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俺は怖い話が嫌いだ。
幽霊を見たとか、何かの呪いにかかっただとか……
とにかく、心霊オカルト話が大嫌いだ。
理由は単に怖いからだ。
俺みたいなビビり野郎は、怖い話をエンタメとして楽しむことが出来ない。
だから、テレビや雑誌の心霊特集は見ないし、肝試しと称して心霊スポットにも行かない。
ヘタレ野郎だとか根性無しだとか、学生の頃は同級生たちに散々馬鹿にされた。
それでも俺は、頑なにオカルトとは距離を置いていた。
チンケなプライドのために怖い思いなんかしたくないからだった。
社会人になった今でも、このこだわりは変わらない。
時に同僚から幽霊を見た話や心霊スポットで怖い目にあった話を聞かされることがあるが、徹底して避けている。
「そういう話は苦手だからやめて下さい。怖いんです」と言って。
真剣に「怖い」ということを伝えると、誰もが半笑いで俺を見た。
馬鹿にされてるんだろうが、構わない。
怖い思いをしないで済むのなら。
さて、そんな平和な日々を送っていたある日、同僚の一人が妙なことを言ってきた。
「お前さ、確か◯◯地区のアパートに住んでたよな」
「そうだけど、どうかしたか?」
「ちょっと妙な噂を聞いたんだけど」
「妙な噂?」
「ああ。最寄駅から住宅街に繋がる道で、たびたび女の幽霊が出るって噂なんだよ」
「は? ゆゆゆゆゆゆゆ幽霊?
やめてくれよ! 俺、そういうの苦手だって言ってるじゃんんんんん!!!!!」
「いや、まあそれは知ってるけどさ。て言うか、ビビり過ぎだろ。
この場で俺から距離を取っても仕方ないだろ」
「だって怖いもん」
「はあ……まあいいや」
「因みに、どんな幽霊かとかって聞いてる?」
「なんか、若い女の幽霊らしいぞ。長い黒髪を振り乱して、恨めしい顔で睨んでくるとか。
あと、血まみれの白いワンピース姿なんだとか」
「へ、へえ……」
「あそこ、何年も前に若い女がストーカーの男に刺し殺される事件があったらしくて。
殺された女の怨念が残ってるんじゃないかって話だ」
「そそそそそうなんだ」
「まあなんだ。お前って幽霊とか苦手だろ。帰り道とか気を付けろよ」
どうやら同僚は親切心で俺に注意を促してくれたらしい。
だが、俺に言わせればよくも要らんことをしてくれたな! という思いでいっぱいだった。
今まで普通に通ってきた道が、一気に恐怖の対象に取って代わられてしまったのだ。
これからの生活に大いに支障が出る。
(引っ越しを検討しないと。真剣に!)
そう心に決めて、俺は仕事に意識を集中させた。
その日は仕事が立て込んでしまい、残業になった。
ギリギリ終電に間に合った俺は、ヘトヘトになりながら最寄駅を出る。
深夜1時に近い住宅地街は、人の気配もなく静まり返っていた。
駅から出てきたのも俺一人だった。
点滅を繰り返す街灯が切ない。
せめて、待ってくれている人が居れば心を強く保てるのだろうが、俺にはそんな相手もいない。
切ない心地を噛み締めて、俺は自宅アパートに向かって歩き始めた。
「…………」
その時、ふと思い出す。
駅から住宅街に繋がるこの道で、女の幽霊が出るらしいという噂話を。
途端に、体から疲労感が消えて緊張感でいっぱいになる。
(あああああ、くそ! これだから聞きたくなかったんだ。あんな話!!)
湿気を帯びた生ぬるい風が神経を逆なでる。
こうなると、さっきまで何とも思っていなかった街灯の点滅さえも恐ろしい何かのように思えてしまう。
(早く通り過ぎよう。帰ったら強いお酒を飲もう。風呂は明日の朝に入ろう。トイレは……どうしよう)
そんなことを考えながら足早に歩く。
10分もすれば自宅アパートに着くはずだ。
俺は、少し息を上げながら家路を急いだ。
「あ……」
そんな中、俺の視界の先に妙な白い影が浮かび上がった。
近所の人だろうか。夜中にコンビニにでも行きたくなって出てきたのだろうか。
それなら俺としては好都合だ。
だが、少しずつこちらに近付いてくるその影を見て、俺は口から心臓が飛び出るんじゃないかってぐらいに驚いた。
「えっ……」
妙な白い影、それは若い女だった。
落ち窪んだ目に虚な表情、風に揺れる長い黒髪、白いワンピース……血まみれの白いワンピース!
