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【赤坂宿】
結局、店を出てM後輩は藤川駅まで歩き、それから電車を使うようであった。私も了承し、残りは一人で歩くと伝えた。二十キロ程度だろう、到着は夜になると思うから、先に休憩でもしていてくれ、と。
「じゃァ、お先に、お疲れさまでした」
「おう、お疲れ。ゆっくり休んでいてくれ」
藤川駅に向かう彼の背中は、どこかしら小さく見えた。しかし、距離にして四十五キロほどか、本当によく歩いたものである。初めてでここまで歩けたならば十分だ。残りは私の戦いだ。既に肩も擦り切れている、足も悲鳴を上げているものだが、ここまではいつもの通りだ。あと二十キロ強、どうということもない。
赤坂宿までぶらぶらと歩くが、時折歩道が片側にしかないということもあり、何度も下道や歩道橋を渡る羽目になった。遠くない将来、東海道五十三次を歩こうと思っている身としては、こうしたこともあると覚えておかなければならないことであった。
三河ナンバーが増えてきた。田園ばかりが広がっている。青稲が植えられているのを見ては、新米の季節までは――などと想いを馳せる。何を表示したいのかわからない看板、釣りをする男、地下道への入り口、廃車の積まれた広場、速度超過に捕まるバイク。手の汗が乾いて、粘着性を帯びている。手を洗ったところで、簡単には流れないだろう。
今私が歩いているのは東海道だ。旧東海道を歩けば、日本家屋も多く残存しているだろう。どちらも歩道は整備されているはずだ。地図から見る分には山間を縫って歩くことになると思っていたが、案外そうでもないらしい。現東海道はかなり舗装され、住宅や店舗が立ち並んでいる。
一人で歩くということが常だったためか、――いや、決してM後輩とのやり取りが苦であったというわけではないが――どこか疲れるのが早い。肉体の疲労は精神に来るし、逆もまた然りだ。歩け、惑うな、私が始めた旅だ。道はどこまでも続いている。東海道五十三次、アバウト五百キロ。現在でこそ舗装されたこの道を歩く者は、少ないようで多い。私もその一人であり、M後輩もその一人だ。
だいぶ歩いただろうか、と折よく自販機を見つけ、腰を下ろし休憩する。本来ならば逆に疲労が蓄積するため座らない方が良いものだが、私の場合は気にしない。アルファルトだろうがタイヤだろうが石垣だろうが、座れそうだと思えば座ってしまう。清涼飲料を飲みながら携帯を確認していると、M後輩からのメールが届いていた。
『伊奈駅で降ります、歩きます』
――M後輩ッ!
『リベンジマッチ開始』
――この高揚感をどう表そうか。伊奈から豊橋まで約六キロ、東海道沿いに行けばもっとあるだろう。それを歩くと、自らの意志で――恐らくは多くの葛藤があっただろう。もしかしたら後悔もあるだろう。しかしそれら一切を跳ね除けて奮起した、その気概を私は高く評価したい。
自然と立ち上がっていた。私も負けていられない。豊橋まで、あと二十キロ。
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