郷堂の御屋敷

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 恋鋼川がまだ無名の川であった頃、その近くには大きな御屋敷があった。  その屋敷には『郷堂』というやり手であるが冷淡な主人が住んでいて、彼は形式の嫁を数年前に娶ったものの、結局妻は郷堂の人の血も通わぬ残忍さにあれ荒んで自害している。  でもそれは、いや、それすら郷堂にとってはとても些細な事だった。 「……今日も参ったぞ」  飼い猫を呼び付けるような優しい郷堂の声が、屋敷の奥の奥に設けられた薄暗い座敷牢に響く。  座敷牢には顔ぐらいの大きさの小さな小さな窓があるものの、そこから見えるのはゆったりと流れる川の水面ぐらいで、少しでも日が傾いて仕舞えば採光するのは難しい。  拙い光に縋って灯された蝋燭の僅かな炎が揺れるその奥で、雨垂れが小石を打つように一際か弱く「……はい」と返事が聞こえる。  郷堂はこの返事に満足げに微笑むと、手にしていた太い蝋燭の火を屋敷牢の側ある灯籠に移して、意地の悪い声で「近う寄れや……白娘」と目を細めた。  鉄と木で組み合わさったその牢は頑強で禍々しいが、しかしして木目の隅々まで綺麗な細工が施されている。  そんな大仰な工芸品に捕らえられた女──白娘は、大事に管理された籠の鳥に他ならない。  色素変異体。  今でこそ『アルビノ』という名称が浸透しているが、この時代でその存在は珍妙だった。長くしなやかな髪の先から小指の爪先まで純白の少女は、屋敷牢の中で力無く笑う。  郷堂は外からしか開閉できない牢獄の鍵穴に鍵を差し込んで回すと、白娘の前にかがみ込んで品定めをするように顎を持ち上げた。 「やはり上玉……今日も恐ろしいくらいに美しい」  口の両端を三日月のような弓形に持ち上げた郷堂は、そのまま白娘に唇を寄せて無理矢理舌を絡ませる。  白娘は抵抗する事なく、郷堂の熱く苦しいぐらいの勢いを一身に受けて身を捩った。  静謐な室内には言いようのない水音と、荒々しい呼吸だけがこだまして、麻薬のように善良な道徳心が麻痺した郷堂は舌を口内に収めることなく透明な唾液の糸を引く。  それからクラクラとする程透き通る白娘の耳朶を舐めて噛むと、白娘は声こそ上げないが両目を瞑って哀愁漂う表情で郷堂を見つめる。 「ほら……綺麗な跡が残った」  初雪を踏み締める様な、何処か神聖で背徳感のあるその光景に興奮した郷堂は、白娘が着ている美麗な着物の襟口から手を滑り込ませて、今度は無防備に曝け出された首筋を噛む。  ありありと赤く痛々しい噛み跡が白娘を苛む営みが繰り返されるのは、残念ながら今日だけのことではない。  そう、郷堂は白娘を愛していた。それは人としてでは無く、自分だけの家畜として。
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