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ヒロインシチュエーションのバイト
その日から、メッセージのやり取りは始まった。
とりあえず私は片思いの冴えない女子の設定らしい。
あまりにも自分に適任で、蒼くんはちゃんと人を見て、うまい具合に選別しているのだろうと思う。
あえて美優を選ばなかったのは、冴えない女子とは程遠いからだろう。
設定が送られてきたけれど、身長や雰囲気、性格もほぼ私そのものの主人公。
ごく普通、どちらかといえば普通以下の女子が空野奏多の新作のヒロインなのかぁ。
今まではもっと美人だとか、影のあるヒロインが多かった気がする。
何のとりえもない、ただ一途な平凡女子をヒロインにしたから、書きにくいのかもしれない。
作者本人がハイスペックだから、平凡な人間の心はきっとわからないのだろう。
小説家としての新境地としてはありなんだろうけれど、リアルを追求するのならば、この方法は悪くない。
空野奏多からのヒロインシチュエーションアルバイト。この状況を楽しんでいる自分がいることは否定はしない。
もちろん、零次くんとメッセージでやりとりをするけれど、それはただの文字を送るだけの行為で、タップした指先に特別な想いはない。
零次くんからは、いつもおはようとか宿題のこととか何気ないメッセージが来る。
でも、私の心は何も踊ることも弾むこともない。
蒼くんのアイコンがスマホに表示されると私の心は舞い上がる。まるで散った桜の花びらが風で舞い上がるかの如くだ。
見込みのない恋なのに、これこそ、片思いのポンコツ女そのもの。
あぁ、きっと蒼くんはそーいう私を見越して頼んできたのか。
どうせなら楽しむしかないか。
『おはよう』
片思い設定の私は自分からメッセージを送る。
でも――返事が来ない。
ある程度髪を整えて、制服に着替えてから朝食をとる。
返事がないなんて。同居だから、すぐ話はできるけれど。
でも、この設定、片思いだから、相手は冷たいってこともあるよね。
両思いのラブラブじゃないんだから。
相手はプロの小説家だ。
しかも冷徹ときた。これは当然のシナリオだろう。
「おはよう」
朝は弱い蒼くんは青ざめた顔で顔を洗い終えて、なんとか挨拶をしている雰囲気だ。
これってスマホ自体見ていないのでは。
あの低いテンションではスマホを見る余裕すらもなさそうだ。
こんな一面を知っているのは私だけの特権かな。
「何、にやついてるんだよ」
眠そうなまぶたをなんとかこじあけながら、会話をしている。
これだけで、私は幸せを感じてしまった。
蒼くんは王子様キャラだからなんとなくシルクのパジャマを着ているような気がしていた。
けれど、実際は何でもないTシャツに短パンという実にラフな格好で寝ているらしい。
これは、自宅の部屋着と兼用のようだ。
こんな情報は私しか知らないだろう。
憧れの人が目の前に朝一番にいるなんて――幸せ過ぎて死んでしまうかも。
とろけそうな自分はまるでスライムのようだ。
「蒼くん、スマホ見てないでしょ」
「あぁ、どうせ、おはようとかメッセージ入れたんだろ。まだ見てないけど」
じっと顔をのぞきこまれる。
「おまえって、やっぱりアホっぽい顔してるな」
「朝一番にいうセリフ?」
「これからメッセージの相手になってもらうお礼に、今夜、勉強くらい教えてやるよ。入学してすぐ模試あるから、ヤバいんじゃないの?」
「たしかに。すっかり忘れてた」
「やっぱりアホか」
顔を洗った蒼くんは特に化粧水をつけてもいないのに、お肌がみずみずしくて、つるつるしている。理想の肌を持っている。
口は悪いけれど、外見は完璧なんだよね。羨ましいな。
やっぱり目玉焼きにはしょうゆをかけて、トーストをかじる蒼くん。
私は、というと何もつけずに食べちゃうタイプ。
