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身代わりβの密やかなる恋の行方2
「ぅ……っ、んっ、は……っ」
メリメリと音を立てながらお腹が広がっていくような気がした。拳どころか頭の大きさくらい広がっているんじゃないかと思えて、ますます痛みと苦しさが増していく。
「千香彦くん、やっぱり、」
修一朗さんが言い終わる前に頭を振った。
「でも、」
「続けてください」と言いたかったけれど、口を開くと悲鳴が漏れそうで頭を振り続ける。本当は痛くてたまらない。苦しくて息が詰まりそうになる。それでも僕は続けてほしいと願っていた。
指のときは痛くなかった。変な感じはしたものの、最後は何となく気持ちよかった気がする。だから大丈夫だと思ったのに、実際に後ろを広げられる感覚は想像以上の痛みと恐怖でぐちゃぐちゃになった。痛くて苦しくて自然と涙もあふれてしまう。
そんな僕を見た修一朗さんは「やっぱりやめよう」と言ってくれたけれど、それだけは絶対に嫌だった。
(だって、いまやめたら二度としてもらえないかもしれない)
絶対に叶わない想いだと諦めていたのに、こうして結ばれようとしているのにやめるなんて嫌だ。最後までして、ちゃんと結ばれたい。どんなに痛くても苦しくても、ただのβでしかない僕の体で修一朗さんを感じられるなら我慢できる。
(お願いだから、やめないで)
そう願いながら必死に修一朗さんを見た。涙が滲む目で見つめながら、このまま最後までしてほしいと心の底から願った。
「……ますますきみを手放せなくなりそうだ」
何かをつぶやいた修一朗さんが体を起こした。もしかしてやめてしまうんだろうか。せっかく肌を重ねることができると思ったのに、やっぱりβの男でしかない僕では駄目なんだろうか。
「苦しいかもしれないけど、辛抱できるかい?」
(よかった、やめるわけじゃないんだ)
僕は必死にコクコクと頷いた。力が入らない両腕を何とか持ち上げ、逞しい修一朗さんの腕にそっと触れる。素肌の腕は少ししっとりしていて、もしかして興奮しているからだろうかと思うだけで嬉しくなった。
そのとき、ふわっとした香りが鼻孔をくすぐった。ずっと感じている修一朗さんの香水よりももっと爽やかで、でもそれだけじゃない香り。清々しい中にほんの少し甘さが混じっているような、そんな不思議な香りがする。
(この香り、どこかで……そうだ、前にも嗅いだことがある)
修一朗さんにもらったハンカチから感じた香りだ。すぐに消えてしまったけれど、その後ももらった本やペンからも一瞬だけ感じたことがある。
(香水かと思っていたけど、この香りだったんだ)
大好きな修一朗さんの香りにうっとりしていると、入り込もうとしていた硬いものがズズッと動いて「ひっ」と悲鳴が漏れた。慌てて唇を噛んで声を押し殺す。
(この痛みだって、修一朗さんと結ばれている証だと思えば耐えられる)
そうだ、そう思えばいい。αの修一朗さんがβでしかない僕を抱いてくれているんだから、こんな痛みくらい……そう思いながら、体の奥を押し広げられる感覚を必死に受け止めた。
そうしてどのくらい経っただろうか、修一朗さんの動きが再び止まった。
(もしかして、全部、入った?)
