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神々の噴嚏(ふんてい)
私はある日、住んでいた村で世界を破滅から救おうとしている聖人さんという男性と出会った。これは、不思議な道具を持ち歩きながら滅の口という場所へ向かう彼と、ひょんなことから旅をすることになったフミという名の私のお話。
故郷の村・エークから旅立って1ヶ月、私達2人は王都に向かう為に越えなければならない場所の1つグフトク山脈を目指している。山に入る前に何処かで1泊することにした私達は、ふもとにあるクイー村に向かう事にした。昼過ぎに辿り着いた村は、活気に溢れていた。以前から山向こうへ商売や配送を請け負う人々がこの村で休んでいたようで、小さな村ではあるが何軒かの宿屋や食堂があるようだ。だが現在は村に滞在できる規模を超えた人々が押し寄せているようで、村を囲う柵の外にいくつも馬車やテントがあった。
「なんだかお祭りみたいですね、聖人さん」
私がそう呟くと、聖人さんは辺りを見回した。
「ふむ、だが祭事を行っているような感じではないな。そのような時は、人々は何処か高揚感と微かな緊張感のようなものがあったりするものだ。花や飾り等もないようだし、ここしばらくはこの状態が続いているのではないかな?」
私も辺りをよく見てみると、山越えの用意をしようと村の商店から買い物している商人達や、彼らを相手に軽食を売り歩いている村人達が忙しく動いているが、緊張している感じではない。
「じゃあ、何があったんですかね?」
「さて、何であろうな。しかし、このように野宿の人が多いとなると……」
聖人さんはふと、足を止めて村の端にある小さな教会に目を向けた。聖人さんは無一文でなければならないらしく、教会に泊まったり食料を貰って野宿したりして旅をしている。この村ではあの教会に泊まらせてもらうつもりだ。
「どうしたんですか?」
私が首を傾げていると、聖人さんは少し間を開けてから、再び歩き出した。
「まあ、聞いてみればよいな」
「申し訳ないが、お泊め出来ません。礼拝堂や押し入れまで、おふたりが横になれる場所がございません」
あちこちに毛布や荷物が置かれた礼拝堂で、高齢で体の小さな神父が、長い眉毛の下の小さな目を済まなそうにしながらそう言った。
「えーっ、どうしてですか?」
私は不満な気持ちを隠さなかった。教会は、宿の取れなかった旅人を1晩だけ泊めてくれる数少ない場所で、質素すぎる食事と固い寝床のせいで熱心な信徒か貧しい人しか利用しない。この村にたどり着いてから、貧しそうな人も清貧そうな人も見かけてはいない。
「村に宿が足りて居らぬのです。野宿よりこちらに泊まるほうが良いという方々が入れ替わり立ち代わり来られるのです。夜明けに旅立たれかと思ったら、次の方々が昼前には来られます。早朝に出発できなければ、次の村に夜にはたどり着けませんので」
神父がため息をついた。。
「何か人々が押し寄せる事があったのか?」
「最近、この近くに大きな橋ができたのです。グフトク山脈の入り口付近には急流があるのですが、以前はここより歩いて1日かかる場所にある小さな吊り橋しかなかったのです。ですが、この地を納める領主様が歩いて2刻の場所に石造りの大きな橋をお造りになられました。今までは背負子を担いだり馬1頭だけの行商人ぐらいしか通れなかったのに、4頭立ての大きな馬車で」
聖人さんが質問すると、神父は嬉しくなさそうな声で答えた。
「新しい橋の話は過去何度もあったのですが、この地の言い伝えを信じている私や村長は賛成しませんでしたし、先代の領主様も耳を傾けてくださいました。ですから、村の規模は小さいままなのです。10年ほど前、新しい領主様が新技術の橋を造られる事を決められ、完成は半年ほど前。村人達の要望から客商売を許してはいますが、村長は旅人相手の事業拡大には慎重です。ですから宿が足りてないのです」
神父は私達に頭を下げた。
「私も村長の考えに賛同しています。だからこそ、宿に泊まれず困った旅人を受け入れた以上、聖人様の為とはいえ追い出す訳にもいかないのです」
押し切る事の出来なかった私達は、神父が紹介してくれた村から5刻ほど歩いた場所にある山守の家を目指して歩いていた。神父は私達に数日分の食料と山守への手土産を渡しながらこう言った。
「何卒、小さな橋をお使いいただきますよう、お願い申し上げます。この地では、神々が噴嚏なさいます」
そして、ぎゅっと聖人さんの手を苦しそうに握っていた。私はその時から気になっていた事がある。
「聖人さん、噴嚏って何?」
「噴嚏とは、クシャミのことであるな」
「クシャミ……神様がクシャミするって事?何それ」
私がそう言うと、聖人さんは何かを考えるような表情で顎を撫でた。
「神父殿が仰る言い伝えの事であろうが………私が贄になる事と繋がりがあるのやもしれんな」
「聖人さんと……?」
私はますます疑問を膨らませたが、聖人さんもはっきりと確信している訳ではないようだった。
夕方、川の音が聞こえてくる森の側にある一軒の小さな小屋の前に、私達は立っていた。私が木の扉を叩くと、髭もじゃの厳ついおじさんがヌッと顔をのぞかせた。
「なんだ、小娘。ボロい格好の優男と何しに来た」
おじさんが面倒くさそうに話すと、聖人さんは神父に渡された手土産を差し出した。
