2人が本棚に入れています
本棚に追加
【藤川宿】
一晩休息をとったお陰か、M後輩は乗り気で歩くことにしたようであった。しかし水膨れだの切創ができているなど、コンディションとしては芳しくはない。私一人であれば包帯で固めて歩くが、それでも痛みがなくなるわけではない。あくまでもその場しのぎの処置だ。とりあえずは次の駅まで歩いてみようと話して、昨日よりも少し短い歩幅で国道を行く。
「っていうか、腹減りましたね」
「あァ、チェックアウトギリギリまで寝てたしな」
「どっかいい店ありません?」
一度コンビニに入り、飲み物を買っている合間に近場の喫茶店を探してみる。いくつか候補をあげている中、美合駅の近くの喫茶店紹介に目が行った。赤、紫、青の層に分かれたクリームソーダ。自然、足取りも軽やかになる。どのような味がするのだろう? 私もM後輩もブルーキュラソーを好んでいたが、それとは似て非なる見た目だ。要するに、一目惚れであり直感だ。
川を渡って一本路地に入ると、店の看板が見えた。普通の事務所のような建物、駐車場を抜けると、和風庭園への門扉があった。店の名前が下げられている。雰囲気が一変した。風が心地いい。緑に包まれた日本家屋、中に入ると小さな机がいくつか点在していた。一面のガラス。庭園鑑賞もできそうだ。席に座り、メニューを開いた。
「……サンセットソーダ」
「これだ、絶対。俺、これ頼みます」
私も当然、同じものを注文する。元々は昼食のために来たのだ。それぞれパスタも頼み、これからどうするかを話す。
「とりあえず休んだら、もう少し歩けそうっス」
「無理はするなよ、一応ここの最寄りは美合? って駅みたいだけど」
「五十三次の宿場は?」
「岡崎宿の次が藤川宿、駅だと次くらいか」
「……食ってから、考えたいなぁ」
「それもそうだ」
そうしている間に例のクリームソーダが運ばれてくる。続いてパスタ。自然と腹が減ってくる。考えてみれば、寝ている間も含め我々は塩分が枯渇している状態だ。茹でられたばかりのアルデンテ、大きめのオクラ、プチトマト、茄子、――サンセットソーダ。フォークで巻いて食べるのも惜しい。身体が歓喜していた。温かい飯だ。冷たい炭酸だ。苺の風味、葡萄の風味が喉で弾ける。上に乗せられたアイスクリームがまた至極、至極美味だ。氷が溶ける間もなく、皿は片付いていた。一言と発さず、しかし名残惜しく手を合わせた。
老婆が皿を片付けていって、私は椅子に深く腰掛けた。しばらくは立ちたくはない気分だ。手持ち無沙汰にメニューをぱらぱらとめくって、――これを頼もう! と、私は言った。
「なんスか、……白玉ぜんざい?」
「美味そうじゃないか、頼んでみようや」
「じゃあ、俺も一つ。おばちゃん、このぜんざい二つください」
何やら厨房の方で、白玉が云々と言う声が聞こえる。耳をそば立てると、どうやら注文が入ってから茹でるらしい。自然、期待が高まっていく。M後輩と氷を嚙み砕きながら待っていると、やや恭しくぜんざいを二つ、盆に乗せてやってきた。
「お待ちを、お兄さんたちは、遠くから?」
「名古屋から。歩いてきて」
「それは、それは」
そうして機嫌よく戻っていった。聞こえていたのかも怪しいところだが、こうした反応も珍しいわけではない。気にせずにぜんざいを口に運ぶ――美味い。餡子は程よく粒が潰れていて、実に香り高い。ふぞろいの白玉は恐らく粉から作っているのだろう。よくよく味わうと、白玉自体にもほんのり甘く味がついていた。不意に私の心象に現れた景色は、旅人茶屋の――江戸時代はこうした場があったのだろうか。二十一世紀、令和の世でもこうした店は未だに存在している。姿かたちは変われども、旅人にこうした店は必要なのだ。
「……先輩、泣いてます?」
「バカ、泣いてねぇよ」
最初のコメントを投稿しよう!