第1話「犯人、アテかもせえへん」

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「ムジツさん、落研の部室に行ってみようよ」 「なんでよ」  午前の授業が終わり、牟児津は一緒に昼食を摂るため瓜生田のいる教室を訪ねた。顔を合わせるや否や、瓜生田は唐突な提案をした。誘うなら食堂か購買だろうと牟児津は思うが、瓜生田の目的は昼食を摂ることではなかった。 「今朝の灯油先輩の話聞いてたでしょ?あれ、たぶん灯油先輩なりのSOSだよ」 「いやいや、普通に落語しただけでしょ。それでも十分意味分かんないけど」 「そう、意味が分からないの。なんで灯油先輩はあの場で落語を披露する必要があったのか。きっと意味があるはずだよ」 「そうかなあ。まあ意味があったとして、なんで落研に行きたくなるの」 「灯油先輩が探偵を求めてるから。これはもうムジツさんが行かなきゃ誰が行くって感じだよね」 「……うりゅ、ヘンな電波でも受信した?大丈夫?」 「もう、スイッチ入らないと察しが悪いなあ」  なかなか牟児津が理解しないことにやきもきしながら、瓜生田は順を追って説明することにした。 「噺に入る前に、前段のおしゃべりがあったでしょ。そこで灯油先輩は、探偵がこわいってことを言ってたじゃん」 「言ってたね。でもあれは噺に入るための前口上っていうか、冗談みたいなもんでしょ」 「でも、探偵がこわいっていう部分は必要じゃなかったよ。普通に犯人がこわいって話から入ってもいいのに、わざわざそれを挟んだのには、きっと意味がある」 「それが、探偵を求めてるってこと?」 「そうだよ。探偵がこわいって話から「まんじゅうこわい』に入ったでしょ。つまりその前段の話でも、“こわい”は“好き”とか“ほしい”って意味になるんだよ」 「う〜ん……うりゅが言うならそうかも知んないな。けど……」 「けど?」 「それでもなんで私が行かなきゃいけないの。別に私、探偵じゃないし」 「まだそんなこと言ってるの?ムジツさんはもう立派に探偵なんだよ。自信持って」 「自信ないわけじゃなくて探偵になんかなりたくないってんだよ!」  牟児津の抗議も空しく、その小さな体は瓜生田にひょいと抱えられた。体力のない瓜生田でも、牟児津を抱え上げて運ぶのはお手のものだ。 「わーっ!なにすんだ!」 「ほら、危ないから暴れないの。困ってる人がいたら助けてあげるのが、力を持つ人の責任なんだよ」 「そんな責任負わされるほどの力なんか持っちゃいね〜〜〜!」  ばたばた暴れる牟児津を、瓜生田はえっちらおっちら部室棟まで連行した。はじめは抵抗していた牟児津も、次第に無力感からぐったりと項垂れて、落語研究部の部室前に着いたときにはすっかり大人しくなっていた。  落語研究部は学園創設まもなくから続く歴史の深い部で、部室は部室棟3階の角部屋という一等地を確保している。歴史の長さ故か、あるいは部の雰囲気作りのためか、部屋の入口は障子になっており、履物を脱ぐための簀子(すのこ)が用意されていた。障子の紙を透けて光が漏れており、中からは人の気配がする。どうやら部員が在室しているらしい。 「なんだこりゃあ」 「一休さんみたいだね。落研らしい」  障子を開けて声をかければ、灯油が探偵を呼んでいるという瓜生田の考えが正しいかは簡単に検証できる。しかし障子に貼られた一枚の紙がそれを妨げていた。どうにも無視できない位置に、どうにも無視できない一文が書かれていた。牟児津は戸惑いの声を、瓜生田は乾いた笑いを漏らした。 「“このとひらくべからず”だってよ。開けるなってことだ。きっと落語の稽古で忙しいから部外者は来るなって意味だよ」 「まさか。