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ちいさいころから親友だった杏樹と小夜子は、二人でいるときだけ、お互いのことを天使と悪魔だと思っていた。絵本で見た天使と悪魔に二人並んだ姿がそっくりだったから。長い髪に天使の輪を浮かべた天使と、短い髪に悪魔のツノを見せる悪魔。でも、二人の場合は逆。
杏樹は髪をあごの下で切りそろえて、前髪はまゆ毛の上でぱつんと切るのがお気に入りだった。杏樹の髪は日に当たると薄く茶色に透けて、まあるくツヤができる。天使の輪がふわ、と浮かんで見えるようだった。
小夜子の長い髪は風になびくといつもいい香りがした。つり目をくりくりさせて小夜子がほほえむと、豊かな髪から生意気な悪魔のツノがのぞくようだった。
ボブカットの天使ちゃんとロングヘアの悪魔ちゃんは、幼稚園でも小学校でもお互いが一番の友達だった。
「さよちゃん」
決まって杏樹の方から遊びに誘った。公園行こうよ。誘われた小夜子は、にっこり笑って「いいよ」なんてめったに言わない。
「あたし今日美術館行きたいな」
「さよちゃん美術館好きよねぇ」
「見に行ってから美術館の庭で遊ぼうよ」
杏樹は、小夜子を誘えば、彼女がちっとも気乗りしないなんて顔をしながら本当はうれしいのだと知っている。小夜子は、ちょっとくらい杏樹の意見に反対したって、彼女が怒ったりいじけたり、意地を張って「もういい!」なんて言わないことを知っている。
家から自転車で行ける小さな公営の美術館が小夜子は好きだった。入館料の子ども料金は安く、中は明るく整然として、静かに開放されている。美術館に行ってくるね、と言えばお母さんはいつも安心して「いってらっしゃい」と手をふってくれる。
中には重厚な油彩画、軽やかな水彩画、それにブロンズ像がある。美術館の庭は緑であふれていて、五月には派手なバラが自慢げに咲き、夏はオレンジ色のノウゼンカズラがたれ下がり、秋にはコスモスやツリフネソウがあふれた。冬にはほんのちょっとイルミネーションがされるけれど、庭の片隅で点滅するツリーやトナカイは、草木の存在感にどうにも勝てないようだった。
美術館に入ると小夜子はまず全体を見回す。深呼吸してもいい。そして何を見るかをゆっくり考える。
静かな美術館に入るといつも気持ちが落ち着いた。体の力がすっと抜けてふわふわ歩ける気持ちがしたし、歌でも歌いたいような気もした。でもそんなことは全部こっそり隠して、いつもなんともないような顔をしていた。
奥にひときわ大きな絵が飾られた部屋があって、その深緑と青の草原の油彩画を、美術館の主みたいだと小夜子は思う。部屋に入ると主と向かい合う。「また来たね」と絵が小夜子に言う。「来たの」と心の中で小夜子は答える。
杏樹は常設の展示をひとつひとつ見ていくのを、確認作業のようにこなしていた。光を浴びた港の水彩画や、風車の油彩画が前と変わらずにあることを見ていく。絵は変わらない。もしそれが変わって見えたとしたら変わったのは自分の方だ。だから実際には、それは自分が変わりないことを確かめる作業とも言えた。杏樹はただ前と同じ、と思って見るだけだったけれど。
そうして見終わると一番大きい展示室の真ん中にあるソファーに座り、後からやってくる小夜子を待った。小夜子は杏樹が退屈そうでもちっとも構わない。杏樹が美術館に退屈しに来ているとでも思っているみたいだ。
絨毯の床は足音を吸収し、照明は静かに壁を照らす。絵たちは秩序とバランスを保って並んでいた。小夜子の背中越しにそれを見るのは心地良かった。たまに待ちくたびれて「まだ?」とちょっかいを出しに行けば、真剣に見つめる小夜子につられて気づけば杏樹も絵を眺めていた。
杏樹は美術館の庭が大好きだった。いつも緑でまぶしい。木はどれも大きく、花はよく手入れされていた。小道や花壇のレンガに草が伸びて、人と自然の境界をあいまいにしている。ベンチは木陰になっていて、風が小夜子の長い髪をふわふわと、杏樹の短い前髪をさらさらとゆらす。いつも杏樹がたくさんしゃべって小夜子が聞いた。小夜子はつまらないときは遠慮なくつまらないという顔をするから、そんな小夜子が楽しそうに笑うと、杏樹は本当にうれしい気持ちになった。
中学校の入学式の朝、小夜子と顔を合わせた杏樹は「わーお」と海外ドラマの女の子みたいな反応をしてみせた。深い紺色のブレザーを着ると、小夜子の黒い髪はより黒く、白い肌はより白く見えた。杏樹の短い髪は薄く茶色に透けた。
変わらず一緒に登下校していたけれど、杏樹が軟式テニス部に、小夜子が文芸部に入ると、帰る時間はばらけるようになった。美術部には入らないんだ、と杏樹が聞くと「自分で絵を描くのは大変」と小夜子はつまらなさそうに言った。
本が好きなんだ、真面目だね。教室でクラスメイトにそう言われて、なんだろうと小夜子は思った。好きな本はいくつかある。それは真面目っていうのかな。文芸部に入ったのは思い思いのペースで自由に活動できるのが良かったからだ。美術館が好きと言ったら、それも真面目と言われるのだろうか。
クラスメイトがドラマの話をするのを聞いて、みんなドラマが好きなのか、と小夜子は思った。好きな俳優を聞かれたから、そのドラマに出てくる俳優の名前を言ったら「わたしも!」とクラスメイトがうれしそうに言った。それが本当にうれしそうだったから好きってこういうことなんだろうな、と思った。そのドラマも俳優も、見て嫌な気持ちになったことは一度もないし、つまり自分もそれを好きなのだと思った。いずれ、自分も彼女たちと同じくらい好きになるのだ、と思った。そうしていればみんなと盛り上がることができる。相手の話がわからなくて気を使わせたり、困らせてしまうこともない。みんなと好きなものの話で盛り上がるのは楽しい。小学校のときはどうやってしゃべって、どうやって仲良くなっていたんだっけ。そんなことを考える間もなく、小夜子は新しいクラスメイトとの付き合い方に自分をなじませていた。
「日曜日も練習なんだ」
久しぶりに一緒に帰った金曜日に杏樹は、遊びとも、授業とも、おばあちゃんの家に行くのともちがう言い方で小夜子に言った。もう練習ばっかり、とこぼす杏樹に、小夜子はがんばってね、とだけ言った。
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