そうだとしたらこんなに嬉しいことはない。僕でも修一朗さんを受け入れることができるのだと誇らしい気持ちにさえなる。
ホッとしたからか、ほんの少し体から力が抜けた。お腹に信じられないくらい力が入っていたことにも気づく。そのお腹の中心に修一朗さんの存在をありありと感じて胸が熱くなった。
(みっちりって感じがする)
僕の中を修一朗さんが満たしているような感覚だ。忙しない僕の鼓動と重なるように、トクトクと脈打っているようにも感じる。
「あぁ、これが修一朗さんなんだ」とうっとりした次の瞬間、お腹の中がぞわっとした。指でいじられたときよりも強烈な刺激に驚く。中を押し開いているものがやけに鮮明に感じられて、お腹の奥がゾクゾクして震えるような何かが体を突き抜けた。
「しゅ、いちろ、さ、」
気がつけば修一朗さんにしがみついていた。自分の体がやけに激しく揺れているのがわかる。あまりの激しさに必死にしがみついたけれど、手が滑って何度も離れてしまいそうになった。そのたびに大きな背中を掻き抱き、両足も使って全身で修一朗さんに抱きついた。
「い……っ」
肩を噛まれて少しだけ意識がはっきりした。そういえば肩や首を何度も噛まれているような気がする。それなのに痛みを感じるのは一瞬で、すぐに気持ちがよくなり意識が飛びそうになった。
「……っ」
今度は首筋を噛まれた。本当なら痛くて怖い行為のはずなのに、噛まれる痛みさえ気持ちがいい。体の内側を押し広げられながらあちこちを噛まれるのが気持ちよくて、そう感じてしまう自分に目眩がした。修一朗さんに抱かれているのだと実感できるからか、噛まれることにも興奮して体がカッカと熱くなる。
「もっと、かん、で」
「きみは、どれだけ僕を虜にするつもり、だろうね」
少し笑っているような修一朗さんの声がすぐそばで聞こえる。直後に耳たぶをカリッと噛まれて顎が上がった。すると、今度はさらけ出したのど仏を甘く噛まれて体が震える。
「すき、しゅうい、ろ、さんが、すき」
「く……っ。ふ……危なかった。ノットまで入れてしまうところだったよ」
「すき、すき」
「意識が飛んでいるのに“好き”だなんて、きみはどれだけ僕を魅了するんだろう。このままでは、この小さな穴にノットまで入れてしまいそうになるよ。……いけない、想像しただけでまた大きくなってしまった」
奥まで押し広げているものが、またビクビク震えているのを感じる。これを感じると、お腹の奥がじんわりしてたまらなく幸せな気持ちになった。
(また、香りが強くなった)
爽やかな香水と、清々しいのに甘いような不思議な香りが混じり合いながら僕を包み込んでいく。その香りが、さっきよりもほんの少し濃いように感じるのは気のせいだろうか。
この香りを嗅ぐと安心できるのに胸がざわついてどうしようもない。このままずっと嗅いでいたくなるような中毒性の高い不思議な香り。
(Ωも、こんなふうに感じるんだろうか)
僕は大きくて熱い体をぎゅうっと抱きしめ、首筋に感じる唇と歯の感触に身を委ねた。
修一朗さんと交わった翌日、僕は腰が抜けて起き上がることができなかった。そのせいで朝からずっと修一朗さんのベッドを占領してしまっている。
それに後ろがジンジンするし、お腹もグルグル音がしてたまにジクジクとした痛みを感じた。そんな僕を心配した修一朗さんが「専用の薬を作らせよう」と何度も難しい顔をする。そこまでしなくても腹痛の漢方薬があれば十分だからと丁重に断った。
二日目になっても足腰が怠くてうまく歩けない。そんな僕を修一朗さんは横抱きにして寝室から連れ出してくれた。
「少し庭でも眺めようか」
そう言って僕を抱きかかえたまま廊下に出る。途中でお手伝いさんたちに見られたときは恥ずかしさのあまり顔を隠してしまったけれど、変に思われなかっただろうか。
(お手伝いさんたちは、いつもみんな笑顔を向けてくれるけど……)
ただのβでしかない僕が、まるでΩや女性のように扱われているのを他人に見られるのは恥ずかしい。これが寳月の家だったら間違いなく失笑や軽蔑の眼差しを向けられていただろう。
「どうかしたかい? ここは日当たりがいいから平気だと思ったんだけど、寒いようなら上着を持ってこようか」
「いえ、大丈夫です」
「本当に?」
心配そうな修一朗さんを見ていると、恥ずかしいと思うことのほうが悪いことのように思えてきた。
(そうだ、僕は修一朗さんの許嫁なんだ)
まだ信じられないけれど、疑い続けるのは修一朗さんに対して失礼になる。
「はい。それに、こうして隣に修一朗さんがいるから寒くないです」
そう答えたら、なぜか修一朗さんが「あー、うん」と言って庭のほうを向いてしまった。
「修一朗さん?」
「あぁいや、やっぱり庭を見ると気分が晴れるね」
