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 黙ってお金を用意するだけだった父が珍しくキレたお金の話がある。  祖母が心筋梗塞で70代前半に急に死んで数年後、父は早々に投げ出し、母が在宅で介護していた祖母より七つ上の祖父が80代半ばで死んだ。結婚して家を出たあとのことなのでよく知らないが、まだいろんなサービスがない時代だったから、とにかく大変だったに違いない。  その祖父の葬儀後、叔父達は言ってはいけないことを言ったのだ。「儲かったやろ」と。  私も耳を疑った。知らないにもほどがある、叔父達は田舎で暮らすことの意味、人間関係についても全く知らなかったのだ。想像すらしたこともないのだと思う。多分、今もなお知らないままでいるはずだ。  父は四十九日に弟達に渡すために祖父の葬儀等の収支報告書をまとめ上げた。既にリタイヤしていたが、例にもれずの農協、県の信用連勤めだった父のそろばんの腕は落ちていなかった。叔父達は大赤字のそれを見て理解したであろうか。見もせず捨てられていなければいいけれど。  参列者も多く、香典袋が多いから儲かる? まさか、である。あの頃の田舎の葬儀は香典袋と引き換えにビール券数枚を返す。中身が数千円であってもである。在所のお手伝いをしてくれた方々にも相応のお礼を包み、食事をとって貰う。親戚には法事後御膳をふるまう。お坊さんへのお礼もかなりの金額であるし、そのほかも出費だらけなのである。  収支報告書には載らない他県からかけつけた叔父達への「足代」。家族4人で出席した叔父達それぞれのために香典の返しのビール券、御膳が四つ、引き出物他、それに足代である。「あなた方が出した香典に収まってなどいないのに、なんてことを言うのだ」と長男の家で育った私達は父を不憫に思ったのだった。
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