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遠回り
「アキラ! 先生、道に迷ったって! 探しに行ってあげて!」
「え?」
自室で宿題をしていた俺は、背後からの母親の声に顔を上げる。
今日は家庭訪問の日。高校で家庭訪問って、たぶん珍しい。それでも家庭訪問がある、その理由はきっと……。
「……嫌だ」
「何言ってるの! あんたが進路調査のプリント、馬鹿みたいなこと書いたから先生お見えになるんでしょ!? あんたの責任なんだから、さっさとしなさい! ちょっと先のコンビニまで来て迷ったそうよ!」
はぁ……俺は盛大に息を吐いて立ち上がる。そして、壁に引っ掛けてあったジャケットを身につけて部屋を出た。
ああ、なんで、あんなことを書いちゃったんだろう……後悔してもしきれない。俺は、本当に馬鹿だ。
***
「あ……」
「アキラ君! わざわざごめんね!」
家からちょっと離れたところにあるコンビニの前に先生は居た。いつものスーツ姿。格好良いと思う。俺は目を伏せて「別に……」と小さく言った。
「僕、方向音痴なんだ。この……スマートフォンのアプリの地図を見ながら来たんだけど、どこまで進んでもこのコンビニに戻って来ちゃうんだ」
「ああ、そうですか……」
「社会科担当なのに、恥ずかしいなぁ」
俺たちはコンビニの敷地内から出て歩き出す。
少し……ほんの少しだけ、遠回りをするルートで俺の家まで向かう。
「……先生」
「どうしたの?」
「怒ってるでしょ」
「どうして?」
「……俺が、馬鹿なことを進路調査に書いたから」
俺の言葉を聞いた先生は苦笑した。
「怒ってはいないけど……ちょっとびっくりしたかな。進学でも就職でもなくて、お婿さん、って書いてあったからね」
「……」
俺は深く俯く。
顔に熱が集中するのが分かった。
だって、本気で「お婿さん」になりたいと思ったのだ……目の前のこの人の。
お婿さんでもお嫁さんでも良い。
俺は、先生が、好きだ。
卒業するまで気持ちを伝えるのは我慢しようと決めていた。けど、進路調査のプリントが配られた時、俺は衝動的に自分の欲望をそれに書いてしまった。結果、俺は「悪ふざけ」をした馬鹿な生徒だと学校で認定されて、今日、こうして担任の先生である彼が家庭訪問をすることになってしまったのだった。
「……好きな人、居るの?」
「え?」
突然の先生の問いに、俺は顔を上げる。
先生は穏やかな表情で俺を見ていた。恥ずかしくて俺は目を逸らす。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
「いや、アキラ君て悪ふざけなんかするタイプじゃないだろう? だから、お婿さんというか……卒業したら結婚したいんじゃないかなって思って。だから、ああいう書き方をしたのかなって」
「……結婚は、出来ない」
「え? どうして? まだ、片思いの最中?」
「それもあるけど……」
俺は立ち止まる。先生も足を止めた。
俺はすっと息を吸う。肺が、ずきりと痛んだ。
「俺が好きなのは男の人だから、結婚は出来ない。進路調査の希望は、本当にその人とずっと居たいと思ったからそう書いた。それだけ」
引かれる、と思った。
けど、言いたかった。
反応が見たいとか、俺のことを知ってほしいとか、いろんな感情がぐちゃぐちゃに交わる。
しばらくの間の後、先生は柔らかく微笑んで「そっかぁ」と言った。
「分かった。やっぱりアキラ君は悪ふざけじゃなくって、ちゃんと将来のことを考えてそう書いたんだね。ちゃんと教えてくれてありがとう。学校の方には、ちゃんと……彼は本気で恋愛している最中なんですって説明するから大丈夫だよ」
「え……」
「もう家庭訪問は必要ないね。アキラ君、何も悪いことをしていないから」
「先生」
「それじゃ、ここからなら僕ひとりでも帰れそうだ。来てくれてありがとうね。それじゃ……」
「先生!」
俺は無意識に叫んで、先生のスーツの袖を掴んでいた。
目を丸くした先生と目を合わせる。
「……叶わないけど、恋愛ってしても良いのかな……」
「叶わない? 告白してないのに、そう決めちゃうの?」
「……」
「その好きな人って、どんな人なの?」
優しい先生の声。
俺は、目の前の人の、大好きなところを、言葉にする。
「年上で、いつも格好良くて、ちょっと天然ボケで……」
「うん」
「字が綺麗で、なんか……いつも良い匂いがする人」
「そっかぁ……僕は、好きな人とは共通の話題があると嬉しいな」
「共通の話題?」
首を傾げる俺に、先生は微笑む。
「僕は、特に世界史が好きなんだけど、建築物や美術の作品なんかも好きなんだ。時代による服装なんかも好き。そういうのを語り合える人ってあんまり居ないから、そういう人が出来たら嬉しいなぁ」
「……世界史」
「アキラ君、そっちの学科の大学、今からでも考えてみたらどうかな?」
「え……」
「今の君の成績なら、選択肢はかなりあるよ。大学でいろいろな経験をしてから、その好きな人と結婚……一緒に居る約束をしてみたらどうかな?」
「あの、それって……」
言葉を紡ごうとする俺のくちびるに、先生の人差し指がそっと触れる。
「頑張って、卒業しようね。それからだよ、ね?」
「……うん」
俺、頑張る。
だから、それまで、待ってて。
見つめ合って、笑い合って、俺たちは歩くことを再開した。
黙って帰るのも変なので、一応、俺の母親に挨拶だけして帰ることにするそうだ。
俺たちは肩を並べて、遠回りの道を選んで進む。
言葉にはしない、内緒の、約束。
早く、叶いますように。
恋だけは遠回りしたくはないな。
そう思いながら、俺はちらりと先生の顔を盗み見た。
どこまでも優しさが滲むその表情を見て、俺は早く卒業して、その胸に飛び込みたくなったのだった。
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