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 父は田舎町の山間の農家で長男として生まれ育ち、母と結婚し、私達兄妹と祖父母の三世代同居、そして一人抜け、二人抜けして妻である母を見送り、病院に入るまで同じ場所で過ごした。明治生まれの両親から「長男」として役目を教えられ、果たすべく父はあの家を出ることがなかった。  父には姉と弟が4人いた。弟3人が都会に出た。田舎町での仕事といえば、農業、教師、役場や農協勤め、繊維工場ぐらいなものである。県庁所在地までローカル線で1時間足らずではあったが、1時間に1本しかなく、あの家からでは最寄りの駅まで5、6㎞ある。  唯一戦後生まれだった一番下の弟は7歳だか8歳だかで亡くなったそうだ。原因はわからないままのようで、秋祭りの日に食べたものによるのではないかという話だった。詳しい話を訊かずじまいだったと父を失った今、少し残念にも思う。 「戦争が長引いたら、俺も行ってたかも」  終戦直前、今で言うところの中学生だった父はグライダーに乗る練習をしていたのだとか。 「グライダーって?」 「いや、練習。紙飛行機みたいなもんよ」 「??」  これもまた訊いておけばよかった話の一つである。まさか紙飛行機ではないとは思うが、それぐらいお粗末なものだったということの例えなのだろう。年齢が足らず、練習すらもまだで、小柄だったから行く予定だったというだけだったのかもしれない。
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