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私立伊之泉杜学園の高等部校舎の東端に、生徒指導室は位置している。その中は今、息が詰まるような緊張感に包まれていた。目隠し用の衝立があるせいで壁が近く感じて狭苦しい。部屋の中央には1台の机と、それを挟んで椅子が2脚置かれている。その1脚に、牟児津 真白は腰掛けていた。
両手を膝の上で固く握り、脚をぴったり揃えて座面の裏に沿わせていた。見開かれた目は正面ではなく、何もない机の上を凝視している。
「お前がやったのか?」
川路 利佳は牟児津の顔を覗き込んだ。牟児津よりも更に大きく目を見開いて、相手を押しつぶすような眼光を浴びせかけた。不用意なことを口走ればただでは済まない、とでも言うようだった。牟児津にとって川路の圧迫聴取は何度目かになるが、一切慣れることなく、毎回新鮮にビビり散らかしていた。今回も例に漏れず、緊張のあまり口をパクパクさせて、滝のような汗を流すばかりだ。
「川路先輩。それじゃムジツさんは喋れないんですって」
てんで話にならない牟児津を見かねて、隣に座っていた瓜生田 李下が口を開いた。瓜生田は、牟児津とは物心つく前からの幼馴染みである。牟児津より1つ年下でありながら、牟児津より遥かにしっかりしている、頼れる後輩だ。
「まず、どうしてムジツさんがここに連れて来られたのかをご説明頂かないと、お答えのしようがありません。何度もお伝えしてますよね」
「同じやり取りにうんざりしているのはお互い様だ。なぜ毎度毎度、事件が起きるたびにこいつは私の前に現れる。いっそ捜査妨害で立件してやろうか」
「目撃証言や状況がムジツさんを疑うに足るものなら、それも仕方ないと思いますよ。運が悪いとしか説明できませんし。でも、疑った理由さえ教えてもらえないんじゃ、何について話せばいいかも分からないですか」
「こちらにも事情というものがある。今回はとにかく手当たり次第なんだ」
「ムジツさんの活躍はお耳に入ってますよね。どういう事件か教えていただければ、もしかしたらムジツさんがお力になれるかも」
冗談じゃない、と牟児津は頭飲ん赤で叫んだ。牟児津が望むのは、平和で平穏で平凡な学園生活だ。学園内で起きた事件に巻き込まれるのも、ましてや自ら首を突っ込むなど御免だ。危険で面倒で目立ってしまう。その上、事件解決に貢献したとなれば、また学園新聞の紙面を賑わせてしまう。それは牟児津の理想とは程遠い事態だ。
——しばし、川路は逡巡する。そして。
「……あー、風紀委員は——」
歯切れ悪く切り出した。
「『赤い宝石』を持った生徒を捜している」
「『赤い宝石』?」
「直径3㎝ほどの丸い宝石だ。いま捜査している事件の重要参考人が、それを持っているそうだ。校門で所持品検査をしていたのもそのためだ。あんなもので見つかるようなら苦労せんが」
「ははあ。それで葛飾先輩が、ムジツさんの持ってたあんこ玉を『赤い宝石』と勘違いして通報したんですね」
「朝から学園カバンに生菓子を入れてる奴がいるなどと普通思うか!?紛らわしいことをするな!」
「そんなこと言われても」
「通報を受けて駆けつけてみればまたこいつだ。私だってハズレくじを引いたような気分だ。まったく……どいつもこいつも」
今朝方、学園の校門では風紀委員による所持品検査が行われていた。校門で一度人が貯まるため、学園前の坂道から駅の近くまで生徒による行列ができていた。
そんなときに限って、牟児津は午後のおやつ用にと駅前の塩瀬庵であんこ玉を買っていた。色とりどりのボール状あんこを寒天で包んだものだ。そんな紛らわしいものを持っていたせいで、牟児津は無事に検査に引っ掛かり、こうして取り調べを受ける羽目になったのだった。
何かひとつ違えば平和に一日を過ごせただろうに、致命的な運の悪さだ、と牟児津は自分の運命を嘆いた。それはそれとして、牟児津は気になったことを口にせずにいられなかった。
「あ、あのぅ……」
「なんだ」
「ひっ」
「睨まないでください、先輩。ムジツさんが委縮しちゃうじゃないですか」
「睨んだつもりはない」
ようやく声を発した牟児津は、川路の眼光に射抜かれて、挙げた手をあっさり引っ込めた。何か言いたげな様子を察して川路は視線を逸らし、牟児津に話させるよう顎で瓜生田を促した。瓜生田は牟児津の背中をさすって落ち着かせる。
「ムジツさん、何を言いたかったの?」
「あ……えっと、風紀委員以外にどこが事件の捜査なんかしてるのかな……とか」
「……ん?なんだと?」
「風紀委員だけで捜査してるわけじゃないんですよね。そんなことあるんだなあって」
「あ〜……私は、そんなことを言ったか?」
「えっ、ど、どうすかね」
「言ってないですよ」
牟児津の言葉で、川路は少しだけ目を丸くしてから、小さく舌打ちした。後頭部でキツく結って整えた金髪をガシガシ掻き、椅子の背もたれに身を預けた。
「ならなぜそう思う」
「え、だってさっき手当たり次第って言ってたし、あんこ玉と間違えるくらいざっくりした手掛かりしかないんだなって。あと、そういう手掛かりが曖昧な状況とか、所持品検査とか、川路さんがあんまり納得してない感じがして……他の委員会とかとの兼ね合いで、仕方なくそうしてるのかなって……思いました」
「頭が痛くなるな。田中はこんな気分だったのか」
「ムジツさんはこういう人ですから。ぜひ期待してお話しください」