灯油先輩は遊びに来てねっておっしゃってたよ」 「来てねって言っといてこれはおかしいでしょ!」 「おかしいよ。だからこれは、とんちで開けてみろってこと。ムジツさんは試されてるんだよ。灯油先輩が求めた探偵として相応しい資質があるかをさ」 「なんで試されなきゃいけないんだ!こっちは初めから乗り気じゃないんだよ!」 「でも困ったね。橋なら真ん中を通ればいいけど、戸は開かないと入れないからなあ」 「ね、うりゅ。もう諦めて帰ろ。お昼食べよ」  面倒なことに巻き込まれる前に諦めさせたい牟児津は、瓜生田の袖を引っ張って退散を促す。それでも瓜生田はびくともせず、障子に貼られた一文を睨み続けていた。しばらく頭の中で格闘するが、糸口すらつかめない。瓜生田は決して頭の悪い生徒ではなかったが、頭の柔らかさが必要ななぞなぞは得意ではなかった。  そうして落語研究部の部室前でとんちと戦っていると。 「ふはーっはっはっは!困っているようだな牟児津真白!」  瓜生田にとっては心強い、牟児津にとっては更なる面倒を呼びそうな応援が現れた。その声は、部室棟の廊下の隅から隅まで響き渡るほど過剰に大きかった。 「どうやらお前より私の方が優れた探偵であることを示す絶好の機会のようだ!そこをどけい!」 「ホームズ、廊下ではお静かに」 「げっ」 「びっくりしたぁ……家逗(いえず)先輩と羽村(はねむら)さんじゃないですか」  高らかな笑い声に驚いて、牟児津と瓜生田は同時に飛びあがった。振り向いた先には、えんじ色のインバネスコートに身を包んだ家逗(いえず) 詩愛呂(しあろ)と、ゴスロリ風に改造した制服を着た羽村(はねむら) 知恩(ちおん)が立っていた。  学園きっての名探偵を自称する家逗は、様々な事件を解決して名声を高めている牟児津に一方的にライバル意識を燃やしている。羽村はそんな家逗の傍について手綱を握る役だ。流されるまま事件に巻き込まれて仕方なく解決している牟児津は、家逗も羽村も厄介事を運んでくる2人組としか認識していなかった。 「お二人がこちらにいらっしゃるということは、やはり灯油様のお話には探偵募集のメッセージが込められていたということですね」 「羽村さんもそう思ったの?なぁんだ、抜け駆けしたつもりだったのに」 「え、どゆこと」 「ムジツさんがいち早く灯油先輩のメッセージに気付いて力になってあげたら、探偵同好会にリードを取れるでしょ。逆もまた然りってことだよ」 「はっはっは!そんな姑息な手段で我々を出し抜こうとは、考えが甘いのだよ!」 「姑息の使い方が違います、ホームズ」 「なんで私の周りはこんなんばっかなんだ!誰が好き好んで事件に首突っ込むんだよ!もう勘弁してくれ〜〜〜!!」  探偵同好会が現れたことで場が一気にやかましくなる。灯油の話からメッセージを感じ取ったのが瓜生田だけではないことで、この先に入ると面倒ごとに巻き込まれる可能性がかなり大きくなった。たまらず牟児津は頭を抱えて叫ぶ。が、勘弁してくれる者はひとりもいない。 「それで、君たちは部室の前で何をしていたのかね?怖じ気づいたか?」 「入口の障子にこんな貼り紙がしてあって、どう言って入ろうか困っていたんです」 「なに?」  家逗は大きな虫眼鏡を取り出すと、障子に貼りだされた紙を大袈裟に覗き込んだ。この虫眼鏡のせいで散々な目にあったというのに、性懲りもなく携帯しているようだ。家逗にとっては喉元すぎて忘れた熱さよりも、探偵らしくあることの方が重要らしい。 「“このとひらくべからず”……ふむ、なるほど。実に興味深い謎だ。これを解かなければ障子は開かないということだな」 「開かないことはないですけど、灯油先輩が探偵を呼び寄せたってことを考えると、力試し的な意味で貼りだされてるんだと思います」 「よろしい。