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眩い光に思わず反射的に瞼を閉じた男は、ゆっくりと瞳を開くと手元のハンドルを握り直した。
変わり映えのない曲がりくねった山道を走っていると、どうにも気が緩んでしまう。電灯の少なさからこの車道はとても薄暗く、すぐ脇にあるはずの森には暗闇が広がっている。そのせいもあってか、時折すれ違う車のヘッドライトがやたらと眩しく感じる。
暗闇に溶け込んでいる道路脇の森は、行きに見かけた限りでは急斜面が広がっていたはず。そんなところで事故など起こしてしまえば、まず無事ではいられないだろう。そんな一抹の不安にゾクリと身体を震わせた男は、気を取り直すとハンドル片手に車内を弄った。
(……あ。そういえば、さっきの一本が最後だったか)
そう思い直して手を引っ込めようとすると、カサリと手に触れた目当てのモノ。念の為にと、男はそれを手に取ると中身を確認してみる。どうやら先程空になったと思ったのは勘違いだったようで、そこにはタバコが一本だけ残っていた。
それを確認した男は、今度こそ空になった箱をクシャリと握りつぶすと、最後のタバコを口に咥えた。
「──夜景、綺麗だったね」
助手席に座っている彼女が満足気に微笑んだ姿を見て、男はタバコに火を付けると口を開いた。
「たまにはいいよな、こういうデートも」
人里からそう遠く離れてもいないこの山へと来たのは、峠にある展望台からの夜景を見てみたいと、そう告げた彼女からのリクエストだった。
展望台以外にこれといって何があるわけでもなかったが、ちょっとしたデートスポットであることから、先程からすれ違う車も何台か見かける。最近では心霊スポットとしても名が知られるようになったらしく、もしかしたらその効果もあるのかもしれない。
「山道って、なんだか不気味で怖いよね」
「灯りが少ないから余計だよな。幽霊とか出たりして」
怖がりな彼女のことをからかうようにしてそう告げれば、やはり予想通りの反応を見せる彼女。
「やだ……っ。もう、やめてよそういうこと言うの! 本当に出たらどうするの」
「冗談だって。いるわけないだろ、幽霊なんて」
霊感など全くないというのに、どうやら見えもしない幽霊のことが相当怖いらしい。そんな彼女の反応がなんだか可笑しくて、男は怖がる彼女を見てクスリと声を漏らした。
「……ねぇ。あれって、人じゃない?」
突然投げ掛けられたその言葉に、よくよく目を凝らしてみると確かに前方に人影らしきものが見える。そう認識した数秒後、距離が縮まったことでハッキリとその姿を確認した男は、信じられない思いから驚きに目を見開いた。
「え……、? 何でこんな所に?」
この山は登山道なんてものもなければ車道だって電灯が少なすぎる程で、決して整備が整っている方だとは言えなかった。
勿論、民家が存在するだなんてことは聞いたことがないし、そもそも走っている車だって多くはない。そんな場所に歩いている人がいるだなんて、にわかには信じられないような光景だった。
「──危ないっ!」
そう彼女が叫んだタイミングと、男がブレーキを踏んだタイミングはほぼ同じだった。
突然、行手を阻むようにして立ちはだかった女性を前に、その身の無事を確認した男は安堵の声を漏らした。
「……っ、びびったぁ……」
「やだ……っ、もしかして……幽霊?」
「いやいや、そんなわけないだろ。足生えてるし」
どうやら先程の会話がまだ頭に残っていたようで、助手席に座っている彼女は小さく身体を震わせた。
そんな彼女を横目に吸殻を灰皿へと捨てた男は、僅かに開いていた運転席側の窓をゆっくりと降ろした。
「どうかしましたか?」
「すみません……迷惑でなかったら、車に乗せてくれませんか?」
「……え?」
「途中で降ろされてしまって、困ってるんです」
彼氏と痴話喧嘩でもしたのだろうか。例えそうだとしても、こんな山の中に女性を一人置き去りにするだなんて、その信じられない行為に男は驚いた。
「乗せてあげようよ」
「あ、ああ、そうだな。……あの、どうぞ後ろに乗ってください」
つい先程まで怖がっていたというのに、同乗することを先に許可したのは意外にも彼女の方だった。この状況を考えれば、まあ無理もない。きっと同じ女として、一人置き去りにされたこの女性に同情したのだろう。
礼を告げながら車内に乗り込んだ女性の姿を見て、男は再びハンドルを握るとゆっくりと車を発進させた。
「この近くに住んでるんですか?」
「はい。そう遠くはないです」
「家まで送りましょうか?」
「大丈夫です」
そんな彼女と女性のやり取りに耳を傾けていた男は、バックミラー越しに女性の姿を確認すると声を掛けた。
「本当に大丈夫ですか? 遠慮しなくていいですよ」
荷物らしきものを一切持っていない女性は、おそらく身一つであの場所を彷徨っていたのだろう。きっと、所持金だって持ち合わせていないはずだ。
