βであるということ2

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βであるということ2

「αやΩ、それにβであることは一生変わらない。これは男女の性が変わらないのと同じで変えようがない。それは知ってるね?」  胸にツキンとした痛みを感じながらも、こくりと頷く。 「そう、それが一般的な認識だ。もちろん間違ってはないし、海の向こうの国々でも同じように言われている」  だから僕は両親に見捨てられた。復権を狙う寳月(ほうづき)の家にとってβは価値がない存在で、見た目は美しいのにΩじゃないのは残念だと周囲にも言われ続けてきた。 (そんな僕が修一朗さんを想うなんて許されるはずがないと、ずっと思っていた)  密かに想うことが止められなかったとしても、この気持ちは一生隠し通そう。そう思っていたのに、修一朗さんに求められた結果こうして伴侶になることができた。ただのβの男でしかない僕は、信じられないくらいの幸せを修一朗さんからもらっている。 「ところが、βからΩに変わる人がいるという話もあるんだ」 「え……?」 「滅多にないことらしいけどね。異国ではそうした事例があるようだし、この国でもそういう記録が残っているそうだよ」 「そんなことが……」  初めて聞いた内容に言葉が続かなかった。寳月(ほうづき)家は古くは皇室に連なる家柄で、これまで多くのαやΩを排出してきた。そのぶん大勢のαやΩと関わってきたはずだけれど、そんな話は聞いたことがない。  それに、もしそんな話があるのならあの父が何もしないはずがなかった。僕がβだとわかった時点でΩにするための方法を使っていたはずだ。 (本当にそんな話があるんだろうか?)  修一朗さんを疑いたくはない。でも、あまりにも荒唐無稽な話に「そんなことがあるはずない」とほんの少し眉が寄る。 「まぁ、僕も噂で聞いただけだから真実かどうかはわからないんだけどね。ただ、αやΩには解明されていない部分が多いのも確かだ。昔とは比べものにならないくらい医学が進んだいまでも、発情や香りの仕組みはわからないままだしね」  修一朗さんは何が言いたいのだろう。意図がわからなくて、ただじっと修一朗さんを見つめることしかできない。 「あぁ、そんなに不安そうな顔をしないで。ただ、もし本当にβがΩになることがあるとしたらどう思うか、一度尋ねてみたいと思っていたんだ。千香彦くん、きみはこの話をどう思う?」 (どう思うって……)  そんなことが起きるわけがない。そう思いながらも、あまりにも真剣な修一朗さんの眼差しに視線を伏せながら考えた。 (もし僕がΩになっていたら……)  寳月(ほうづき)にいたとき、もしΩに変わっていたら絶望したかもしれない。姉と同じように優秀なαに嫁ぐための道具にされただろうし、βの僕では理解できない苦しみをたくさん味わうことにもなっただろう。 (その代わり、両親にはちゃんと見てもらえたかもしれない)  それが幸せなのか、経験したことがない僕にはわからなかった。Ωだった姉が日々何を感じていたのか、それを尋ねることももうできない。 (それでも、Ωだったらと願ったことは何度もあった)  修一朗さんを想うようになってからは、とくにそうだった。いや、いまもそう思っている。もし僕がΩなら修一朗さんを煩わせることもなかっただろうし、正々堂々と僕を公の場に連れて行くこともできただろう。 (結婚したのに伴侶を伴うことができないなんて、きっと肩身の狭い思いをしているに違いない)  たくさんの華族が揃う社交界では伴侶を同伴するのが当然だ。でも、修一朗さんは僕を連れて行くことができない。連れて行けば僕がβだと気づかれてしまう。そんな気遣いをさせている自分が嫌になることもあった。 「もし、Ωになれるなら……Ωになりたいと願うと思います」 「そうか」 「あの、本当にそんなことがあるならという前提で、実際にΩになりたいというわけじゃなくて」  βの僕がΩになりたいなんて、あまりにおこがましすぎる。慌てて言い繕うと「わかっているよ」と修一朗さんが微笑んだ。 「それに、おとぎ話の一つだと思って聞いてほしいと言っただろう?」 「……はい」 「千香彦くんがどう思うか知りたくて尋ねたのは僕のほうだ。不躾なことを聞いて申し訳なかったね」 「そんな、気にしてませんから。どうか謝らないでください」  慌ててそう言うと、立ち上がった修一朗さんが僕の隣に立った。そうして左手を取り、うやうやしい仕草で手の甲に口づける。 「修一朗さん……?」 「僕はβだとかΩだとか関係なく千香彦くんを好きになっただろう。そう、千香彦くんだから好きになったんだ」 「ありがとう、ございます」 「ただ、αの僕に想われることで千香彦くんが悩んでいるんじゃないかと気になってね。今日のような噂話を耳にすることもあるだろうし、そのたびに千香彦くんがつらい思いをするんじゃないかと思うと、僕も胸が痛いんだ」  やっぱり修一朗さんは優しい人だ。僕がβなのは仕方がないことで、修一朗さんまで思い悩むことはない。それなのにこんなにも僕を気遣ってくれている。 「僕は、修一朗さんとこうして一緒にいられるだけで幸せです。これ以上のことを望んだりしたら、きっと罰が当たります」 「きみは昔から欲がないね」 「そうでしょうか」 「明香莉(あかり)ちゃんもそのことを心配していたよ。『千香(ちか)くんには除夜の鐘なんて必要ないのよ』なんて話していたこともあった」 「そんなこと……」  そんなことはない。僕はずっと浅ましい欲を抱いていた。同じ男でαの修一朗さんに思いを寄せ続けていた。それだって立派な欲だ。 「そういうところも、千香彦くんの魅力の一つではあるんだろう。ただ、もっと貪欲になってもいいのにと焦れったく思うときもある」 「修一朗さん?」 「おいで」  そう言って左手を引かれた。促されるまま席を立ち、ソファに腰を下ろした修一朗さんの前に立つ。 「僕は千香彦くんが大好きだ。この先もずっと手放すつもりも予定もないことだけは知っておいてほしい」 「……はい」  言葉が体全体に染み渡るように広がっていく。こんなに想われているのだから、いまさらβだとかΩだとか気にするほうがよくないに違いない。  くいっと手を引かれて座面に片膝をついた。大きな手が頬を撫で、そのままうなじを優しく撫でる。そうして引き寄せられるままにキスをした。チュッと吸われ、唇をちろちろと舐められ、唇を割り開かれて口内をたっぷりと舐め回される。 「ん……んふ、」 「あぁ、声だけで達してしまいそうだよ」 「しゅ、いちろ、さん」  唇が痺れてうまく話せない。 「朝からとんでもない奴だと思われそうだけど……いいかい?」  優しく問われて僕に断ることなんてできるはずがない。小さく頷くと、今度は触れるだけのキスをされた。そうして座っている修一朗さんの膝に乗り上げるように引き寄せられ、ギュッと抱きしめられる。 「前にも言ったとおり、珠守(たまもり)のαは執念深い。あらゆる手を使ってほしいものを手に入れてきたからこそ、いまの地位に上り詰めることができた。そういう貪欲なαの強い血が僕にも流れている。……だから、きっと叶えることができると思うんだ」 「修一朗さん?」  最後のほうがよく聞き取れなかった。聞き返そうとしたけれど、それより先に首筋をかぷりと甘噛みされて掠れた声を漏らしてしまった。
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