そして、かりっとしたトーストが蒼くんは好きみたいだけど、私はそのまま柔らかい食パンを食べる方が好きだったりする。
お互いマーガリンを塗るけれど、私は追加でイチゴジャムを塗る。
飲み物は、お母さん特製のスムージー。
豆乳やバナナも入っているから、小松菜や人参の味はあまり気にならない。
甘党の私の大好きな飲み物。
制服に着替える蒼くんを待たずに高校へ向かう。
蒼くんは気にしていないみたいだけど、私はとっても人目が気になる。
学校一秀才でイケメンの蒼くんがうちに居候しているなんて、バレたら何を言われるかわからない。
蒼くんは特に問題ないだろうけれど、私の場合、いじめられるかもしれないし、不相応にも程があることくらいはわきまえている。
「おい、待ってるのが設定ってもんだろ」
「設定?」
「小説のキャラクターだよ。次回作のヒロインは融通がきかないけれど一途なタイプ。つまり、俺が着替えるのを待ってるんだよ」
「設定なんて作者じゃない私は知らないよ。それに、現実、面倒なことになるから、学校で話したり同居のことは話さないでよ」
「なんで?」
本当に何も感じていない超鈍感男。こちらのことも少しは察してほしい。
「好きな男子と登校するならどんな会話するのか、体感したくてさ」
怒りがこみ上げる。
「だいたい、私は、あんたのことなんて好きでも何ともないし。アホとか言うようなデリカシーのない人を片思いするつもりはないから。あの約束は撤回して。もう、次回作のヒロイン役は他の人に頼んで!!」
自分でも予想外の反発だった。
それくらいずっと不満が募っていたのかもしれない。
どこか私のことを馬鹿にしていることは感じ取っていた。
気まずい顔をして、ただ立ち尽くしている蒼くん。
距離を置いて私たちは歩いた。
なんとなくスマホをチェックする。
蒼くんからのメッセージは来ていない。
心のどこかでごめん、なんていうメッセージが届いているかもなんて期待している私はアホだ。
「おはよう、羽留ちゃん」
あいかわらず笑顔がとろけそうな零次くん。
偶然一緒になったのでなんとなく一緒に登校する。
ちらりと後ろを見ると無関心そうな不愛想な顔がちらつく。
朝が弱いから、更に愛想がないのはわかるけど、本当に関心がないんだなと実感する。
「今日、よかったらゲーセンにでも寄って帰らない?」
提案をしてしまった。
半分蒼くんの反応を見たい気もした。
もちろん蒼くんは私が誰と何をしようが全く興味はないだろうけれど、次回作のヒロインの場合は興味を持つのではないだろうか。
たとえば、主人公ではない男子と出かけた時の様子なんか小説家としての興味は持つかもしれない。
ちっぽけな反骨精神。
わかっている。全く相手にされていないし、恋愛対象になんて思われていない。
でも、それは他の女子に対しても同じだ。
全員同じ条件の元、興味を持たれていないだけだ。
もし、私が零次くんを好きになれたのならば、双方ハッピーエンドなのではないだろうか。
もしかしたら、蒼くんの小説のネタとして私の恋愛を使うかもしれない。
憧れの小説家のストーリーに私の一部が入り込めるだけでも奇跡なんだけどな。
「もちろん。いいよ。あのさ、僕には気を遣わなくていいからね」
「どういう意味?」
「中学の時に告白したけど、友達として仲よく出来たらそれでいいから」
「ありがとう。私も、急に恋愛よりは友達として、まずはよく知りたい気持ちがあるんだ」
「おぉ、嬉しい提案だな」
「おはよー、蒼」
美優の声がする。声が高くて少し苦手な音域。でも、きれいな透き通った声。
多分、蒼くんに一番いい声を聞かせるために出したんだろうな。
そして、呼び捨てという所もなにげに聞きづてならないな。
幼なじみの私ですらくんづけなのに。
それくらい距離が近いのかな。
友達以上恋人未満だって蒼くんも言ってた。
って友達以上ってどういうこと?
