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「……なんだって?」
大笑いする灯油に、ようやく家逗が尋ねた。他の4人は言葉の意味が分からず、笑う灯油に負けず劣らずの大きく口を開けてその顔を見ていた。
「女神像が妙な音と光を発している事件——益子様の言葉をお借りして『女神の祝福事件』と申しますが——その犯人が灯油様というのは……どういうことでしょうか?」
「ああ、心配せんでもきちんと説明するさかいに、ちょっと待ってな。吹逸、こっちおいで」
「はい」
灯油は自分の隣の蓙を叩いて、近くにいた部員を呼び寄せた。水色の着物に身を包んだ部員が、しなやかな所作でちょこんと収まった。学年色の入ったリボンや上履きはないが、その小柄さや灯油と並んだときに感じる雰囲気の洗練され具合の差から、1年生であろうことが感じられた。
「落語研究部1年生、矢住 愛——高座名を江暮屋 吹逸と申します。以後お見知り置きを」
「なんだ、アイちゃんじゃないですか。何か事件に関わってるんですか?」
「まあ聞きぃな。実はな、あの女神像が光ってるんが分かったんは今朝やろ?他の部もやろうけど、落語研究部は昨日の晩から今朝まで園泊しててんな。んで、昨日の夜中に……な〜んかあの辺うろうろしたような気がすんねんな」
「何言ってんだこの人?」
「たぶん夜中やったしお腹もいっぱいやったから、眠たかったんやろなあ。なんとな〜くふらふら校内を歩いてて、あの辺であるもんを拾たような気ぃすんねん」
「あるもの、とは?」
「練り切りくらいの大きさで、まんまるで、木苺みたいに真っ赤っかな宝石や!」
「な、なんだってぇ!?」
灯油が拾ったものを聞いて、牟児津は飛び上がった。同じように瓜生田も驚いて、細長い目を丸くした。その場にいる他の全員は、なぜ2人がそんなに驚いているのか分からないが、ともかく灯油の話の続きを聞くことにした。牟児津と瓜生田も、すぐに、いっそう灯油の話を食い入るように聞き始めた。
「そんでな、キレイやな〜思てそのまま持って帰ったような気がすんねんけど……そっからどうしたか分かれへんねん」
「わ、わからないというと?」
「なんていうかね、こう……夢現やねん。持って帰ったような気もするし持って帰ってへんような気もするし、はっきりと覚えてへんのよ」
「はあ……浅見を申しますが、持って帰っていらっしゃるなら、落研の何方かが御存知なのでは?」
「せやんなあ?じゃあ落研部員に訊いたら、知らん言いよんねん」
「じゃあ気のせいなんじゃないか?」
「ん〜、せやけど夢にしてはやけに現実味があるっちゅうかねえ。ただの夢やとも思えへんねんけどなあ」
「なんなんだ。はっきりしない奴だな。いくら私が名探偵と言っても、君の夢の中でしか起きていない事件は解決のしようがないぞ」
判然としない灯油の態度に家逗が腹を立て始めた。
「依頼者が何か秘密を抱えているのもミステリの王道だが、君は違う。自分が犯人なのか。犯人でないならどう関係しているのか。そもそも関係者なのか。それすら判然としない。酔っぱらいが管を巻いているのと何が違うのだ」
「うちの部長はこの通り、落語は一流でも他がちゃらんぽらんな人間なんです。話半分で聞いておくのがよろしいかと」
「言うやないか吹逸。落語なんて全部作り話やねんから、即興で嘘八百並べ立てられるアテみたいな人間こそ向いてんねんで。あんたは真面目すぎるのがあかんわ」
「ほどほどに勉強させてもらいます。嘘と落語は違いますけど」
「ほんまに、手のかかる後輩を持つと先輩は大変やで。悔しかったらアテを驚かせる大ボラでも吹いてみぃ。でけへんやろけどなぁ」
「あのう、そうすると先ほどのお話は嘘ということになるのでは……?」
「ちゃうねんちゃうねん。そっちは嘘とちゃうねん。ああもうややこいなあ。要はね、アテははっきりした答えが欲しいねん。アテが例の事件の犯人なんか、ちゃうんか。しゃろ子でも牟児津ちゃんでもええから、事件をはよ解決してくれたら、それもはっきりするやろ?」
「ちなみに、風紀委員にそのお話はされてますか?」
「してへんよ。ほんまにアテが犯人なんやったら、そんときはきちんとケジメ付けるつもりや。けどアテが犯人やなかったら勘違いでしてへんことをしたぁ言うて捕まるん、めっちゃアホやん?」
「なんなんだこいつは」
人を呼んでおいて好き放題なことを言う。自分がどう事件と関わっているのかもはっきりとしない。犯人なら責任は取るが、そうでないなら損はしたくないと言う。家逗はすっかり、灯油の話を聞く気を失っていた。『アテナの真心』に関する事件なら聞かないでもないが、こんな形で関わるのは納得がいかない。
「んで、しゃろ子。アテの頼み受けてくれる?」
「断る!探偵は便利屋ではない!確証はなくとも思い当たることがあるなら風紀委員に伝えるのが善良な市民のあるべき姿だ!」
「なんや、つれないなぁ。ほな牟児津ちゃんは?」
「おい牟児津真白。探偵として忠告しておいてやる。こんな灯油君の戯言に付き合うことはないぞ。赤い宝石の件が事実だとしても、事件に関係している保証はない。こんな馬鹿げた話は——」
「……絶対解決できるって保証はできないですけど、それでもいいなら。私も、もう関わっちゃってるんで」
「なにっ!?」
家逗の忠告は完全に受け流し、牟児津は灯油の頼みをすんなり受け入れた。ここで断っても、どうせ磯手と川路から『赤い宝石』の件を伝えられ、他の生徒より深く事件に関わっているのだ。そして何より、自分と瓜生田の知っている手掛かりに照らし合わせれば、灯油の話は真実であると考えられる。
「ほんまに!?ありがとう!めっちゃ助かるわ!」
「おおっ!ムジツ先輩、珍しくやる気ですね!」
「本気か牟児津真白!?こんな話を真に受けるのか!?」
「別に、この事件が解決しないと私も困る……ってだけ。どうせ逃げられないしさ」
「ほうほう!ということはこの事件、ムジツ先輩の単独捜査になるということでよろしいですか?探偵同好会の方々はこの依頼を断るようですから!」
「ん待てぃ!誰が断ると言った!やるやる!やるに決まってるだろう!」
「なんやのしゃろ子。さっき自分、断る言うたで」
「ライバルの牟児津真白がやると言っているのに、私が指をくわえて見ているわけにはいかないだろう!むしろそっちがその気なら、この事件で夫婦を決してやろうではないか!」
「決するのは夫婦ではなく雌雄です。ともかく、牟児津様がお受けになるなら受けるということですね」
「……灯油君の依頼を受けるわけじゃない。牟児津真白との決着を付けるだけだ」
「アテはなんでもかめへんよ。事件が解決すんねやったら同じことや」
牟児津は既に事件に関わってしまっている諦念から。家逗は激しく燃え盛る対抗意識から。それぞれ灯油の依頼を受けることになった。また珍妙な事態に巻き込まれてしまったと牟児津は頭を抱える。これが、ただの珍奇な事件で済まないことなど、まだ知る由もなかった。
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