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魔女みたいな義母と再就職計画
「えっ!どうして急に~?」
「いや、菜々子!急にってわけじゃないのよ~。本当は、ず~っと働きたいなって思っていて。でも、前にも話した事あったっけ?お義母さんがさぁ~」
「お姑さん?」
菜々子が、鬼の角を表すように両人差し指を頭の上で立てながら無邪気に笑った。
環も同じポーズをしながら最大限嫌そうな顔で頷くと、「結婚の挨拶に行った時にさぁ~」と言った後、声色を変えて話を続けた。
「『環さぁぁん、まずは仕事を辞めて頂いてぇ~、子供を生む事だけを考えてちょうだぁ~い。な~にぃ、そんなに心配しなくても大丈夫~ぅ。すぐに授かるわよ~ぅ!』って言われてさぁ~」
"って言われてさぁ~"のところで、環はまた器用に声色を変えた…いや、戻した。
「えっ?それって、お姑さんのモノマネ?」
菜々子が首を傾げた。
「似ているでしょ~?"納豆"みたいな話し方!」
「似ているでしょ?って言われても、披露宴で一度お見かけしただけだからなぁ~」
「そうだっけ?じゃ~、20年近く前って事~?それじゃ~分かるわけないかっ。ごめん。ごめん。普通に話すわ!あの頃さぁ~、結婚して仕事を辞める人も結構いたじゃ~ん?だから、そういうものかって思って言われた通り仕事を辞めたのよ。子育てが落ち着いたら、また復帰したらいいし!って思ったし。でもさぁ~、息子の小学校の入学式の日に、お義母さんに母屋の和室に呼び出されて釘を刺されたのよ。『あなた働きに出ようとしているみたいだけど、そんな暇なんてないわよ。中学受験は、親子二人三脚なんですから』って。その時に、床の間に二羽の鶴が描かれた金色の扇子が飾られていたんだけど、その前で着物を着たお義母さんが正座をしていて…すっごく"綺麗に"口角を上げてニコニコ笑っていたんだよ~」
「怖~いっ!」
「梨子!そ~う!怖いのよ本当に!サスペンスドラマだったら、あたしあそこで毒を飲まされて倒れているわ!」
「毒って!」と菜々子が、ふふふっと笑った。
「でも…笑顔が怖いっていうのは、何かちょっと分かるような気がする。お姑さん、女優さんみたいに綺麗だけど…何か魔女みたいだな~って思ったから」
「魔女かぁ~!うちの夫に聞かせたい。あの人、『母さん程、優しい姑はいないだろ~』なんて真顔で言うんだから~。本当に何も分かっていないのよ~!ほらっ!前に、中学受験の結果を報告した時に、『うちの家系には受験に失敗した者はいません!』って言われたって話したでしょ?あ゛~ぁぁぁ思い出したらまた腹が立ってきた~!!!去年なんかさぁ~…」
「落ち着いて!落ち着いて!ちゃんと聞くから、とりあえずこれ飲んで~!」
環は菜々子から水の入ったグラスを受けとると、一気に飲み干した。
「ありがとう!でねぇ~、高校受験の報告をした時にさぁ~…お義母さん何て言ったと思う?『そう。まだ大学受験があるじゃない。"今度こそ"頑張ってね!』だよ!あの子が、どれだけ頑張ったか全然分かっていないの!あたしもさすがに文句の1つでも言ってやろうって思ったんだけど、『ごめんなさいね。これから、友達とランチの約束があるの』とか言い出して。羽二重餅みたいな色の着物を着ていたんだけど、真っ赤なマニキュアを塗った手をヒラヒラさせながらさっさと出掛けていったんだよ。よりによって紅白…めでたくなんかないわぁぁぁ~!!!って思ったわ」
「そっかぁ~。お姑さんは、どうしても孫を息子と同じ学校に通わせたいんだね。それにしても、白い着物を羽二重餅って!」
菜々子が、クスッと笑った。
「いや羽二重餅なんだって~!"ういろう"みたいなピンクだったり、最中の皮とか抹茶のわらび餅とか…。とにかく、いつも和菓子みたいな色の着物"ばっかり"着ているんだから!」
「それは、単に環が食いしん坊なだけじゃない?」
菜々子が笑顔で首を傾げた。
環は、「実際に見たら、絶対に分かってもらえると思うんだけどなぁ…」とブツブツ言っていたが、「まぁ~、そういう事で働きたいけど働けない状況が続いていたってわけ!」と言ってコーヒーに手を伸ばした。
梨子が、ショートケーキを口に運んだ。
練乳入りの生クリームとスライスされたいちごが優しく華やかに香ったかと思ったら、驚く程軽いスポンジ生地が一瞬で消えた。
あまりの美味しさに、今度家族に作ってあげようと思った。
「そっかぁ。でも、そんな状況で働きに出たりしたらまたお姑さんに色々言われない?」
「さすが菜々子!そりゃ~確実に言われるよ~!でもさぁ~、あの子が高校でできた友達の影響でアニメに興味を持つようになって。『将来は声優になりたい!だから卒業したら、大学には行かずに専門学校に行く!』って言ってんのよ。あの子のあんな生き生きとした顔、久しぶりに見た気がする。今の学校に通う事になって、本当によかったな~って思っているの。危うく、あの子の人生を犠牲にしちゃうところだったから」
「犠牲だなんて…」
「ありがとう梨子。でも、本当に!あの子の為に…って言いながら、結局はお義母さんに、あたしやあたしの親はダメなんかじゃない!って認めて欲しかっただけなんだよ。それに、そもそも仕事を辞めてぽっかり空いてしまった心の穴を、あの子に埋めてもらおうとしていたんだと思う」
環はテーブルに置かれたコーヒーカップを見つめながら、何か考えているようだった。
「あれから、ずいぶん時間が経っちゃった。夫と結婚しなかったらあの子とは会えていないから、これでよかったんだ!って思っているけど、それでもやっぱり…今のあたしは"本当の自分"じゃない!…自分らしく生きられていない!って…時々強く思うんだよね…。だから!ずっとあの子が唯一の味方になってくれていたから、これからはあたしがあの子の夢を全力で応援したい!そして、あたし自身も後悔したり誰かを恨んだりしないように仕事を始める!って決めたの。何かさぁ~、まだ実際働き始めたわけじゃないのに考えるだけで嬉しくって。ずっと後回しにしていた、エアコンのフィルターを掃除しちゃったよ!」
「分かる~!気力がないと、掃除ってできないのよね~!」
「"気力がないと"って…菜々子~!いい加減、部屋は片づいたの?」
環が、しっかりと焼き色のついたベイクドチーズケーキを口に運んだ。
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