恋人未満はわかる。でも、友達以上ってことは友達を含むけれど、それ以上の何かしらの絆とか信頼関係があるってことだよね。
「相変わらず、朝は弱そうだね」
あくびをしながら答えているのが聞こえる。
「夜まで勉強してたとか、キャラじゃないよね」
笑いながらからかっている。
「小説読んでた」
もしかして、美優にも売れっ子小説家っていうことは言ってるのかな。友達以上だもんね。
「またまたぁ。蒼は活字は読まない主義でしょ。せいぜい漫画か動画を見てたってところでしょ」
知らないの? あの人気小説家、空野奏多が目の前の男子高校生だよ。
「ばれた? 今はまってる動画があってさ。漫画の字を読むのもめんどくさい、みたいな感じ」
だるそうに答える。
「蒼らしいなぁ。私も小説って全然読まないんだけど、今度映画化されるっていう空野なんとかっていう恋愛小説の映画は見たいな。小説を読むつもりはないけどね。せめてコミカライズしてくれたら読むんだけどね」
「美優は相変わらず活字嫌いだよな。なのに、国語の成績はめちゃくちゃいいのはなんでだよ」
「天性の才能っていうかさ」
二人の会話のテンポがよくって耳に入ってくる。
これ、小説に使えそうな感じだよね。
小説家だってこと秘密にしているんだ。そして、活字嫌いっていうキャラを作ってるんだ。
意外な一面だ。蒼くんの本当って何だろう。多分昨日は新作の構想を練ってたり、何かしら執筆してたような気がするけど。
ノートパソコンが設置されていることは知っている。空野奏多の新作、読みたいなぁ。
「空野なんとかだっけ。映画は観に行ってもいいかもな」
まるで他人事だ。本人のくせに。
「やった!! 一緒に行こう」
この距離が友達以上の距離なのかもしれない。
他の女子よりも明らかに彼の領域に入り込んでいる。
もちろん、私のように拒否はされていない。
この二人ってとっても相性がいいのかもしれない。
「今度映画に行こうか?」
零次くんに誘われる。
「いいよ」
「どんな映画が好き?」
「そうだな、恋愛ものとか、かな」
「じゃあ、良さそうな映画があるか探してみるよ」
「了解」
私と零次くんは友達になったかどうかのライン。お互いに領域には無理には入らないし、突っ込んだりもしない。
同じ中学とはいえ、親密度って人それぞれだ。
振り向くと蒼くんと目が合う。
私たちは蒼くん、美優の目の前を歩いているから会話は聞こえないと思う。
後ろにいる二人の会話は聞こえるけれど。
その日、気を遣ってなのか、蒼くんは教室内で話しかけてこなかった。
私が怒りを露にしたから面倒になったのかもしれない。
私の視線の先にはクラスの王子様の彼がいる。
いつも仲間に慕われて真ん中に君臨している。
でも、彼の視線の先には私はいない。
いるとしたら美優なのかもしれない。
同じクラスでもなく、同居していなかったら、一生しゃべることがなかったんだろうな。
親同士が仲がよくて、幼少期に関係がなかったら、話すこともないくらい遠い距離。
でも、あの人が超人気作家の空野奏多先生だなんて誰も思わないんだろうな。
まだクラスに友達ができていない。
前の席の女の子が話しかけてくれた。
少しだけど、話せる仲になれそうな気がする。
スマホにメッセージが表示される。
『昼休み屋上に来い』
既読にはしたが、行くとは返事していない。
一応まだ怒っているからだ。
『弁当箱が逆になってる』
メッセージを読んで慌てて確認すると、蒼くんの弁当箱が私のほうに入っていた。
これは、交換しないと、同居のことを知られてしまう。
昼休みになると、そーっと弁当箱を入れたバッグを持って屋上に向かう。
遅れて蒼くんがやってきた。
「わりい」
