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 おじさんの苗字は鶴岡で、若い頃はドラマーだった。 「ノットクラウドって名前のバンドで、高校の同級生で結成されたバンドだった。ボーカルが石井、ベースが安田、ギターが佐々木で、俺がドラムだった。楽器の振り分けは、たしかジャンケンだったな。バンドを結成する理由は単純だった。当時、世の中はバンドブームだった。真心ブラザーズとか、ジュンスカとか、レベッカとかが人気で、バンドをやっている奴はカッコいいとみんな信じていた。だから俺たちもバンドをやった。カッコいいやつはモテるだろう? 俺たちは運動もできないし、勉強も得意ではなかった。なら、どうすれば女の子たちにモテるのか。そうだ、楽器が弾ければモテるんじゃないかと。そんな安直な考えだけで音楽を始めた。今でも馬鹿だなって思っている。くだらねえ理由で音楽を始めちゃったなと」  しかし、思いの外バンド活動が楽しくなり、彼らノットクラウドは高校卒業後もバンドを続けた。 「全然モテないから、高校三年の文化祭で終わりにしようとしていたんだ。だが、ボーカルの石井がまだやりたいって言い出してさ。俺も安田も佐々木も、その言葉を待っていたんだろうな。よし、もうちょっとやるかって話になったんだ。高校卒業後は全員就職したけど、運よく土日が空いていたから、みんなそこで練習したりライブに出たりしたんだ。さっき話した仙台のライブハウスもこの時期だったな。あの頃はとにかく曲を作って、みんなでスタジオ籠って練習して、ライブに出まくって歓声を浴びるのが楽しかった。実際、そこそこファンもいたんだぜ。まあ、ほとんど野郎だったけどな」  ところが彼らのバンド活動は突然終わりを迎える。 「石井が死んだんだ。兄ちゃんは知らねえかもしれないが、一九九五年に阪神淡路大震災ってデカイ地震があったんだ。そのとき、石井はちょうど神戸に出張へ行っていた。悲劇としか言いようがねえな。あいつが見つかったのは、地震が起きてから三日後のことだ。瓦礫の下から見つかったらしい」  石井の死によって、バンドは自然消滅した。 「同じ頃にベースを弾いていた安田が結婚して、家庭を築いたんだ。これからは家族を守っていかないといけないって、安田は言っていたな。随分と幸せそうな顔をしていたよ」  それからしばらくの間は、鶴岡さんも真面目に働いていたという。 「俺は高校卒業してからずっとドライバーの仕事をしていたんだ。兄ちゃんと一緒さ。まあ、俺は近距離だったし、運ぶものも食品だったけどな。営業しなきゃいけねえし、疲れるし、色々と大変な仕事だったが、辞める理由もなかったんだ。会社は俺のことを必要としてくれていたし、周りと比べて俺の給料は良かった。だから一生懸命働いたんだ。当時の俺はそれが正しいって信じていたからな」  だが、鶴岡さんにとってそれは正しくなかった。 「あれは二〇〇七年のことだった。ちょうど阪神淡路大震災から十三回忌のタイミングで、石井を除くバンドメンバーが再集結したんだ。それまでは各々石井に手を合わせていたが、久しぶりに集まってもいいんじゃないかって話になった。そこで驚くことを知ったんだ。ギターを弾いていた佐々木はギタリストとして活動していた。そしてサポートメンバーとして武道館で演奏していると。俺はてっきり全員バンドを終えたと同時に楽器を捨てたもんだと思い込んでいた。女の子にモテたいって夢を捨てて、現実に満ちた人生を歩んでいるもんだって本気で信じていたんだ。  だけど違った。佐々木は夢を諦めきれなかったから、バイトしながら夢を追い続けていたんだ。そして夢を掴んだ。実際、ギタリストとして活動していたことがきっかけで女性とも出会い、結婚した。佐々木はきちんと夢を叶えたんだ。そんな事実を知ったとき、俺は愕然とした。そして本気で嫉妬した。同じバンドの奴が夢を叶えている姿を見ていたら、いてもたってもいられなくなった」  鶴岡さんは仕事を辞めた。貯金は溜まっていたから、派遣のバイトをしながら再び夢を追うことにした。 「しかし一人でやるとしたらドラマーは厳しい。それに、俺はなんだか歌いたい気分だった。だから大金叩いてギターを買って、シンガーソングライターとして音楽の道を歩くことにしたんだ。バンドじゃねえけど、俺はまた旅人に戻れたんだ。ドラマーからボーカリスト。まるでフーファイターズのデイヴ・グロールだ。あの人は元々ニルヴァーナのドラマーだったが、今はフーファイターズのボーカルをやっている。まあ、そこまで大物にならなくてもいい。ただ俺は、もう一度楽器に触れながら観客を沸かせたかったんだろうな。欲を言えば、女の子にモテたかった。俺の夢は壮大だ」
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