鍛冶屋の望春

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「白娘、朝だ……今日は雨が降る」  川の水面が朝日を受けて白み出した頃、郷堂は何食わぬ顔で襟元を正す。 「はい」 「……いつものように帰りは遅い」  今まで夢見心地で放心していた白娘は郷堂に気付かれないように瞳に生気を取り戻すと、深く呼吸を整えてから静かに「承知しました」とだけ答えた。  郷堂はここらの一帯を治めている領主でもある。  自然豊かな土地は肥沃だったが、その中で1番の恵みでありながら1番の厄介ものが居座っていた。  郷堂の御屋敷の裏手に流れる大きな川。  大きいだけで特にこれといった特徴もないその川の水質は透き通っており、その水を田圃や畑に取って行われる農業はこの土地の唯一の強みである。  しかしながら、少しの雨が一帯を湿らすだけで水流を増すこの川の厄介な習性のせいで、何度も家屋が濁流に流されたのもまた事実であった。  その時、たまたまこの地で起きた戦で負傷して介抱された武士の1人だった郷堂は、都で培った技術を持ち出して山の麓に水門を作ると、瞬く間に村人の英雄となってこの地の領主に担ぎ上げられ今に至る。  郷堂は強欲で、執念深い男だった。  白娘が郷堂と出会う2年前──郷堂は水門を作るにあたって、村のそこらから腕の良い職人を集めては的確に指示を出し、立派で頑丈な水門を7日もしないうちに作り上げさせた。  しかし、郷堂はそれらに褒美を与えるどころか、その晩には全ての職人をあっさりと斬り殺してしまう。  門の構造の秘匿性と、それを知っているのが自身だけという優越感に加え、この地の要となるであろう門を支配する事によって生まれる独占欲──。  あまりにも身勝手で傲慢、冷徹と名高い郷堂であるが、そのお陰で雨が降る日は水門を閉じに自ら山の麓まで出向かなくてはならない。  山の麓まで行くには、早朝に馬を走らせて向かっても夜更けにしか戻れないので、流石の郷堂も白娘と夜伽に興じる事は出来なかった。  だからこそ白娘は、雨が降るのが待ち遠しい。  もうとっくの昔に捨ててしまったはずの極彩色の愛情に恋焦がれる気持ちは、天から降り注ぐ恵みの雫に向けられる。  白娘は、曇りゆく空を眺める郷堂の後ろ姿を、ただただ静かに見つめた。
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