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「あ、真白さん。お疲れ様です。大丈夫でした?」
「大丈夫なわけあるか!なんで私は毎度毎度こうも面倒ごとに巻き込まれるんだ!今朝は特にひどかった!あんこ玉と宝石を間違えるやつがあるか!このやろ!こまりちゃんのせいだぞ!」
「わーんごめんなさい!って、宝石?なんのことですか?」
「え?」
講堂には全校生徒が学年とクラスごとに整列して集まっていた。牟児津は瓜生田と別れて自分のクラスに合流すると、勘違いした当人である同じクラスの葛飾 こまりに噛み付いた。葛飾はいきなり襲い掛かられて慌てるが、牟児津が何を言っているかは分かっていない様子だった。突然の全校集会で講堂内はざわついており、その会話は周囲にほとんど聞こえていなかった。
「宝石の話、知らないの?」
「知らないって言うか、え?今回の事件に関係あるんですか?」
「ええ……?だって川路さんが……ああもうめんどくせ。いいや、もうすぐ藤井さんから説明があるから」
「へっ、藤井って、藤井会長ですか?わざわざ会長が出て来られるんですか?」
「私もよく知らない。磯手さんが言ってた」
「い、磯手先輩!?……真白さんってホント、なんでそんなに人徳あるんですか。そんなたくさんの生徒会本部の先輩方と仲良くしてる人、3年生にもいらっしゃらないですよ」
「仲良くはしてない!!」
羨みのこもった葛飾の言葉を牟児津は全力で否定した。確かに関わりは多いが、決して仲良くはない。少なくとも牟児津にとって生徒会本部のメンバーと関わるのは面倒事の種でしかない。
ひとりひとりの声は大きくなくとも、それが百人以上の規模になれば、広い講堂を埋め尽くすざわめきになる。この学園でそのざわめきを鎮めることは簡単だ。大声を張り上げる必要も、無言の威圧をかける必要もない。ただひとり、その生徒が舞台に上がれば十分だった。
講堂に設置された舞台の袖から、その生徒は音もなく現れた。白い髪に白い肌、透き通った湖のような碧の瞳は、舞台から離れた場所にもその輝きが届くほどの美しさだった。その生徒が姿を現した瞬間、講堂中は言葉を忘れたように静まり返った。
壇上に用意されたマイクに向かい、伊之泉杜学園生徒会長——藤井 美博は口を開いた。
「全校生徒の皆様、おはようございます。生徒会長の藤井です」
鈴が鳴るような透明感のある声が、眼差しが、聴衆らを包んでいた緊張を一気に弛緩させた。甘ったるいめろめろした空気と、冬の朝のような凜とした空気が綯い交ぜになった不思議な雰囲気があちこちから漂ってくる。講堂を一瞬のうちに甘い緊張感で満たした藤井は、そのまま続けた。
「急な招集に応じて頂き、皆様そして先生方に謝意を申し上げます。朝ですので手短に参りましょう。本招集の目的は2つです。すなわち——」
簡単なあいさつの後、藤井は両の人差し指を自分の左右に立てた。
「喜ばしいお知らせと」
藤井が右手を上に開く。
「喜ばしからざるお知らせです」
藤井が左手を上に開く。
澄んだ声と流れるようなその所作に魅了された聴衆は、すっかり藤井の言葉に耳を傾け、一挙手一投足を注視させられていた。
「先ずは、喜ばしからざるお知らせから」
その言葉を合図に、舞台の上手からプロジェクターが運び込まれた。藤井の背後からするすると降りて来たスクリーンに、プロジェクターが光を投じる。そこに映し出されたのは、学園内のとある場所だった。
それまで藤井に注目していた聴衆の視線は、今度は映像に釘付けになった。
「皆様ご存知のことと思います。こちらは高等部理事室正面に設置されている像——『アテナの真心』——そのライブ映像です」
それは、大まかに捉えると角の丸い立方体の彫像である。正面には穏やかに微笑む女神の顔が、それ以外の面には衣のしわや羽の1枚1枚が、装飾具としての植物は葉脈まで細かに彫られている、精緻の限りが尽くされた黄金の像だ。頑強なガラスケース内で、紫のクッションの上に安置されている。ガラスケースは縦長で飾り気のない台座の上に設置され、開閉部は南京錠で施錠されていた。
