車道を横断する

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 私は片側一車線の道路の歩道を歩いている。  車両の通行はそう頻繁ではない。時折車が走り抜けるたびに、風圧が私の短い髪の毛を、そして服の裾を揺らす。どの車もかなりの速度を出しているのは、走路が一直線だからだろう。  雲一つない快晴だ。暑くも寒くもない。車道も歩道も舗装されている。歩道の幅は一車線の横幅と同じくらいだ。街路樹は一本もない。道の左右に広がっているのは、雑草もまばらな空き地か、作物が植わっていない畑のどちらか。建物はどこにも建っていないから、見通しがいい。  急いでいるわけでも、もったいぶっているわけでもない、私が一番歩きやすい速度で私は歩いている。足を動かすかたわら、絶えず周囲の景色を観察しているが、どの方角を見ても目に映るのは空き地か畑。歩き始めてからというもの、人の姿は一人も見かけていない。風景の印象を一言で述べるならば、寂しい。  ただ、私の意識はその印象に囚われてはいない。  私は車道を横断して、反対側の歩道に行きたかった。  横断歩道か歩道橋でもないだろうか。そう思いながら歩き続けているのだが、歩いても、歩いても、目当てのものは見つからない。  疲れはない。体も、心も。道が続く限り歩き続けられるのではいかと思う。  ただ、道のどこにも、対岸に渡るための設備が用意されていない。これまでのところ、かなりの時間、かなりの距離を歩いてきたのに、見かけていない。  少し前から、横断歩道も歩道橋もない場所を渡ろうか、と私は考え始めている。  思いついても即座に実行に移さず、現在も移していないのは、交通ルールを破る罪悪感が抑止力を発揮しているからではない。  なぜルールを破ってはいけないのか? それは「ルールは破ってはならないものだから」ではなく、「ルールを破ると他人に迷惑をかける」からだ。  たとえば、交通量の多い道を無理矢理渡ろうとすれば、通行する車は急停止したり、クラクションを鳴らしたりするだろう。すなわち、走行する車とその運転手に明らかに迷惑をかけてしまう。  もっとも、車が一台も通っていない車道であれば、そのような事態が起きる心配はない。  私が現在歩いている道路の車道は、一見、後者に思える。  しかし実際は、時折ではあるが車が通っている。  渡ろうとしたときと、「時折」のタイミングが偶然にも重なってしまったら、道を走っている車に迷惑をかけてしまう。  この道路は見通しがいい。左右をよく見て、どちらの方向からも車が走ってきていないことをしっかりと確認して、それから渡れば済む話ではないか。  私の懸念を聞いた者がいたならば、誰もがそう答えるだろう。  なにを隠そう、私自身も最初は、そのやり方で車道を横断しようと考えていた。  しかし、いざ実行しようとしたとたん、猛烈に怖くなった。  どう足掻いても、車に撥ねられそうな気がするのだ。  どちらの方向からも車が来ていないように見えても、車道に入ったとたん、走行中の車が私のすぐ真横まで瞬間移動し、避ける間もなく轢き殺されてしまうような、そんな気がしてならないのだ。  車が瞬間移動するなんて、ありえない。そんな心配は無用だ。荒唐無稽な未来をだらだらと案じるくらいなら、機を見てさっさと渡ってしまった方がいい。  もう一人の私が呆れたようにため息をつく。  その意見に、私は首を縦に振る。  しかし、渡れない。車道に侵入するのが怖い。ひとえに、車に撥ねられることへの恐怖のせいで。  私は本来病的に臆病な人間ではない。交通事故に遭った経験はなく、それ関連のトラウマは皆無だ。  しかし、なぜか渡れない。  荒唐無稽で非現実的だと思うのに、瞬間移動した車に轢かれる未来が現実と化すような気がひしひしとして、目的を叶えるための第一歩をいつまで経っても刻めずにいる。  深呼吸だとか、  車に撥ねられるイメージ映像を脳内から追放するとか、 「瞬間移動した車に轢かれるなんて、天地がひっくり返ってもありえないのだから、案じるだけ時間の無駄だ」と自分に言い聞かせるとか、  歩きながらできることは全てやったが、恐怖は不動だ。勢力を堅固に維持したまま、私の心の中央に居座り続けている。  やはり、横断歩道などを見つけるまで、辛抱強く歩き続けるしかないのだろうか?  横断歩道か歩道橋さえ見つかれば、問題はたちどころに解決する。しかし、歩いても、歩いても、見えるのは道ばかり。車が車道を走り抜ける速度も、頻度も、増加もしなければ減少もしない。せめて車両の通行がもっとゼロに近づけば、踏み出す勇気が湧くかもしれないのだが……。  悶々としているうちに、こんな疑問が忽然と胸に生まれた。  そもそも、歩道を横断する必要はあるのだろうか?  はるか昔からその考えを持っていたので、当たり前のものとして受け入れていたが、よく考えてみろ。この道路の左右に存在するのは、これという特色のない空き地と、作物の植わっていない畑のみ。そんな場所に用がある人間など、いるはずがないではないか。仮にあるのだとしても、空き地と畑はどちらも道の両側にあるのだから、横断せずに用事を済ませてしまえばいい。 「そうか。道を渡る必要はなかったんだ」  横断しなくてもいい。恐怖を抑えつけてまで、無理に渡る必要はない。胸の中で何度もくり返して、百八十度転換した方針に自分を従わせようとした。  しかし、思惑とはうらはらに、気持ちは一向に落ち着いてくれない。自分を納得させようとすればするほど、後ろめたくなる。  交通ルールを破って、車道を横断する。  たったそれだけの問題に、なぜこんなにも悩まなければならないのだろう。  懊悩から解放され、心が楽になる方法はあるのだろうか。  そもそも、なぜ、横断する必要があると感じるのだろう。  本当に横断しなければならないのだとすれば、どうすれば勇気を奮い立たせられるのだろう。 「自分一人の力では、真の意味で自分を納得させるのは難しいだろうね」  突然のしわがれた声に、私ははっとして足を止める。いつの間にか俯きながら歩いていたらしく、視界に映っているのはアスファルトの黒だ。  顔を上げると、目の前に見知らぬ老爺が立っていた。七十過ぎくらいで、灰色のくたびれた作業着を着ている。目鼻立ちはどことなく私に似ている。喜怒哀楽、どの感情にも染まっていないが、表情は穏やかで柔らかい。 「君は他人からのお墨つきが欲しかったんだよ。誰からこう言ってもらいたかったのさ。『いいよ、いいよ。ルールを破っても、いいよ。車道、車が通っていないなら渡ってもいいよ』って」  肩の力が抜けた。ああ渡っていいんだ、と思った。  ありがとうございます。心の中で謝辞を述べ、頭を下げる。老爺の表情は相変わらず柔和だ。  私は車道に向き直る。現在、車は通っていない。右を見て、左を見て、もう一回右を見る。どちらの方向にも、車は影も形もない。 「ああ、やっとだ」  やっとこの車道を横断できる。向かいの歩道まで行ける。私は口角を持ち上がるのを感じながら、まずは右足で車道を踏みしめ、続いて左足をその隣に置いた。  刹那、私のすぐ右側の空間に一台の大型トラックが忽然と出現し、猛然と私にぶつかって天高く撥ね上げた。  薄れゆく視界に映るのは、車道を遠ざかっていく大型トラック、軽やかな足取りで車道を横断する老爺――とこしえの闇。
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