弁当箱を交換する。すぐに立ち去ろうとしたが、腕を掴まれた。
「あのさ……」
すこし気まずい顔をするが、すぐにまっすぐに目を向けられた。
「俺のことが嫌だとしても、零次っていう奴ならいいんじゃないか。零次とのデートとか心情の変化とかを教えてほしい。本当に恋愛ってやつがわからなくてさ。空野奏多として協力を願いたい」
珍しい、蒼くんがこんなに下手にでるなんて。
「でも、私と零次くんはまだ恋愛関係でもないし」
「でも、これから恋愛に発展するかもしれないだろ。俺が相手より、零次っていう奴のほうが適任だと思ってさ」
「ちょっと考えてみるよ。零次くんに空野奏多だって白状するの?」
「知っていると、リアルな心情は聞けないだろ。だから、プロットが仕上がった最後に話すのはありかなって思う」
「じゃあ、私はこれで」
立ち上がると腕を掴まれた。
「今日はごめん。昼飯、ここで食ってけよ。今日は天気がいいし、飛行機雲もきれいな直線を描いているしな」
「なによ、その理屈。誰かに見つかったらどうするの?」
「俺はかまわない。でも、春風を感じながら飯食ったほうが得した気分になるだろ」
「まるで空野奏多の文章に出てきそうだね」
「っていうか俺が空野奏多だし」
よくよく間近で見ると空野奏多がこの空の下にいるのかぁ。
一緒に同じお弁当を食べているなんて、不思議。
一緒の景色を見て、飛行機雲を眺める。
「昨日の夜は小説書いていたの?」
「まぁな」
「みんなには秘密なの?」
「まぁな」
みんなの中にいるときよりも少しばかり無口な王子様が隣にいる。
もしかしたら、こっちのほうが素なのかもしれない。
「せっかくだから、ここで食べようかな」
同じメニューを一緒に食べる。
「零次のこと今は好きじゃないかもしれないけど、人の心は変わるだろ。好きになる瞬間があったら教えてほしいんだ」
「蒼くんは好きになれないの?」
二人でたこのウインナーをつまみながら改めて真剣に話をする。
「もしかしたら、神社に記憶を持っていかれてしまったのかもしれないね。あの時、奇跡的に無事だったし。蒼くんの恋する心も神様が持って行ったのかもしれないね」
「おまえ、その発想おもしろいな」
たまごやきをつまみながら思案する。
「アホって言って悪かったな。今日の夜、宿題教えてやるから、チャラにしてくれ」
この人なりに、悪いと思っていたのかな。
少し意外だ。
「あのさ、最初に俺のこと好きって言ってたけど、思い出の中の好きってことだろ。今の俺のことは好きじゃないってことだろ」
ここで、好きなポイントを話したいところだけれど、どうせ私のことなんて相手にしてくれないだろうし、何よりも癪だ。
「あなたは、外見はたしかに美しい顔立ちだし、スタイルもいいけれど、性格は最悪だと思う。頼まれても付き合いたいとは思えないけどね」
ついきつい口調で言ってしまった。
「なるほどね」
お茶を一口のんで、納得する。
「反論しないんだ?」
「客観的に俺のことを批判する奴なんていないから、裸の王様状態かなって思ってさ。きつい一言を言われたほうが自分を見つめ直す機会になるし」
真面目な顔をしてお弁当をしまう。
こんなことを言われたら、ますます素敵だなって思ってしまう。
「あのさ、あえて素敵なポイントを挙げるとすると――文章力の豊かさとか礼儀作法がちゃんとしているところとか、見えないところで努力しているところとか。見た目だと、いつも姿勢がいい所とか。手が大きくて、案外筋肉がついているところとか。肌がきれいで、色が白いところとか」
案外素敵なポイントを言えることに恥ずかしくなる。そんなにじっくり見ていたのかとか、気持ち悪いって思われるかもしれない。