ではさっそく中に入るとしよう」 「えっ?話聞いてた?」 「灯油君!入るぞ!」  牟児津が制止しようとするのも聞かず、家逗は上履きを脱いで簀子に上がり、障子を思いっきり開いた。枠と柱が衝突して気持ちの良い音がし、それと同時に室内全ての視線が出入り口に集まる。堂々たる仁王立ちの家逗は、一同驚愕の様子を満足げに眺めていた。  そんな家逗のちょうど真正面に、細い目をさらに細めて鎮座する着物姿の生徒がいた。今朝の集会で唐突な一席を披露した緑色の着物の落語家、落語研究部部長の法被蓮亭灯油であった。目を丸くする部員らと違い、余裕の笑みを浮かべて家逗を正視していた。 「なんや、しゃろ子やないの。枠が傷むからそない強う開けんといてえな」 「すまないね。知っての通り、私は謎を前にすると興奮を抑えきれない質なのだ。つい力が入ってしまった」 「さよか。で、入ってきたいうことは、障子のとんちは解けたいうことやんな?聞かせてもらおか」 「もちろんだとも」  部室の外から覗いていた牟児津は、一日に二度も上級生同士の睨み合いを前にして、胃の痛みが腸を下って具合が悪くなって来た。磯手と川路に比べればどちらも刺々しさはないものの、灯油からは油断ならない雰囲気が感じられた。家逗の無鉄砲さで空気が弛んでいることが救いになるくらいだ。 「君はあの文章を“この戸開くべからず”と読ませたかったようだが、それなら敢えてひらがなで書く必要はない。つまりこれは、異なる読み方をしてみせよ、という問題だと捉えられる」 「そりゃそうでしょ。わざわざ言うことか?」 「しっ。ホームズのとんちを最後まで聞いてあげてください」 「この問題が、集まった有象無象の探偵気取りから本物の探偵を選抜する目的なのだとしたら、当然その意図が問題の中にも含まれていると考えるべきだ。すなわち、謎を解いた上で大いなる謎に挑む探偵としての胆力を問うたものになるはずだ!そう!あの文章は“この問ひ楽べからず”、この問題は楽ではないぞという警告文と読める!」 「へえ」 「謎が解けた上で簡単ではない問題に挑む、まさに真の探偵に相応しい者こそこの戸を開くべし、という問題なのだ!どうだ参ったか!」 「……微妙じゃない?」 「とんちっていうかとんちんかんじゃん」  朗々と家逗は自説を展開する。対する灯油は家逗に指をさされても身じろぎひとつしない。後ろで聞いていた牟児津たちは一様に首を傾げた。家逗の取って付けたような主張では納得感が薄い。フォロワーである羽村でさえため息を吐く始末だ。  しかし、灯油は不敵な笑みをいっそう深めた。 「ま、ええやろ。しゃろ子にしては上手いこと言えたんちゃう?」 「ふふっ。なに、初歩的なことだ、(クラスメイト)よ」 「ホームズ、そのレベルで胸を張らないでください。恥ずかしいです」 「自分ら一番乗りやしサービスしとくわ。ささ、後ろの子ぉらも入りぃな。弁当はあるか?ない?ほな待ちや。園泊用の備蓄があったやろ。吹逸(すいいつ)!」 「は、はい!」 「お邪魔します」  どうやら家逗のやっつけとんちは灯油に受け入れられたらしい。指示を受けた部員が奥へ引っ込んでいる間に、牟児津たちは灯油に招かれて落語研究会の部室に上がった。  部室は全体的に和風にまとめられていた。床は廊下より一段高い畳敷きになっていて、部屋の奥にはさらにもう一段高くした高座が設けられていた。灯油をはじめとして多くの部員が勢揃いしており、全員が色とりどりの、しかし決して派手すぎない着物を着ていた。壁際には公衆浴場の脱衣所のような棚が並び、畳まれた屏風や()()()や見台が隅の方に片付けられていた。 「正直あんまり期待してへんかってん。2組も来てくれたんは僥倖やわ。