多くの学園生にとって、それは見慣れたものであった。高等部理事室は特別棟にある一室で、理事室自体に用事がある生徒は滅多にいないが、その前を通り過ぎることはよくある。そのとき『アテナの真心』像の前も通り過ぎている。
今の問題はそこではない。女神像は普段、穏やかかつ静かに、その前を通り過ぎる生徒たちを見守っている。だが、今は見たことのない光の明滅を繰り返していた。多くの生徒は、飾り気がないと思っていた台座の正面が、電光掲示板になっていることをそのとき初めて知った。そして今、そこには妙なメッセージが表示されている。
“Congratulation!You did it!”と
「御覧の通り、アテナ像は目下、謎のメッセージを表示しています」
呆気にとられる聴衆の意識を、藤井が再び自分に向けさせる。
「この件に関し、高等部理事からご指示を賜りました。委細省略致しますが、理事からのご指示の下、幺から会計委員会及び風紀委員会に捜査命令を発しております。今朝方行われていた所持品検査も幺の指示によるものです。驚かせてしまい申し訳ありません。皆様におかれましては、事件解決までの措置についてご容赦いただくとともに、ご協力をお願い申し上げます」
「えっ?それだけ?」
思わず、しかし小さく牟児津はつぶやいた。宝石云々も周知されるものだと思い込んでいたので、藤井が頭を下げてあっさり話し終えたことが意外だった。速やかにプロジェクターは目を閉じ、スクリーンは藤井の頭上に引き上げていった。この流れるような進行から、この話についてこれ以上話すことはしないという藤井の意思さえ感じ取れる気がした。
「では次に、喜ばしいお知らせです。こちらは、直近の大会等で入賞実績を残した部会を表彰するものです」
藤井が進行すると、舞台の上手から表彰状をお盆に乗せた生徒が現れ、マイクと入れ替わりに壇に置いた。その生徒に続いて、幾人かの生徒が舞台袖から一列になって出て来た。ある生徒は黄色い歓声を全身で浴び、ある生徒は聴衆に手を振り返し、ある生徒は緊張した面持ちで居並んでいた。
「この度、表彰状を授与する生徒は4名です」
スタンドから外したマイクを手に持ち、藤井が手のひらで4人を示す。
「皆様から見て左から順にご紹介いたします。まずはパズル研究部1年生、半路 笑さん。彼女は、先日行われた全国高校パズル選手権大会個人の部で優勝なさいました。その卓越した思考能力と判断力、そして不撓不屈の精神をここに表彰します!」
4人の中で最も異彩を放っていた生徒が一番に紹介された。舞台上にいる生徒の中では抜きんでて背が低い。舞台に上がっているにもかかわらずウインドブレーカーに体操着の短パンを履いている。片足に体重を預けて立って顎は尊大に高く上げ、邪魔そうな前髪を右手でいじり、もう片方の手はポケットに突っ込んでいた。どう見ても表彰されるような生徒ではない。が、その生徒は名前を呼ばれると小さく顎を前に突き出した。どうやらお辞儀のつもりらしい。見ている方が冷や汗をかくほど態度が悪い。
藤井は気にせず続ける。
「続いて、陸上部2年生、木鵺 仁美さん。毎年本校の陸上部が参加している陸上記録大会で自己ベストを記録し、同時に大会記録を更新されました。日々の弛まぬ努力及び自律の精神に裏打ちされた素晴らしい功績を表彰します!」
紹介と拍手を浴びた木鵺は、舞台の上で照れ臭そうにお辞儀した。以前の事件で木鵺と知り合っていた牟児津は、無事に大会に出場できたことを知り、他人事ながらほっとした。
「次に、落語研究部3年生、岩尾 椎菜さん。部の活動を通じ、落語家として多くの寄席に出演され、本校の文化貢献に大きく寄与して頂きました。また以前より女子高生落語家として広く知られ、学園の広報面でも多大なご協力を頂いております。岩尾さんの熱心な文化活動と数多くの栄誉を表彰します!」