そう言って少し照れたように微笑んでいる。その顔があまりに素敵で、僕も慌てて庭を向いて「そうですね」と答えた。
「よかった。庭を見ているときの千香彦くんは柔らかい表情になる。散歩のときもだけど、やっぱり庭だと落ち着くのかな」
「落ち着く……?」
「千香彦くんは庭が好きだっただろう?」
そんな話をしたことがあっただろうか。庭は嫌いではないけれど、好きというほどでもない。
「小さい頃、明香莉ちゃんと庭で花摘みをしているのを何度か見かけたことがある。あのときの笑顔が忘れられなくて、庭なら喜んでくれるかもしれないと思ったんだ」
「それで散歩を……」
たしかによい気分転換になったと思う。でも、実際は修一朗さんが気になって庭を楽しむ余裕なんて僕にはなかった。
「この庭は屋敷の外れにあるから、ここを通るのは部屋が近い僕くらいだ。だから千香彦くんも気を遣わずにいつでも気分転換に来たらいい。あの辺りに寳月家にあった水仙や芍薬を植えたから、来年は楽しめるはずだよ」
「わざわざ植えたんですか?」
「楽しかった庭に似せれば少しでも楽しめるんじゃないかと思ってね。そう願って、庭を眺めながら僕の部屋に来られる道順を教えたんだ」
それであんな遠回りだったのか。しかも僕を思ってのことだったなんて、嬉しくて頬が緩みそうになる。
「そうだ、菊なら鉢を並べればすぐにでも鑑賞できる。たしか叔父のところで大菊の厚物を育てていたはずだ。管物も美しいから、それも取り寄せようか」
菊と聞いて、寳月家の庭を思い出した。秋になると姉の部屋から見えるところに鉢植えの菊が並べられ、重陽の節句の前日に花の上に綿を置くのが僕の役目だった。そうして露を含んだ綿で姉の口や手足を拭い邪気を払う。
(それで姉さんは元気になるんだと、小さい頃は本気で思っていたっけ)
真剣な顔で手足を拭う僕を、姉はいつもニコニコと笑って見ていた。最後に食用の菊花を使ったお茶を一緒に飲んで重陽の行事が終わる。そういえば、お茶を飲みながらいつも「千香くんには、きっとこれからいいことがたくさんあるわ」と言っていたのを思い出した。
(そうか、あれは僕の邪気払いでもあったんだ)
菊花のお茶は姉のために用意されたものだったのだろう。それを姉はこっそりと僕にも飲ませてくれたのだ。そうして毎年、僕に降りかかる邪気が遠のくように祈ってくれていたに違いない。
「千香彦くん?」
「秋になると、姉と菊花を眺めていたことを思い出しました」
「じゃあ、やっぱり菊を取り寄せようか」
「いえ、大丈夫です。咲いている菊を動かすのはかわいそうですから、また来年にしませんか?」
「そうだった。来年も一緒に過ごせるのだから焦る必要はなかったね」
「はい」
「来年は結婚して初めての秋だし、記念にあちこちの菊花展を観に行くのも楽しそうだ。そうだ、御苑の菊花拝観ならいまからでも観に行くことができるよ」
御苑の菊花拝観と聞いて驚いた。あの催しは皇族方が楽しまれるもので、ごく限られた華族しか参加できない。寳月家が参加していたのは戦前までで、そんな大層な催しに僕が行くなんてとんでもない話だ。
そう思って修一朗さんを見ると、なぜか期待するような眼差しで僕を見ていた。そんな顔を見せられるとお供をしたい気持ちになるけれど……駄目だ、やっぱり僕には無理だ。それに大勢に注目されるのも憚られる。
「今年は、二人で庭をのんびり眺めませんか?」
僕の言葉にハッとしたように目を見開いた修一朗さんが、続けて照れ笑いのような表情を浮かべながら「そうだね」と口にした。
「どうやら僕は、思っている以上に舞い上がっているようだ」
修一朗さんも僕と同じような気持ちなんだろうか。そう思うと胸がくすぐったくなってくる。
「そうだ、結婚のことも話しておかないとね」
結婚という言葉に少しだけ身構えた。修一朗さんはできると断言してくれたけれど無理はしてほしくない。結婚という形でなくても僕はもう十分に幸せだ。
「年が明けて、梅が咲く頃には式を挙げよう」
「……え?」
式という言葉に驚いた。
「本当は年内にと思っていたんだけど、兄のところに四人目の子どもが生まれたばかりでね。もう少し大きくなれば乳母に任せられるからと頼み込まれてしまった」
「あの、式というのは、もしかして結婚式のことですか?」
「そうだよ。千香彦くんと僕の結婚式だ。僕の両親に兄と姉、兄の奥方と姉の許嫁も出席する。中には『盛大な結婚式を挙げるべきだ』なんてうるさく言う親戚もいたけど、大事なきみを見せ物にする気はさらさらないから断ったよ」
まさかと驚いた。僕はただのβで、しかも男だ。そんな僕と修一朗さんの結婚式に珠守家の人たちが参列するはずがない。そもそも結婚自体を認めてくれるはずがないと思っていた。