狭いところやけどゆっくりしてってや」 「灯油姐さん。こちら、おにぎりです」 「はいご苦労さん。自分らお昼まだなんやろ?食べよし」 「ありがとうございます。いただきます」 「なんでこんなにおにぎりがあんの」 「もうじき大会やから学園に泊まって稽古すんねん。今の時期は文化系の大会が集中しとるし、文化部はだいたい園泊しとんのちゃう?まあそういうわけやから晩飯の準備はしとかんとな。ああ、ええのええの。またうちの若いもん使いに出すだけやから、遠慮せんと食べぇな。ん?園泊許可?ちゃあんと田中ちゃんに話通してるで?当ったり前やないの!勝手に泊まったらブチ怒らせて可愛い田中ちゃんの顔に小皺ができてまうよ!んなっはっは!……まあ、落研は実績もあるし由緒正しい部やから、事後申請でもなんとかなるんよ他の部ではそうはいかんやろなぁ」 「もぐ……前置きは結構だ!昼休みは短いぞ。我々を呼び寄せた理由を話したまえ」 「一口で食いよった!ほんまおもろい子ぉやなあ、しゃろ子!」  よく喋る人だ、と牟児津は既に気疲れしていた。一方的に話されるのは、相手が話終わるタイミングが分からなくて疲れる。かと言って牟児津もあまり自分から話すタイプではない。こういう話したがりのタイプの人間は、牟児津には上手な扱い方が分からない。  家逗は待ちきれないといった様子で、手のひらほどの大きさのおにぎりを一口で飲み込んだ後、本題を促した。灯油はひとしきり笑った後、すっと落ち着いて静まり返った。 「せやな。はよ話さんとな。そっちの赤髪の子ぉは牟児津ちゃんやろ?学園新聞でよう見る顔や」 「え、あ、はあ、ども」 「ここに来たっちゅうことは、アテの目的もなんとなく察しがついてるんやと思う。実は、あんたたちに解決してほしい事件があんねん」 「ふふ、そうこなくてはな!」  鬱陶しいほどよく喋っていた灯油が、急に静かな喋り方に切り替えた。それだけで牟児津は、ここから先の話は今までと違って真剣に聞かなければならないと感じさせられた。どことなく灯油の纏う雰囲気も怪しげになったような気がする。 「で、その事件なんやけどな——」  灯油がようやく本題に入ろうとしたまさにそのとき。 「おじゃッしまァッ!!こちらにムジツ先輩は来てませんでしょうか!?」 「おぎゃあっ!?」  牟児津の背後から耳障りな大声とともに障子が勢いよく開かれた。木の枠と柱がぶつかる威勢の良い音、金属同士を打ち鳴らすようなカンカン声、ガサツに畳を踏みつけるどかどかいう足音、そんな不意の大音声の嵐で、部室内は一気にひっくり返った。 「おおっ!いたいた!やっぱり落研に来てましたか!先輩のクラスにも瓜生田さんのクラスにもいないからどこ行ったかと思えば!」 「あ〜、びっくりした。どうしたの益子(ますこ)さん?」  現れたのは、ジャケットの袖を胸の前で結んで肩にかけ、チョコレート色の髪にハンチング帽を被り、腰に下げたポシェットからは分厚い手帳が覗く、活発な新聞記者だった。新聞部に所属し、牟児津の番記者を務めて事件のたびに何かと付き纏ってくる、益子(ますこ) 実耶(みや)である。 「今回の事件に関してムジツ先輩を取材させてもらおうと思って捜してたんですよ!どうせまた巻き込まれてるんでしょう?とぼけても無駄ですよ!今朝方、風紀委員に連行されるムジツ先輩を目撃したという証言を多数確認していますからね!」 「あんた引っ掻き回すだけだからヤなんだよ……」 「まあそう言わずに!さあさあ!捜査に行きましょうよ!」 「待ちい」  ひっくり返った牟児津の脇を持って、益子が部室の外へ連れ出そうとする。しかしそれは、灯油の冷たい一言で止められた。 「あんた、寺屋成ちゃんとこの子ぉやんな?牟児津ちゃんはいまアテと話してんねんで?」 