「ど〜も〜。おおきに〜」
地味な緑色の着物を着た背の高い生徒が、締まりのない笑顔で手を振る。他の3人に比べると一番緊張感がなく、藤井にも気安く言葉を返す。どうやら学園内に収まらない有名人らしいが、世間知らずの牟児津はやはり知らなかった。
「最後に、本校演劇部を代表して、部長の鳳 蕃花さんを表彰致します。つい先日行われた校外公演はもちろん、1年を通じて行われる全国各地での公演を今年度も成功裡に収められました。部長の鳳さんを筆頭に部員の方々の優れた演技、効果的な光と音の演出、素晴らしい脚本等、部としての団結力の上に成る誉れ高き成果を表彰します!」
「ありがとう藤井クン!みんなありがとう!」
鳳が舞台上でポーズを決めると、まるでスポットライトで照らされたように、ひと際輝いて見えた。一部の女子から悲鳴にも似た黄色い歓声が上がり、鳳はキザに微笑んだ。こちらも以前の事件で知り合っていた牟児津は、よくやるわ、と冷めた目で見ていた。
表彰を受ける生徒らの紹介の後、儀礼めいた表彰状の授与式は手短に終わった。最後に全校生徒からの一際大きな拍手が講堂を埋め尽くし、藤井に導かれて生徒たちも舞台袖へと去っていった。
ただ、ひとりを残して。
「あれっ」
藤井が示した2つの話題が終わり、集会も解散かと思ったところで、舞台上にはひとり、表彰状を畳んで懐にしまった岩尾が残っていた。かぶりつきから差し出された座布団を手に取ると、そのまま舞台の中央に敷き、腰かけた。
「え〜、こないに大層な表彰を藤井ちゃんから受けまして、アテには勿体無いなあと思う気持ちが3割、嬉しいなあ頑張ってよかったなあと思う気持ちが3割、照れ臭いなあ思う気持ちが3割、そんなところでございます。今日の仕事はこれで終わりやしもう帰ったろ〜いう気持ちがもう1割ですね。んなはは……まあ帰れまへんけどね。授業あるし」
「おい岩尾!何をしている!下がれ!」
何やら軽妙な語り口で岩尾はさらさらと話し始めた。座布団の上に正座して、帯に差した扇子を取り出し手拭いを膝に置き、さながら高座に上がった落語家だった。舞台袖から川路の声が響くが、止めに入ろうとしたところを藤井が制した。
「お待ちなさい、川路さん。伊之泉杜学園の校是はなんですか」
「なにっ」
「生徒の自主性をこそ重んじるべきです。岩尾さんのしていることが真に不要なことなら、それは全校生徒の皆様が自然に示すものです」
そう言って藤井は聴衆に目を向ける。戸惑いこそすれ、誰ひとり岩尾の話に耳を貸さない者はいない。むしろそこにいる全員が、舞台上に視線と耳を釘付けにされていた。
「藤井ちゃんおおきにねえ。いやしかし川路ちゃんはこわいなあ。あんな顔真っ赤っかにして口ぐわぁ〜開けて、金魚やないねんから。……あとでしばかれるかな?まあええわ。なんぼしばかれても、また草生やすんがアテら芸人の仕事ですから。
上手いこと言うでしょ?これでもアテ、落研の部長してますさかいに、こんなんよう言いますねん。ああ、ちなみにさっき藤井ちゃんが言わはった岩尾っちゅうのは本名で、寄席では芸名で出てますねん。もう2年以上前、アテが落研に入部したとき、当時の部長から頂戴したありがた〜いありがた〜いお名前です。字を申しますから皆さん手のひらに書いてみてください。
まずお祭りで着る法被に、お池の蓮、“高”という字の下の口を“丁”の字に変えた亭を書きますね。それからストーブを焚くのに使う灯油です。これで、法被蓮亭 灯油と読みます。変な名前でしょ。せやからアテ聞きましてん。
『なんでこんなおかしな名前つけはるんですか?』『そらあんた、今日が誕生日やからやないの』『いや、アテの誕生日は今日と違たかなあ思いますけど』『何言うてんの、あんたのちゃうよ』『あ、ほな部長さんのですかね。こらまたおめでとうございます』『私ともちゃうよ』『ほなどなたの誕生日ですの』『うちの犬や』