重くならないように、何とかフォローしないと。
一息つくと、蒼くんは少しばかり笑ったように思う。
「案外内面も評価はしてくれているんだな。顔だけが好きだって告白されたことが結構あってさ。なんで、顔だけでそんなに俺のこと好きになれるのかわかんなくて、ずっと断ってきたんだ。でも、俺の行動とかを含めて好きって言われたら付き合ってもいいかもって思うかもしれないな」
「美優もきっと内面も好きだって思ってくれてるよ」
「何度も冗談の延長で付き合おうって言われたけど、どこが好きか聞くと、顔って言われてさ。なんだか納得いかなくって」
「馬鹿、それは照れ隠しだよ」
少し驚く蒼くん。
「正面切って大好きなポイントを挙げるなんて勇気がいることだし、とっても恥ずかしいんだよ。だから、あえて言わないだけだよ」
「でも、おまえは今褒めてくれたじゃん」
「今のは話の成り行きだよ。私の中では幼少期の蒼くんがいて――また会おうっていう約束と好きだって言われた嬉しい記憶だけが残っていた。だから、初恋を今でも引きずっているだけなのかもしれない。でも、美優は初恋を引きずっているわけじゃないでしょ。今のあなたが好きなんだと思う」
「もしかして、俺と美優を付き合わせようとしてる?」
すっかり空になったお弁当をしまう。
「そうじゃないけど、疑似恋愛してみたらきっと空野奏多としての新境地が開拓できるような気がするんだよね」
「お前、いいこというな。たしかに、零次とおまえの恋愛は報告でしか聞けないし、零次の気持ちは読み取れない。ということは、形だけでも俺が誰かと付き合えば、雰囲気だけはつかめるかもしれないよな」
この話の流れから行くと、蒼くんと美優が付き合うということになるのだろうか。
「あのさ、俺の素敵ポイントって他にどんなところがある?」
「個人的にいいと思う所だけれど、朝起きたばかりの眠そうな蒼くんはピカイチでかわいいと思う。それに、お風呂上がりのドライヤーしないでリビングでくつろいでる姿も濡れ髪が2割増しの大人っぽさを出してると思うし……ってキモイよね?」
自分で言っていて恥ずかしくなる。
「じゃあ、俺と付き合え」
「はぁ? 何言ってるの?」
「もちろん疑似恋愛でいいからさ。俺がお前を好きにはなっていないけど、お前は俺のことを相当好きな部分がある。それに、お前は空野奏多の大ファンだ。次回作に協力するべきだろ」
「なにそれ? たしかにいい部分を述べたけど、恋愛として好きとかそういうわけじゃないし。私、美優に睨まれちゃうよ」
「秘密にすればいい。どうせ同居してるんだし、疑似恋愛なんだから、付き合ってるみたいなことをすればいいじゃん」
平然とした顔で言われてしまう。
「付き合ってるみたいなこと、ってそんな大人みたいな恋愛は無理だよ」
「はぁ? 何を想像してるんだよ。普通にゲームしたり、どこかに出かけたり、メッセージを送りあったり、そんな普通の日常の延長だよ。その中に、新作のインスピレーションが浮かぶかもしれないから」
「でも、私みたいなのと恋愛みたいなことをすること自体、嫌じゃないの?」
「なんで?」
不思議そうな顔でまあるい目をする。
「別に好きじゃないけど嫌いとも言ってないよ」
まぁ、そうだけど。
居候の蒼くんは来客扱いで一番先のお風呂に入る。
二番目に私が入る。これは、普通の流れだけど、本当はそんなことすら嬉しいって思っているなんて知られたら、ドン引きされちゃうんじゃないだろうか。そんな私のことを見透かしたかのように、蒼くんはこちらを見る。
「俺のことを恋愛対象ではなくても、推しくらいには思ってくれてるだろ。じゃあ、推しの後に入浴するのはどんな気持ちになる?」
まさか、心の中を読まれたの?