「おっと!これはこれは灯油先輩!お噂はかねがね!ってお話中でしたか。これは失礼!ではお話が終わるまでここで待たせてもらいます!」 「ただで待つっちゅうんはあかんな、ルール違反や」 「なんですと!?報道の自由への挑戦ですか!」 「立場が悪くなるとすぐそういうこと言う」 「そこの入口の貼り紙、見たやろ?」  灯油は、話の邪魔をされたことよりも、益子が貼り紙を無視して入ってきたことを注意していた。落語研究部の部室に入る以上は自分のルールに従わなければ、入室を認めるわけにはいかない。 「ルールを守るんやったら別にかめへんよ。けど、アテを納得させる答えが出せへんねやったら、そのときは出て行ってもらうで」 「勝手なことを!あくまで私は新聞記者として報道の自由を行使させていただきますよ!正義のジャーナリズムは全てに優越するのです!貼り紙など問題になりません!」 「貼り紙の文字はこうや。ひらがなで“このとひらくべからず”。ほな、なんで自分は入ってきたんや?」 「ハッ!馬鹿馬鹿しいですね!」 「馬鹿馬鹿しいとは何事や」 「だってそうでしょう!そんなものは()()()()です!」  益子はそう言い切ると、ふんと鼻息荒く居直った。3年生相手によくこんなでかい態度が取れるな、と牟児津は冷や汗が止まらなかった。が、灯油は束の間の沈黙の後。 「んはっ——んなっはっはっは!!」  破顔一笑——大声で笑った。牟児津らはぽかんとした顔で、益子は得意げに、そして他の落研部員たちは呆れと感心が半分ずつ混じった表情で灯油と益子を見比べていた。 「はっはっは!こりゃ一本とられてもうたなあ!益子ちゃんやったか?待っててええよ。というかこっち来て一緒に話聞きぃな」 「おっ、ありがとうございまーす!じゃ、お言葉に甘えて!」 「なんなんだこいつら」 「芸人という人種の考えはいつも分からん。この私の灰色の脳細胞を以てしても理解し難い」 「少なくとも益子様はホームズよりとんちが利いてましたよ」 「ふんっ、とんちは探偵のすることではない!」  益子はあっという間に灯油に気に入られ、瓜生田の隣に敷かれた座布団に招かれて飛び乗った。昼休みも残り時間が少なくなり、ここらが頃合いと考えた灯油は入り口の貼り紙を剥がすよう指示し、目の前に並んだ5人に向けて話し始めた。 「えーっと、さっきはどこまで話したかなあ?ああ、解決してほしい事件があるっちゅう話やったな。そうそう。しゃろ子と牟児津ちゃん、それに益子ちゃんも新聞部やったら情報収集できるやろ?せやからもう調べ始めてるかも知れへんけどな、解決してほしい事件いうんが、例の——」 「さては『女神の祝福事件』ですね!藤井先輩がおっしゃってた!」 「……さすがやね、益子ちゃん。せやけど、噺家の話に割って入るんはご法度やで。大人しぃしといてな?」 「こりゃ失礼!」 「あんたマジで怖いもの知らずだね……」  先ほど部屋に突入してきた益子に向けていた顰めっ面ではなく、やんわり注意した灯油の顔は微笑んでいた。それが却って迫力を増していたのだが、益子は舌を出し自分の頭を軽く叩いて反省の意を示した。肝が据わっているどころか、心臓に太めの毛が生えているのではなかろうか。牟児津は手汗でスカート越しに膝を湿らせながら思った。 「さて。『女神の祝福事件』いうお題目は知らんけど、藤井ちゃんが言うてた事件てところはおうとる。理事室前のあのけったいな像がピカピカ光っとる事件。あれなんやけどな——」  一拍、灯油は間を置いた。そして——。 「あの犯人、アテかもせえへんのよ!んなっはっはっは!」
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