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 夏休みでも日曜日でも私達姉妹はどこかに連れて行って貰えることはほとんどなかった。祖父が父の休日をあてにしていて、家族が食べる分と叔父達に送る野菜類を育てる畑仕事の手伝いや、山の下草刈りをするように言われるので日曜も休日ではなかった。  それなのに従兄弟達が海に出かけていき、夕方まで帰ってこないのだ。目の当たりにする私達は羨ましく思っていた。叔母は遠慮のない人で母が炊いたご飯で勝手におにぎりを作り、冷蔵庫を開けおかずをみつくろい、許可なく持っていってしまうのだからビデオの話を私達がよく思わなかったのは仕方ないことだと思う。  3人の弟たちがそれぞれ家を建てた時には100万単位のお祝を祖父の名でしたという話もずいぶん経ってから聞いた。  ビデオカメラ事件と前後して、お金に困らない家に嫁いだはずだった伯母、その夫が病気になり収入がなくなった。家計のことなど我関せずだった伯母が娘を短大にやりたいから貸して欲しいと父に泣きついてきたのだ。でも、その時貸した200万は伯母の長男が数年後に返してくれたそうだ。 「あげたつもりだったし、返ってくると思ってなかったから、びっくりだったわ」  返ってきたのはもう1件あって、やはりそれぐらいの頃だろうか。「(あつし)が事故って車をダメにして、仕事にならんから50万貸してやってくれ」と祖父が父に言っているのを私も聞いた。 「あれも……、あげるしかないかな、と思ってたんだけど、何年かして敦さんが返してくれたのよね。有り難かったわ」
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