顔が真っ赤になったのが自分でもわかる。絶対に頬が熱い。
「推しは――尊いものだから。神聖な領域に入らせていただいているっていう感覚かもしれない。これは、私が推している声優の場合だけど」
「ふぅーん、俺は推しじゃないんだ?」
顔が近い。どうしよう。
「推し――です」
「素直でよろしい」
大きな手のひらで頭を撫でられる。
珍しい笑顔はとってもかわいい表情で、あざとかわいいという表現がよく似合う。
この人、私の気持ちを知っていながらもてあそんでるんだ。
多分、リビングでの濡れ髪も私の反応を見て楽しんでいたのかもしれない。
朝は、多分本当に弱いのだと思うけれど。
「これから、俺の仮の彼女になってくれる羽留ちゃん。よろしくな」
笑顔でいたずらな微笑みを向ける。
髪の毛をわしゃわしゃと撫でる。
思わず片目をつぶってしまった。
多分私は愛玩犬扱いなのだろう。
恋愛対象とは違ったとしても、かわいいと愛でる対象ではあるのかな。
「秘密にしてね」
「ちなみに、零次と出かけるの禁止な」
「なんで?」
「だって、俺たち一応仮の恋人だろ。普通に浮気されるのもおかしな話だと思わない? 映画に行くとか言ってただろ?」
「聞いてたの? 地獄耳だなぁ」
「零次が他のクラスメイトに映画に行くって自慢してたからさ。予定では空野奏多の映画って言ってたけど。どうせなら、空野奏多本人と行かない?」
「空野奏多本人って……蒼くんと行くってこと?」
「初夏には上映されるだろ。俺は映画のほうにはほぼノータッチだから原作者だけど詳しくはわかってなかったりする」
「なんで、あなたみたいな恋愛鈍感男があんなに泣ける恋愛小説を書けるの?」
「恋愛しなくても小説って書けるんだよ。ホラー小説だって怖い経験をしなくても書けるし。ミステリーならば、殺人しなくても作家は書いてるだろ」
「何気に束縛されてるみたいでなんだか嬉しいかも」
「別に、行きたきゃ行ってもいいけど、設定上、問題があるだろ。純愛設定なんだから、彼女が浮気性っていうのも問題だしさ」
「あぁ、そっか。でも、まぁ私たちは仮の恋愛関係なんだからそこまで厳しくしなくてもよくない?」
「よくない」
妙に頑固なところがなんとも言えない。どうせ、私たちはただの仮の恋人。しかも、シチュエーションだけを小説のネタのために行う関係。
「そこに心がないと、小説のネタとして使えないんじゃない?」
「そこは、さっき確認したから大丈夫。お前、俺のことだいぶいいと思ってくれてるっぽいしな」
顔が赤面状態が続く。さらに度合いが増したような気がする。
「じゃあ、手を繋ごうか」
「はい? 今は昼休みで学校だよ」
「小説のネタの臨場感に協力しろ。手を繋いだリアル感を文字に表したいんだよ。お前は空野奏多の一番の理解者だからさ」
思わず胸がきゅっとなる。命令形なのが、なぜかぐっとくる。
私でも何か役にたてるのだろうか。
大好きな小説家で大好きな人。
隣にいる蒼くんが手を差し出す。
全く照れた様子はない。
相変わらずのポーカーフェイスだなぁとまじまじとみつめるが、彼は本当に小説のために私と手をつないでいるらしい。
私のことなんか眼中にないから仕方ないかと思う。諦めるのと、ドキドキするのが同居する。
変な感じだ。私だけがまっかに頬が熱くなっている。
「ほら、もっとこっちに来い」
無言で引き寄せられる。
思ったより大きな手のひらは包み込んでくれる。安心するな。
「感想は? 100字以内で述べろ」
なによ、まったく場の雰囲気とか考えてないなぁ。
女優だと思えばいいのか。