そんな女性を一人街中で降ろすには、どうにも男の良心が咎める。果たして、その先自宅に辿り着くまでの手段はあるのだろうか。
「人を探してるので、それからでないと帰れないんです」
ミラー越しにそう答えた女性は、随時と顔色が優れないようだった。
一体、どれほどの時間あの場所で彷徨っていたのだろうか。季節はまだ秋口とはいえ、標高の高い山道はとても気温が低く、夜になればその寒さは相当なものだった。
「その探してる人って、貴女をあそこに置いてった人ですか?」
「はい」
あんな山道に女性を置き去りにするような彼氏に、この女性の身を任せていいのかも疑問だ。やはり、自宅まで送り届けた方が無難だろう。
男は内心そう思いながらも、これ以上深く立ち入るのも無粋かと口を噤んだ。
「それにしても、あんな所に置き去りにするなんて酷い彼氏さんですね」
我慢できないとばかりにそう告げた彼女は、眉間に皺を寄せると憤慨した。
真相は定かではないものの、きっと痴話喧嘩の末に置き去りにされたと判断したのだろう。それは男も同じ考えだった。
けれど、女性の口から出た言葉は意外なものだった。
「彼氏ではないです」
「……え、彼氏じゃないんですか? それじゃあ、男友達とか……? デートで来たのに置き去りにするとか、そんな男最低ですね!」
益々怒りを露わにした彼女は、少しだけ声を荒げると頬を膨らませた。
彼女がここまで怒るのも無理はなかった。彼氏だろうとそうでなかろうと、こんな山道に人を置き去りにするなんてろくなもんじゃない。
「友達……でもないです」
「…………え?」
「知らない男の人に攫われて……」
まさかの発言に心底驚愕した男は、驚きに見開かれた瞳でミラー越しの女性を凝視した。
(それって、犯罪じゃないか……っ!)
男の視線を避けるようにして俯いてしまった女性は、それでもゆっくりとした口調で話し続けた。
「やめてって言ったのに、やめてくれなかった……。痛くて、怖くて……』
途端に不穏な空気に包まれた車内は、ゴクリと息を飲む二人の息遣いだけが、ただ、静かに響いた。
『ただ、家に帰りたかった……それだけだったのに……』
固く凍てつくような女性の声を聞きながらも、男はカタカタと震え始めた自分の身体に気が付いた。
霊感など全くないのだから大丈夫だと。そう何度も心の中で言い聞かせながらも、けれど、男はその考えに自信がもてなかった。
ミラー越しにゆっくりと顔を上げた女性は、そんな男の瞳を見つめると、ボトリと目玉を崩れ落とした。
“どうして殺したの”
「っ……うわぁあぁあーー「きゃあぁああーー」!!!」
ドロリと崩れ落ちた顔の女性に抱きつかれ、それに恐怖した男は思わずハンドルを切った──次の瞬間。
大きな衝撃音と共に意識を失った男は、ゆっくりと瞼を開くとその視線を彷徨わせた。
「っ、ゔ……」
全身に走った凄まじい痛みに顔を歪めると、男は助手席にいる彼女に向けて手を伸ばした。名前を呼んで身体を揺すってみても全く起きる気配はなく、頭から血を流してぐったりとしている。
車からはもくもくと煙が立ち込め、このままここに居ては間違いなく危険だ。そう判断した男は、傷だらけの身体でなんとか彼女を背負うと、そのまま急な斜面を登って車道へと出た。
(誰か……っ、誰か来てくれて……)
祈るような気持ちで薄暗い車道を見渡すと、車のヘッドライトらしきものが近付いて来る。男はそれに向けて縋るように手を伸ばすと、行手を阻むようにして立ち塞がった。
けれど、速度を落とすことなくこちらに向かって走って来る車。そのヘッドライトの眩しさに、男は思わず反射的に瞼を閉じた──。
──────
────
「うわ……っ、マジじゃん。今の……見た?」
「うん……、見た。なんか、全身焼けただれたみたいな……っ」
「やべぇ……俺にも見えた。ここ、マジで出るって本当だったんだな」
「なんか、車に乗せてくれって女の霊も出るらしいよ。美人だけど、車に乗せたら顔が崩れ落ちるんだって」
「ゔ……、なんだよそれ……っ。てか、こんなとこで歩いてるやつなんて絶対人じゃねーじゃん」
「ここって二十年以上前はデートスポットだったらしくて、今と違って勘違いする人もいたみたいだよ。今じゃただの心霊スポットだけどね……」
男達はそう騒ぎ立てながら山道を走ると、先程見た悍ましい姿の亡霊に恐怖した。
かつてはデートスポットとして人気のあったこの場所も、今では度胸試しにと訪れる車ばかり。そんな場所でも、年間に訪れる若者の数は決して少なくはなかった。
けれど、そんな車も立ち去ってしまえば、ただ、先の見えない暗闇が広がるばかり。
彷徨える魂は幾度となく出口を探し求めては、明けない暗闇の中を彷徨い続けている。
─完─
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