何の気なしに発した言葉から、伝えるつもりのなかった事実を言い当てられ、川路は頭痛を覚えた。牟児津は、以前は取調べ中にまともな言葉を発することもできない小心者だったはずだ。ここ最近、立て続けに色々な事件に巻き込まれたことで、少なからず精神的にたくましくなったらしい。
図らずも牟児津の成長を目の当たりにしたが、それと事件について話すことは関係ない。川路の態度は変わらない。
「私の一存で話すべきことじゃない」
そう言って、川路は腕を組んだ。
「牟児津の言う通り、この事件に関わっているのは風紀委員だけではない。話すなら、磯手に話を通さなければならない」
「磯手……会計委員長の?」
なぜですか?と瓜生田が尋ねるより先に、指導室の扉が勢いよく開かれた。突然のことに牟児津は座った姿勢のまま椅子から飛び上がった。転げ落ちて椅子の裏に隠れた牟児津は頭を少し覗かせて、瓜生田は体ごと、川路は視線だけを、それぞれ扉の方に向けた。
扉を動かす音は力強いが、勢いのまま壁に叩きつけることはなく、そっと閉めた。ヒールが床を叩く明瞭でキレの良い音が規則正しいテンポで聞こえたかと思うと、その生徒は目隠しにした衝立の裏から現れた。
「邪魔する」
逆三角形のメガネ越しの鋭い眼光が、部屋にいた全員の顔を順番に捉えた。長くない髪をさらにヘアゴムで1つにまとめ、うなじの上で小さく結んでいる。飾り気のない簡素なブラウスのボタンを一番上まで留め、しわひとつないロングパンツが足首まで覆っていた。胸ポケットには黒と赤のペンと物差しが覗いている。
ファイルを抱えた左腕に光る橙色の腕章が、伊之泉杜学園に11ある委員会の一つ、会計委員会に所属する生徒であることを示している。現れたのはその委員会の長、磯手 沙良妃その人であった。
「ここに牟児津真白がいると聞いて来た 髪が赤い方だな?」
ギリギリ聞き取れるくらいの早口だった。磯手は短く確認し、事態が飲み込めずあわあわと口を動かしている牟児津を見た。突然入って来た磯手に、川路は驚くでもなく、追い出すでもなく、黙って首肯した。
「……とても田中副会長に一泡吹かせた人間には見えないな 隣の奴の方がまだ見込みがありそうだ」
「お前が牟児津に何の用だというんだ」
「少し興味があった 生徒会本部会議に名前が挙がる生徒なら知っておいて無駄はないだろう」
「え、なんで私の名前挙がってんのぉ……?」
ますます平穏から遠ざかりそうな事実がひとつ明らかになったところで、磯手は瓜生田からの熱視線に気付いたのか、怪訝そうな表情で視線を隣に移した。
「磯手先輩ですよね?私、1年Aクラスで図書委員の瓜生田李下と申します」
「そうか 用件は」
「実は、ムジツさんはいま川路先輩から取り調べを受けてるんですけど、何の事件で疑いをかけられてるか教えてもらえなくて、正直困ってるんです。
今回の事件は会計委員会も一枚噛んでるんだとか。もし事件の概要だけでも教えて頂けたら、分かることはお伝えできますし、できる限り協力もするつもりです。こう見えてもムジツさんは色んな事件を解決してきた実績があるんですよ!
だけど川路先輩がおっしゃるには、事件の内容は川路先輩の一存で話すべきでないそうなんです。磯手先輩にお話を通さないといけないということだったので、丁度良い機会ですから、お話を伺ってもよろしいですか?」
流れるように、瓜生田は状況説明から磯手へのお願いまでをさっと話した。瓜生田が話している間、磯手は瞬き一つせずに瓜生田を睨み続けた。そして話が終わるやノータイムで、指を3本立てた右手を瓜生田に突き付けた。
「一、用件はと訊かれたら用件だけを答え無駄口をきくな 一、私はこの世の何より無駄が嫌いだ 一、事件について私から話す必要はない 以上」
「はあ……すみません」
「話す必要がないというのはどういうことだ」
「これから全校集会で藤井会長が話す それを伝えに来た」
「なに?」
わざわざそこまですることか、という言葉を川路は飲みこんだ。それを磯手に訊いても仕方がない。それに、藤井のすることには必ずそれなりの理由がある。そもそも風紀委員はこの事件について、牟児津の言うとおり、捜査を支持されている立場だ。ただ使われる立場というのは癇に障るが、事件の性質上、捜査を会計委員会が主導するのは仕方がない。
「委員長自ら伝えに来るとは、会計委員は使いも出せないようだな」
「ついでに牟児津の顔を確認しに来た 同じことを無駄に二度言わせるな」
「ひぃ……」
せめてもの嫌味を吐いた川路に対し、磯手はまたもノータイムで嫌味を返した。牟児津から見れば川路と磯手は雰囲気が似ているが、どうやら2人の仲は良好とは言い難いようだ。磯手が自分の名前を口にするたびに、牟児津は肝が冷える思いだった。
「既に他の生徒は移動を始めている 時間を無駄にするな お前たちも講堂に迎え 川路は私と来い」
「いつからお前は私に指示できる立場になった?風紀委員は決して下働きではない。それくらい分かっておけ」
「うりゅ、うりゅ、早く行こう。行こうったら」
「そだね。それじゃあお先に失礼します〜」
磯手と川路の言葉の応酬は、一言一言が相手に撃ちこむ弾丸のようだった。傍にいた牟児津にとってはその全てが流れ弾のように心臓を痛くさせる。瓜生田の陰に隠れつつさっさと指導室を出て、そのまま講堂へと向かった。朝からこの調子では、今日はまた騒がしい一日になりそうだ。牟児津の諦念にまみれた頭は、そんな考えに囚われてしまった。
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