れていた。(くし)を通してやればノミが飛び出てきそうだ。極めつけはやはり分かれ道のように分岐した長い尾だ。  禅介が判断する限り、誰かに飼われている猫ではなさそうだった。昔は誰かに世話されていたのかもしれないが、どのくらい遠い昔であるかは想像の域を出ない。  「功介、多分この猫は野良だ。一瞬だけ功介の猫ってことにしよう」  功介は頷いた。  「この猫と引き換えに、目の光を譲ってください」  光売りが猫又を撫でた。にっこりと笑む。細まった目と覗いた八重歯が猫に似ていた。  「(うけたまわ)りました。猫又と人魂を対価として目の光をお渡しします」  禅介の手から人魂が名残惜しそうに離れる。最後に禅介の(ひたい)に突っ込み、後頭部から出て、頭を迂回(うかい)し、光売りの着物の(たもと)に入っていった。  ブツブツと浮き出た肌をさすりながら、禅介は功介に言った。  「早く目の光を使え」  功介は使い方がわからないままに二枚の膜を目に当てがった。雨に濡れた葉が地面に貼りつくように、異物が功介の瞳に付着した。違和感があって気持ち悪い。  「癒着するまでの辛抱です」  光売りの声がする。彼女を見ると、先ほどよりも鮮やかに姿が映った。着物の色も文様もぶれることなく目視できる。目の光を手に持っていたときの視界が水の中ならば、今はそこから引っ張り上げられた陸の世界だ。  ひどく懐かしい街が自分を囲んでいる。月も街灯もない深夜なのに、全てが照らされたように明るく感じられた。  ひとしきり周囲を眺めた後、功介はついに隣を見た。そして笑う。  「けっこうハンサムなんだな」  禅介は「そうだろ」と笑い返した。
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