石人

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 こんな夢を、私は数年見続けてきた。いつも同じ道を辿り、流されるように歩き続ける。普段の生活も、結局はこの夢と同じだった。  今朝、家を出る前までは。  家を出て、バスに乗り、電車に乗り、仕事場へ向かう。バスまではいつもの流れだった。駅のホームで、いつもの時間に到着した電車を眺めていると、足が動かなくなった。いつもの電車は、私をホームに残したまま発車した。  足はいつもとは反対のホームに立ち、反対の方向の電車のドアをくぐった。ガラガラのロングシート中央まで歩みを進め、そこに座った。反対側の座席の端には、老婆が一人座っている。正面の大きな窓から、いつものホームが見えた。次に到着した電車が、また発車した。  しばらくしてから、電車は仕事場とは反対方に発車した。動き始めた瞬間、慣性の法則で身体が揺れる。膝に置いていた手を、身体を支えるためシートに突いた。座席のスプリングが軋む音をたてて反発した。  車窓を流れる風景は見慣れないもので、映画のように只々眺めた。映像は、徐々に人工物と自然物の割合を変えていった。  風景の七割を自然物が占めるようになった時、電車を降りた。そこは海へと向かう駅だった。  無人の改札を出るとロータリーがあり、円の中心には蘇鉄が植っていた。蘇鉄の葉は、形状は駝鳥の羽根のようで、しかし鋭く尖っており、中心から噴き上がるように生えて大きく広がっている。風向きに合わせて、しなやかに揺れた。その根元には、あの、石人に似た石が置き石として据えられていた。  うずくまる人の形が、夢の物と同じに思えた。近寄ってじつくり確認したかったが、車が来そうになくても道路を横切るのは躊躇われて、眺めるだけにとどめた。  これだけ立派なロータリーがあるので、かつてはこの駅も賑わっていたのだろう。今は駅員もおらず、閑散としている。利用者も私一人、客待ちのタクシーすらいない。この淋しさが今の気持ちにしっくり馴染んだ。  石人に手を挙げて出会いだか別れだかの挨拶を終えると、ロータリーを時計回りに旋回し海に向かって歩き始めた。自分の気持ちに合わせて身体が動くのは、夢とは異なる。これはやっぱり現実だ。  車窓から見えた海の方向を見定めて、駅からの道を歩き続けた。進むにつれて、潮の匂いが強くなる。空き地にブイが放置されていたり、海を感じる風景に変わってきた。けれども、まだ海は見えない。  腕時計を確認すると、始業時間を五分過ぎたところだった。仕事場の受付の女性は、欠勤に気が付いているだろうか。気の長い上司は、単なる遅刻として連絡を待っているだろうか。それとも、誰も不在に気が付いていないだろうか。  そんなことを考えながら道なりに歩いていると、鋭角に曲がった道の先の180度に海が広がっていた。視界は、道と堤防と海と空で占められている。無限の広がりだった。  堤防の階段から砂浜に降りると、もう視界は海と空だけになった。足元の海水は透明だが、海岸から水平線に向かって、薄緑から濃緑へ、濃緑から青緑、青緑から紺青に緩やかに色を変えた。  この色には見覚えがある。これは、あの森が川から流れ込み、水に溶けているのだった。頭上にあった色は、今は流体となって足元に寄せて返す。違いは上か下かだけだった。  少し離れた砂浜にはウミネコが十数羽佇み、海面には数十羽程が波に揺られて浮いていた。背中の灰色は海と同化しているが、黄色いクチバシから白い頭と腹が、海の色に馴染まない。海中にぽっかりと浮いている。ここから見ると、無数のチェックマークにも見えた。ミャーミャー、と名前通りの猫に似た声で鳴き交わしている。  これもまた、夢の中の森と似ている、と思った。姿が見えているのか、見えていないのか、だけの違いだ。パンと大きな音を立てて手を叩くと、砂浜にいた数羽が飛び立ち、つられて海面を漂う一団も一斉に飛び去った。  これで良い。これで更に夢をトレースしている、と思った。  海面は太陽に照らされて、キラキラと輝いていた。太陽を反射した鋭い光は目の中に残像として残り、足元の砂浜の上に点々と黒い影を落とした。  夢では無いのに、夢をなぞっている。夢とは違い、自ら行き先に海を選び、自らの意思で歩いてきた。それなのに、結果的には夢と同じになっている。  何とも言えない居心地の悪さに、砂浜を歩く足取りが重くなった。数歩ごとに立ち止まり、靴に入った砂を出す。  砂浜から階段で堤防に上がる。そこから道は真っ直ぐに灯台に向かっていた。  岬の突端に建っている灯台は真っ白で、ウミネコの頭から腹と同じだ。灯台は海を背景にして立ち、まるで海に浮かんでいるようだった。  道の砂色が三分の一、海が三分の一、残りは空色が視界を占めたところで、灯台の入り口に到着した。  そこには、果たして、石人が居た。静かに小さくうずくまっている。ここでの分かれ道は何と何だろう。灯台に登るか引き返す、だろうか。または灯台に登るか海へ——  膝をつくと、石人にしがみついた。  これからも続く、数限りない選択の日々に、身体が石のように重くなった。どちらを選ぼうと、夢でも現実でも、行き着く先は同じなのかも知れない。正しい選択なんて無いのかも知れない。  そう思うと、急に疲れを感じ、その場に座り込んだ。側にうずくまる石人の背にもたれ、背中同士を合わせた。猫背の布越しに感じる、石の冷たさと硬さが心地好い。  段々と身体が重く固まって行く。  背中合わせの石人が動いた気がした。  このまま、ここで、こうして、留まっていたい。何も選ぶ事なく、静かにうずくまり、誰かの選択を眺めていたい。  うずくまった背を、誰かの手が撫でた。背中に感じていた石人の気配が消えている。  ああそうか、今度は私が石人になるのだ。ただ佇み、誰かの選択を眺め、その行き先をただ見守るのだ。  石に変わった身体から、心が空へ向かって飛び立つのを感じた。
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