同僚から聞いた女の幽霊が、そっくりそのまま俺の目の前に現れたのだ。
(ゆゆゆゆ幽霊だ! ぎゃあああああああああ!!)
声も上げられず俺はその場にへたり込んだ。というか、腰を抜かしてしまった。
女の幽霊はどんどん俺の方に近付いてくる。
逃げたいのに、恐怖で体が動かない。
脚に力が入らず、俺はへたり込みながら気持ちだけ後退りするのがやっとだった。
「あ……あ……」
更に幽霊が近付いてくる。
いよいよ襲われる──そう思った時、俺は女の幽霊が手に何かを持っていることに気付いた。
「うっ……!」
それは人間の生首だった。
なんてことだ、そんな話は聞いてなかった。
強烈な恐怖から、心臓の鼓動が猛烈に高鳴る。
あの女の幽霊は、襲った相手を殺した上に生首を持っていってしまうのか。
俺も、あんな風に……
──ああ、こんなことならもっと美味しいものを食べておけば良かった。
──一度くらいは彼女のいる人生を味わっておけばよかった。
──田舎の母ちゃん、童貞のまま幽霊に襲われて命を落とすような息子でごめん。
そんな思いが頭を過ぎる中、女の幽霊はどんどん俺に近付いてきて……そして、俺の横を通り過ぎていった。
「え?」
幽霊は俺に何もしなかった。
と言うか、存在を認識すらしていないようだった。
(あれ、見逃してもらえたのか?)
女の幽霊は俺の横を通り過ぎていった後、フラフラとした足取りで次の角を曲がっていった。
「…………」
後には生ぬるい風と、血の匂いが辺りに漂うのみだった。
「血の、匂い?」
女の幽霊の姿が視界から消えたことで、俺の心臓は徐々に落ち着きを取り戻してゆく。
その時、指先に何かが付着していることに気付いた。
「これは、血?」
赤黒い血が路上に滴っていた。
ここだけじゃない、あの女の幽霊が通り過ぎていった後に点々と、足跡の代わりのように血痕が落ちていた。
「あれ、これって本物? てことは、もしかして……」
俺はずっとあの女を幽霊だと思い込んでビビり倒していた。
しかし、冷静になった頭はそうではないと俺に伝えていた。
(ささささ殺人事件だああああ! ぎゃあああああああ!!!!!)
先ほどまでとは種類の異なる恐怖心が身体中を駆け巡る。
俺は、腰を抜かした格好のまま携帯端末を手に取り、警察に通報を入れた。
結論から言うと、俺が見た女はやはり幽霊なんかではなかった。
激しい夫婦喧嘩の末に夫を殺し、切り離した生首を持ち歩いて彷徨っていた現実の女だった。
俺の通報を受けて駆けつけてくれた警察官が、その道中で女を確保していた。
その後、騒ぎを聞きつけた近所の住民が集まって、真夜中だというのに随分とやかましい事態になった。
俺も、時事聴取やらなんやらで眠れない夜を過ごした。
──かつては愛し合い夫婦となった間柄なのに、そんな相手を殺してしまうなんて。
眠れない夜の中で、俺は人間に対する怖さと悲しさを深く噛み締めた。
俺、彼女がいないままの人生でも良いかな。
例の事件から1週間ほどが経った。
周辺は、まだ事件に対する噂話でざわざわしている。
俺は、すっかり元の生活に戻っていた。
今日も残業で帰りが遅くなってしまった。
誰もいない自宅に帰るため、暗がりの道をトボトボと歩く。
そんな中、数メートル先に白い影が浮かび上がるのが見えた。
例の事件のことを思い出し、一瞬、心臓が縮こまる。
足がすくんで動かない。
そんな俺に向かって、白い影は容赦なく近づいてくる。
「あ……」
それは、血で赤く染まったワンピースを着た女だった。
長い黒髪を揺らしながら、恨めしい顔で俺を睨みつける。
その時、俺は気付いた。
その女が透けていたことに。
しばらくじっと立ち尽くしていると、やがて女は夜の闇に溶けるようにそっと足元から消えた。
「なんだ、ただの幽霊か」
ほっと息をついて、俺は家路を急ぐのだった。
(終)
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