ほんまにあのボケ……なんて思ったこともありませんよ。ありがた〜い、大事に大事にせなあかん名前です。大切に使わせてもうてます。ですから皆さん気軽に、灯油ちゃんって呼んでくださいね。お願いしますよ。
さて、まあ〜皆さんどないでっか。長いこと座ってお尻は疲れておまへんか。楽にしてくださいよ。ちょっと一席お付合い頂きたいなあ思いましてね。まあ、他愛のないアホな話です。この頃はぁ、なんやどこぞの黒板が消されたぁやの、真っ白な忍者が出たぁやの、部室のカギがのうなったぁやの、何かと賑やかで退屈しまへんなぁ。今度はキンキラキンの女神像がおかしなったんやて。ほんまに、けったいなことばかり起きる学園ですわ。ただまあ、お化けや妖怪が悪さしてるわけでもなしに、こないな事件の裏には必ず犯人ゆうもんがいてますわな。
犯人だけならまだしも近頃は探偵もいるなんて噂をよう小耳に挟みます。事件あるところに探偵あり、マンガやドラマの定番ですねえ。そういうときに、多くの方は探偵を応援しはると思います。けどね、アテは違うんです。別に犯人を応援してるわけやないですよ?探偵がこわいんですわ。探偵いう仕事はぁ、なんやちょっとでも怪しいなあ思たら、重箱の隅を突っつくような意地のわる〜い質問しよるでしょ。あと死体なんかもべたべた触ったりするでしよ。あとは推理するときに独り言ぶつぶつ言うたり。いきなりあちこちにチョークで計算式書いたり。しまいには犯人に向かって、お前はああしてこうしてあの人を殺しよったんやー!って。そんなん想像してるお前がこわいわ。そんな風に思ってしまいます。
まあ、犯人がこわい。探偵がこわい。風紀委員がこわい。人それぞれでございます。他人の感覚っちゅうもんはわからんものです。世の中には、なんでそんなもんがこわいねんと思うようなことを言うもんもおりまして——しっかし暑いなァ。夏ってのァどうしてこんなに暑いんだろうねぇ。お天道さんも毎日毎日昇って来ねェでたまにゃ休んだりしねェのかい——」
テンポよく、しかし聞き取りやすく、灯油の話は続いた。藤井が壇上にいた時間よりもはるかに長く、だがその長さを感じさせない軽快な話しぶりは、全校集会をゲリラ寄席に変えた。突然の一席に戸惑っていた生徒たちも、灯油の語り口で次第に緊張を解されていき、大きく口を開けて笑う者も現れた。
「あっ——あった……ひとつだけ……!ああ!あったあった。ひとつだけど〜〜〜してもこわくてたまらねェもんが。へへへ、ほうら見てみろ。人間なァ誰にでもこえェもんの1つや2つあるもんなんだよ。こわいもののねえヤツなんかいてたまるかい。で、何がこえんだ?あ、あの……あれだほら。あ、アンこをな?こう、く、く、包んで蒸したホレ……。なんだいそりゃ、まんじゅうかい?あああ言わないでェン!あ〜もう名前を聞くのもこえェんだおれァ!」
威勢のいい男。気の弱い男。お気楽な男。強面で寡黙な男。灯油はそれらを声色と話し口調、表情、仕草、視線……あらゆる方法を使って演じ分ける。次から次へ登場人物と場面が転換していく様は、全てをひとりで演じているとは思えない情景の広がりを感じさせた。気が付けば、話はサゲに差し掛かっていた。
「——今は熱いお茶が一杯こわい」
講堂に笑いが広がる。何人かが始めた拍手が次第に伝播し、講堂中を包む喝采へと変わった。灯油はにやりと笑って頭を上げる。
「え〜、もうじき全日本学生寄席大会いうのがありまして、落研はそれに向けて毎日毎晩稽古を頑張っております。濃い〜お茶は出まへんけど、興味のある人は遊びに来てくれたらと思います。今日は皆さんほんまにありがとうございました〜。ほな、またね〜」
気さくに手を振りながら、灯油は座布団を持って舞台袖に去って行った。結局、全校生徒が一席まるまるを聞いてしまった。
予定より大幅に延びた全校集会は既に朝いちばんの授業時間の半分ほどに食い込んでおり、そこから解散して教室に生徒が戻るころには次の授業が始まる直前だった。
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