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──今宵もここから旅に出よう、そんな事を願いながら今日も私はベッドに入る。微睡みの中、夢と現実の境が曖昧になる感覚が好きだった。瞼を閉じて空想の世界に思いを馳せる。この瞬間は自分はなにものでもなく、また、『自分』という世界を構成する全てでもあった。境界が、溶けて、くずれる。自分が気化し、液化し、世界に溶けだす。
「はぁ……」
寝付く寸前に深く息を吐いて、私の意識は夢の中に雫となって落ちていった。
──
……今日の夢は、四方を白い壁に囲まれている部屋の中だ。その中で私に背を向けている金髪の男が居る。
静寂の中に、涼やかな声が響いた。
『ようこそ、この箱庭は君が作り出したモノ』
「え?」
『まずは髪を一本、そこに』
目を合わせない男に指示を受けるがままに、自らの髪を一本引き抜いて地面へと落とす。現実ならば痛みのひとつでも走るはずだが、ここは夢の中だ。痛みなど感じはしない。
──と、その時。
ザアッ、
「──!」
落とした髪から生成された蔦が四方の壁に這い、またたく間に辺りを取り囲んだ。青々とした蔦は視線で追うのも間に合わない速度で繁茂し、蔦に蔦を、葉に葉を重ねて真白い壁は数分と経たない内に緑に覆われる。
『!……わぁ、これは凄い』
男は幼子のような音無き歓声を上げた後に両手を叩いて私に向き直った──その瞬間、燃えるような赤い双眸が私を射抜く。そして感情の読めぬ声色でこちらに語り掛けてきた。
『改めまして、こんにちは。……ここに招かれた君の役目は、世界を眠らせるための贄』
「──眠らせる、」
『そう。意外と驚いてないね?』
「……まぁ、この世界が夢か現かなんて誰にも分かりはしないからさ。例えば自分が見てるこの世界も実は夢で、誰かが目覚めるまでの戯れのひとときかもしれないじゃないか。」
「結局のところ、この世界を世界の軸たらしめる確証なんてひとつも無いんだよ。それなら全部眠らせてしまえばすべては夢の中。一番手っ取り早い話だと思わないか」
……常日頃から考えていた、戯言のような思考の靄。ひとときの夢の中とはいえそれを言語化に至ったことに感謝すべきなのだろう。
訥々と語ったところで男に視線を合わせれば、赤い目を弓なりにたわめて線の細い顔立ちに満面の笑みを浮かべている。男が教鞭を取っていたなら、赤丸のひとつでもつけてくれそうな笑顔だった。
『……なら、あれを見て』
……部屋の隅に視線をやると小さな地球儀が置かれている。年季の入ったそれは持ち主が大切に扱っていたのだろう、印字が擦り切れるでもなく、淡い灯りに照らされて色も鮮やかに静かに鎮座していた。
「……地球儀?」
『そう、あれは俺から見た世界だ』
「──……」
思わず無言になる私に、男は朗々と宣う。
『……ねえ、この世界は少し疲れ過ぎている。前々から君もそう感じていただろう?一日の最後に眠りに就くその瞬間だけが生きている実感を得られる、そしてその夢も朝が来れば終わってしまう。生を感じる時が死んだように眠るその一瞬だけだなんて、そんな勿体無い話があるものか』
「──……っ、」
頬へ冷たい手が触れる。その手は私の額まで這い上がり、前髪を優しく掻き上げた。
『ねえ、どうだい。君から見た世界は疲れていないかな、悲嘆に暮れていないかな?──それでもまだ、君は"この世界に幸せを求めるのかな"』
──……慈しみに、愛に、憤怒に満ちた男の声に。壁から這った蔦が地球儀を、徐々に、徐々に取り囲む。悲哀を含んだ吐息に応じるように、蔦は地球儀を締め上げる。
眠る、朝が終わる、
望まぬ朝が、終わりを告げる。
ざわ、っ、ざわ、──ざわざわざわざわ、
朝が死に絶える、
世界が夜に、侵食される、
嫌いなひとも、愛したひとも、
みんなみんな、ゆめのなか。
終わりのゆめに、終わらぬゆめに、つつまれていく。
「あ、あ゛……っ、うわぁぁぁあああ!」
私は慟哭する。終わる世界に向けて、終わらぬ夢の呪いに向けて。
『良い子だ、──よく頑張ったね』
──おやすみ。そう囁く男の声を最後に、私の意識は闇に飲まれていった。
──
「……ああ、もう朝か……よく寝た。しかし随分と変な夢だったなぁ。夢と現実の境が曖昧になるなんてあるわけがないのに、今回の夢の中の女の子は引き摺られがちだったみたいだね。」
「夢の中の話をこうして日記で洗い出すのもいいけど、あの夢みたいにそのうち俺も──俺自身も自我が溶けて崩れて、きょうだいと、両親と、ともだちと、動物と、木々と、世界と──一体化して眠りに就くことになるのかもしれない」
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