朝の顔ぶれ

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 毎朝、歯を磨きながらぼんやりと窓の向こうを眺める。  窓の向こうは庭とも呼べない狭い庭があり、すぐ向こうには塀がある。  塀のあちら側を、毎日人が過ぎていく。  その道は、駅へと繋がっているので、大抵いつも同じ時間に同じ顔ぶれが通る。顔ぶれと言っても、我が家の塀の高さだと、背の高い人でも鼻から上が見える程度だ。それでも毎日見るともなしに眺めていれば、頭のてっぺんやその動き、人によっては足音や持ち物の音なんかで「あ、いつもの人だな」とわかるようになってくる。まあ歯を磨いている間に通る人数など多くもないから、とりわけ自分がすごいわけでもない。  いつもの時間にあの頭を見かけないぞ、とか、今日は小学生、寝坊か、などと、覚めきらぬ頭で過ぎていく人々をなんとはなしに見送っている。 自転車に乗っている人、走っている人、犬と散歩している人、堀に背丈が届かないから姿は見えないが集団登校の小学生たちの笑い声。今日は順調に全員揃っている。ああ、あの眼鏡の人が来たからもう着替えないと。慌てて口を濯いで顔を洗う。  タオルで顔を拭いながら目を堀の向こうに投げて、固まった。  まただ。  時々、足音と堀の向こうに見える頭の数が合わない。  堀に届かぬ小柄な人なのだ、と自分に言い聞かせるが、どうにも薄気味が悪い。  毎日毎日見ているから判るのだが、足音のリズムにあった人の背丈というものが、なんとなくわかるのだ。今聞こえている、あの足音の歩幅なら、もっと背が高いはず。それなのに、当然堀の上に覗くであろう頭が見えない。かつかつとアスファルトを叩く革靴の音だけが道を行く。  だからどうだと言われれば、それまでである。足音がするだけなのだ。きっと大股で歩く小柄な人なのだろう。  数日経って、また、あの革靴の足音がする。  ふと見ると、きちんと顔が出ている。毎日この時間に通る眼鏡の人だ。だが、足音はかつかつとアスファルトを蹴る大股のリズムだ。いつも彼が通るとき、こんな足音はしていない。おや、と思って外に出た。  足音に合わせて、小柄な女性が真顔で大股に歩いてくる。その後ろを、眼鏡をかけた首がするすると着いていく。腕時計を見る。いつも、彼が通る時間だ。 女性はただ真っ直ぐに前を睨んで、必死にも思える形相で駅に向かって歩いて行った。 今日も、眼鏡の彼はいつも通りの時間に家の前を通った。 首から下があるのかどうか、確かめてはいない。
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