「クイー村の神父殿にこちらを訪ねるようにと。1晩の宿をお願いできないだろうか?」
「神父がか……ほら、入れ」
おじさんは、扉を開いて私達を招き入れた。おじさんは1人暮らしのようだが、意外な事に片付いた部屋の隅にベットが1つとは別に数人分の寝具が置かれていた。おじさんは、お土産をテーブルの隅に置くと、寝具を指さした。
「その寝具を使え。来客用だ」
「おじさん、1人暮らしじゃないの?」
私がそう聞くと、おじさんは水瓶からコップ3つに水を注ぎ、テーブルに置いた。おじさんは椅子に座るとテーブルの反対側を指さしたので、私達はそこにある長椅子に座った。
「1人暮らしだが、来客がそこそこある。いや、あっただな。俺は小さな橋を通って次の村へ案内する仕事もしていたからな」
おじさんはコップを持って、水をぐっと飲んだ。
「この地の山守は、代々案内係も受け継ぐ。言い伝えの通りにな」
「言い伝え……神々の噴嚏」
聖人さんがそう呟くと、おじさんは頷いた。
「そうだ、この地でよく起こる……そら」
その時、ガタガタと辺りが揺れだした。テーブルのコップが倒れた後、床に落ちていく。
「あわわわわわあっ」
私は慌てて隣の聖人さんに抱き着くが、聖人さんは慌てずに座ったままだ。おじさんなど、テーブルに零れた水を拭き取り、屈んで床のコップを拾うくらいの余裕がある。
「これが頻繁に起こる。すぐにおさまるけどな。昔はもっと小さかったが、最近、徐々に大きくなってきやがる」
「……ここは緑が深いので、水が豊富なのであろうな」
「おう、よく雨が降る。昔は雨を神の鼻水とか言ってたな。神さんがどえらい鼻風邪になってクシャミをしたら、災害が起こる。それを爺どもは神々の噴嚏っていうのさ」
私が驚いていると、おじさんはニヤリと笑った。
「言い伝えってのはな、意外と理にかなったことや大事な事だったりするんだぜ」
それを聞いた聖人さんは、首を縦に振った。
「うむ。だから新しい事をするには、覚悟がいると聞いたことがある」
「覚悟……」
私が呟いた時、揺れは完全に止まった。
「大きいのは来なかったな。雨も降ってないし、大丈夫だろ。明日、案内する」
「感謝する」
「ありがとうございます」
おじさんにお礼を言った後、私達は寝具の近くで荷物を解いて夕食の用意をすることにした。窓から西日の入る部屋の中、おじさんはストーブに火をつけた。
「うわー!」
次の日、私は口を大きく開けて見上げていた。朝から何時間も山の中を歩いていた私達は、お昼過ぎに大きな急流の川の側にある見上げるくらい大きな岩の側に来ていた。岩の上から対岸の崖まで木の吊り橋がかかっていて、川を渡るには岩をよじ登らなければならないそうだ。
「ほれ、荷物は置いて上ってこい」
岩を器用によじ登ったおじさんは、岩の上から縄梯子の状態を確かめた後に声をかけてきた。
「う、うわわ」
「フミさん頑張れ。もう少し」
私がフラフラと上った後に聖人さんが難なく上り、その後に飛び降りたおじさんが私達の荷物を背負ってササっと上ってきた。
「ヒッ」
岩の高さは2階建ての教会の屋根よりも高く、下を見た私は小さく悲鳴を上げた。
「俺が渡った後についてこい」
そう言って、さっさとおじさんは渡った。怖くなってヘッピリ腰で橋を渡る私のせいで、その後に聖人さんが渡り終えるまで、かなり時間がかかった。その頃には若干日が傾いていて、朝とは違い空が曇っていた。
「これは雨が降るかもしれんな」
おじさんは空を見ながらそう言った。
「どこか休める所があるだろうか?フミさんがフラフラなのだ」
聖人さんは、ヘロヘロで座り込んでいる私の背中をさすりながらそう言った。
「山小屋に向かおう。無理に森を超えるのは危ない」
おじさんがそう言った時、私の顔にポツリと雨が当たった。
おじさんに案内されて山小屋にたどり着いた私は、板の間に上がると夕食の用意をする元気もなく、すぐに寝てしまった。2人には申し訳ない。その頃には、雨が本格的に降り始めていた。
ドーーーーーンッ
大きな音で私は飛び起きた。いつの間にか掛けられていた毛布はずり落ちた。
「なっ、なにっ⁉」
私が慌てていると、聖人さんはポンポンと背中を叩いた。
「山守殿、何があったのであろうか?」
聖人さんがそう聞くと、明かりをつけたおじさんは、窓の外を見ていた。
「だいぶ小降りにはなっているが……何処かが崩れたのかもしれん。だが、まだ暗い。明るくなったら様子を見てくるので、ここで待ってろ」
おじさんは真剣な顔でそう言った。
明るくなってから出かけて行ったおじさんは、しばらくして戻ってきたとき、険しい表情をしていた。
「川が泥水になって、岩や木などがゴロゴロしている。崩れた山の一部が川に流れたみたいだ。大きな橋も流されているかもしれん」
「山守殿、一度クイーに行かれるか?私達はここで待っているので」
聖人さんがそう言うと、おじさんは首を横に振った。
「……いや、お前さん達と次の村へ行く。どうせ助けを求める事になるから、クイーに戻るのは2度手間だ」
おじさんはため息をつきながら、荷物を片付け始めた。
「神々の噴嚏ってのは怖いなぁ。本当に、言い伝えってのは馬鹿にできねえや」
おじさんはそう呟いた。
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