例えば、ドラマや映画に出ている人たちは好きではなくても、好きだと見せかけた演技をする。
それと同じだ。
「えっと……体が熱くてドキドキする。蒼くんの体温が感じられる」
「なるほど。体感温度は一番わかりやすい表現になりそうだな」
すぐにスマホを取り出しメモをする。
つないだ手はほどかれた。残念すぎる。
これは、演技で頼まれているだけだから、仕方ないのだけれど。
「体温、いいワードだ。あと、何か感じたことはあるか?」
「蒼くんの香りがいい感じだなって」
「俺、匂うか?」
珍しく動揺する顔をする。かわいいな。
自分の腕のあたりの匂いを嗅ぐ。
「いい匂いがする。まるで青空の下の樹木みたいな感じ」
「なんだよ、その匂い。でも、それもリアルな感想でいいな。嗅覚は恋愛には必要視点だな」
再びスマホにメモを取る。
「あと、気になった点は?」
「よくわかんないけど、頭が真っ白になったかな。男子と手をつなぐことなんて初めてだし」
「初めてなのか?」
意外な顔をされる。
「蒼くんは手をつなぐのは、初めてではないの?」
「自称友達以上の美優は勝手に手をつないでくるからな」
「そっか……」
蒼くんの初めては私ではないという事実にショックを受ける。
美優は何度も蒼くんの香りを感じて、体温を感じたのかな。
何度もドキドキして、いつかは自分だけの恋人になってほしいと何度も願ったのかな。
ライバルの美優の気持ちがわかるような気がする。
私の場合、嫌いだと思っても、やっぱり嫌いになれない。
離れようと思っても、家でも学校でも一緒で、彼の秘密も共有している。
好きにならないほうが難しいよ。
横にいる端正な顔立ちの王子様は恋愛に全くの無頓着さを見せるけれど、一番恋愛を知ろうとしている。
不器用な人なのかもしれない。
この人が私のものになるなんて思えないけれど、ただ、隣にいれたらいいな。
「そのあからさまな不機嫌顔。もしかして、手つなぎが初めてではないと聞いて、がっかりしたか?」
「別に……ほんの少しだけ、がっかりしたかもしれない」
「じゃあ、手つなぎ以上の関係だって言ったら?」
意地悪な表情をしてくる。たしかに、美優ならば、何をしでかすかわからない。
「やっぱりデートとか、結構してるの?」
「デートっていう境界線はわかんないけど、みんなで出かけたり、二人でも出かけたことはあるけど」
胸が痛い。キリキリした感覚。
ずっと片思いしていた人は私のことなんか忘れてしまって、他の女子とデートしていた事実に衝撃が走る。
「おまえ、わかりやすいな。相当、俺に惚れ込んでるんじゃね?」
「別に、違うけど」
「今、感じたことを教えて。メモするから」
「これって、私を試したの?」
「出かけたのは嘘ってわけじゃないけど、実際に女子の気持ちってわかんないから、リアルな反応を見たくてさ」
「手つなぎ以上ってデート以外にもあったりするの?」
禁断の質問を投げかける。
「はぁ? 俺は小説家だ。小説書くのって時間がかかるし、俺の場合学生だぞ。そんなに他人に時間を割いてる余裕はない」
「つまり、手つなぎ以上はないってこと?」
「ないよ」
まっすぐに言ってくれたその言葉が嬉しくて、つい、にんまりしてしまう。
私の顔の筋肉は相当正直者らしい。
「ただ、隣にいられたらいいなって思った」
今日の感想を一言で述べてみる。
「おまえ、良いこというな」
にこりとして、スマホにメモをする。
この人の場合、一人の男子としてではなく、プロの小説家としての喜びなんだろうな。
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