光売り

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 暗い夜でも、いや、暗い夜だからこそ、それを見失うことはなかった。  禅介(ぜんすけ)は、それを目指して一直線に走った。  昼間は雨が降っていたから、路面は濡れて水たまりがところどころに罠のように仕掛けられている。  前方を行く人物の足元の路面は、夕日を映した海面のように、あるいは一点だけスポットライトで照らし出された寂れた劇場のように、または天国の光が差し込む地獄の底のように、光を反射していた。水はその人物が持つ光によって何色にでも変化した。  「待ってくれ!」  禅介が走りながら叫んでも、そいつはまったく振り返らない。聞こえているのか、無視しているのか。  しかし禅介は長い脚で全力疾走していて、対する前方の相手はゆったりとした徒歩だ。距離が空いているとはいえ、すぐに追いつけるだろう。見失うことも絶対にありえない。  街灯の光が一つも点かない真夜中で、唯一眩しいその人物を追いかける。月もなく、人物が持つ光以外は何も見えない街を、ただひたすらに駆ける。  左手の脇道から飛び出してきた人物と思いっきりぶつかってしまったのは、今夜のような街灯の消えた環境と、一点だけを目指して走っていたお互いの盲目さのせいである。  尻をしたたかに打ってもだえた挙句、やっと起き上がったときには辺りは真っ暗になっていた。追いかけていた光源はもう見えなくなっている。  「ちくしょう」  地団太を踏むと、尻に響いた。  すぐ近くで動く気配がする。禅介とぶつかった相手だ。  「見失っちまった……」  そいつはそう呟いて、くそっ、と付け加えた。  お互いの顔が見えないまま、二人はしばらく無言で睨み合った。  今日は月は見えない。    
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