「あの、本当にご家族が出席されるんですか? というか、本当に式を?」
「僕の家族は千香彦くんが来てくれたことを心から喜んでいる。ようやく売れ残りの引き取り手が見つかった、なんて意地悪を言うくらいだ」
「でも、」
「それに、式を挙げれば都留原のご隠居にしつこくされることもなくなる。正直、兄姉もご隠居にはうんざりしていたんだ。ご隠居は僕というより珠守家と縁続きになりたいだけでね。僕のところに来ても、すぐに兄姉に会いたがる」
「困った人だよ」と苦笑しているけれど、横顔は随分疲れているように見える。それだけ何度も訪問を受けたということなのだろう。
「そんなとき、千香彦くんと結婚できる状況が整った。僕にとっては想い人と結婚できる最良の出来事だし、家族にとってきみは救いの神になったというわけだよ」
「そんなことは……」
それに救いの神というなら修一朗さんのほうだ。姉を亡くし、ますます存在価値がなくなった僕に手を差し伸べてくれた。僕の浅ましい思いを受け入れてもくれた。
「あの、都留原家のほうは本当に大丈夫なんですか?」
僕の言葉に、修一朗さんは「何も問題ないさ」と笑う。
「僕の婚約者は千香彦くんだけだ。ご隠居にも伝えたし、もう朝っぱらから屋敷にやって来ることもない」
「伝えたって、まさか僕のことを話したんですか?」
「もちろんだとも。それに僕が結婚することは公にしている。これでうるさく言い始めた人たちも口をつぐむだろう」
「公にって」
「おかげで寳月家の男子はΩだったのかと、あちこちで噂されているようだけどね」
まさか、そんなことがあるはずがない。これまで散々「美人なのにβなのは残念だ」と言われてきたし、大勢の人たちが僕がβだということを知っている。それなのに僕と結婚するのだと公にしては、修一朗さんが男色に走ったと悪く言われてしまうんじゃないだろうか。
「大丈夫、千香彦くんのことは僕が守る。それに寳月家も何も言わない。寳月家が口を閉ざせば、もしや本当にΩだったのかと誰もが思い始める」
「でも、父が何も言わないはずが、」
「言わないよ。そうすれば寳月家は珠守家に連なることができるからね。千香彦くんが僕と結婚することこそがお父上の望みであり、そのためならあの世まで口をつぐんでくれるだろう。僕はそう考えているし、それが僕の望みだ」
父はそうだとしても、僕のことを知っている人たちが黙っているはずがない。華族社会には、落ちぶれてなお足掻く寳月家のことを快く思わない人たちもいるはずだ。
「それに兄も姉も千香彦くんに夢中なんだ。こんなに美しく可愛い弟ができるなんてよくやったと、何度褒められたことか」
「え? あの、意味が、よくわからないんですが」
「散歩しているところを覗き見するなんて、あの人たちも行儀が悪い」
そう言いながらも修一朗さんは笑っている。
「兄や姉が『よい縁談だ』と口にすれば誰もが納得する。親戚も周囲の誰もがだ。わざわざ珠守家の機嫌を損ねようとは誰も思わない」
修一朗さんの兄姉は優秀なαだと聞いている。いまの珠守家を動かしているのはこの二人だとも聞いた。その二人が口を揃えてそう言えば周囲は黙るのかもしれない。それでも、僕のことをよく知らない二人がそうまでしてくれる理由がわからなかった。
「僕は千香彦くんと添い遂げたいと本気で思っている。この気持ちは家族にきちんと話したし、僕の望みを家族は理解してくれている。それにね、珠守のαは執念深いんだ。その欲を受け止められる人はあまりいない」
最後の意味はよくわからなかったけれど、そうまでして僕を求めてくれる修一朗さんに胸が一杯になった。こんなにも僕を思っていてくれたのかと思うと目頭が熱くなる。
「役所への届け出は年内に済ませよう。そうしないと安心できない」
「安心できないって……。別に、そんなに急がなくても」
「魅力的な千香彦くんが誰かに奪われるんじゃないかと気が気でないんだ。心の狭い男だと笑ってくれてもいい」
「そんな、嬉しいと思いこそすれ、笑うだなんて」
そう答えたら、ぎゅっと抱きしめられた。顔を埋めた修一朗さんからふわりといい香りが漂い、僕の鼻をくすぐる。
(前と少し違う香りがするような……)
これはいつも嗅いでいた香水じゃない。そういえば、昨日もこの香りがしていた気がする。
(清々しくて、それに少し甘い不思議な香り……)
以前の香水も好きだったけれど、いまはこの香りのほうが安心できる気がした。
(βの男でしかない僕が、本当に修一朗さんと結婚できるなんて)
本音を言うなら、まだ信じられない。だけど、こうして僕を抱きしめてくれる修一朗さんのことは信じたい。そう思ってそっと抱きしめ返した。
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