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 ただ、現実はあまりにも無惨だった。 「実際、運はあったんだ。それに環境もあった。佐々木が上手いこと手を回してくれて、いくつかの事務所が俺のことを気にしてくれた。曲ができたらデモテープ送ってくれって言われたから、俺は一生懸命考えて曲を作って歌った。魂の叫びだった。テクニックはないが、情熱はある。だけど俺を受け入れてくれる事務所はなかった。運もあって佐々木のおかげで環境も用意してもらっている。それなのに、俺は結局プロになれなかった。俺には致命的な欠点があったんだ」  それは、センス。 「俺は絶望的にセンスがなかった。作る曲も、歌声も、スタイルも、何もかもだ。俺はシンガーソングライターとして売れる素質が皆無だった。正直、最初は信じたくなかった。今はダメだが、次は絶対に売れる曲を作れると信じていた。歌だって練習すれば上手くなる。歳はとっているが、それも味として活かせるだろうとポジティブな思考を持ち続けた。だが、それは幻想に過ぎなかった。俺は売れない。音楽の力で女の子にモテない男だった」  現在は二〇二三年。平成も終わり、令和が始まっている。 「だけど、俺は夢を諦めきれずにいる。だから今でもギター持って日本各地の路上でギターを弾いて歌っているんだ。気がつけばあと数年で還暦だってさ。でも、諦めきれないんだ。バンドとして追った夢が潰えて、一度は真面目な社会人として頑張ったさ。それが正しいと信じていたからな。ただ、俺の心のどこかでは音楽が鳴り続けていたんだ。だから俺はギターを持った。旅人になって夢を追い続けたんだ。わずかだけどな、信じているんだ。音楽で飯が食っていけるようになって、女の子にモテるって壮大な夢を。俺は夢が叶うって信じちゃっているんだな、愚かだが、その心は折れないんだ」  気がつけば、十人くらいが鶴岡さんの話を聞いている状態だった。喫煙所で放った彼の夢。それは夜空に散らばる星より綺麗で、儚いものだった。 「あんたは愚かじゃねえぞ。夢を追うってマジで誰にでもできることじゃねえ。あんたは素晴らしいよ」  何の職業がわからないが、汚れたつなぎを着た大型な男が言った。  明らかにヤンキー上がりなおばさんも「自分を信じて生きていけるって、ロックだよ」と褒め称えた。どこから来たのかすら不明な不良少年に関しては泣いていた。「俺もまたプログラマーの夢追おうかなあ」と喋る眼鏡もいた。この中に誰一人として否定的なことを言う人間がいなかったのは、鶴岡さんの情熱を貶せるほど夢と向き合った人がいなかったからかもしれない。 「なんかすまねえな、長々と話して」  それはおそらく僕に向けて言った言葉だった。僕は「ありがとうございます」と言っていた。そしてその声は、奇妙なほどに震えていた。
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