20「血液内科医の苦悩 -1- 」その後

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20「血液内科医の苦悩 -1- 」その後

 サルに嚙まれた(実際は噛まれていない)と大騒ぎしていた浜崎部長に対する手厚い処置も終え、救急外来はひとまず午前の診療を終了する。  沙菜は稀葉や実久とともに食堂へとやってきた。 「あれー。この時間だから空いてると思ったのに、けっこう混んでるね」  実久は食堂を見渡し、三人が座れる席がないか確認する。 「あれあれ? 三野先生ったら、また女子に囲まれてる」  実久が視線を止めたその先には、看護師たちに囲まれて楽しそうにお話をしている三野と森行の姿があった。  どうやら三野が食べていたカップケーキを見て看護師たちがワイワイ騒いでいるらしい。そのカップケーキは沙菜のお手製なのだが……。  彼女たちは三野や森行にパンケーキを食べに行こうと誘っているようだ。 「私も行きたーい!」  稀葉はウキウキしながらその会話に加わり始めてしまう。  彼女の場合、三野と女子たちの交流を妨害する意図があって会話に加わったのか、それとも本気でパンケーキが食べたくて会話に加わったのか、まったく読めない。 「三野先生って、本当におモテになりますよね。それに比べてうちの兄ったら、顔はいいのに性格がああだから……。女の子たちに囲まれてワイワイ食事なんてしたことなさそう。あ、そうだ。……沙菜ちゃん、見てますよ?」 「え?」  三野が慌てて振り返る。  入り口の前には、笑顔で手を振っている実久。それからムッとした表情でこちらを見てる沙菜の姿。  沙菜は三野と視線が合うと、プイとそっぽを向いて食堂から出て行ってしまう。 「え、ちょ、ちょっと!」  三野はガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、大急ぎで沙菜の後を追いかけた。 「さーくーらー君? 沙菜ちゃん」  三野は一向に振り向いてくれない沙菜に向かって明るい調子で声をかける。 「三野先生は本当に、いつも楽しそうですよね。女性といるときは特に」  完全にヤキモチモードに入っている。  これはまずいと察した三野は沙菜の腕をとり、近くの書庫に連れて行く。  中には誰もいなそうである。これ幸いと三野はドアを閉める。  沙菜は素直に書庫の中に入って来てくれたが、俯いたまま彼のほうを見ようとしない。 「佐倉君といる時が一番楽しいよ」 「そう軽々しく言えちゃうところが、信じられません」 「本当だって」 「……」 「いい加減、機嫌直してこっち見てほしいんだけど……」 「……」  さすがに不安になった三野は沙菜の肩に手をかけ、かがんで顔を覗き込む。  そして、息を呑んでしまった。  沙菜の瞳が潤んでいた。その瞳からは今にも涙がこぼれそうだったから。 「ご、ごめん……! 本当に、ただのいち日常会話として彼女たちと話をしてただけだよ。もちろん、職場以外で会ったりしないし、その……」 「違うんです」  三野の見苦しい言い訳を遮って沙菜は大きく首を振る。 「先生が他の女の人と話をしてるだけでこんなに辛くて嫌な気持ちになることを知って、改めて、私はずっと先生に辛い思いをさせているんだとわかりました……。私が狗飼先生と一緒にいるところを見るの、先生はすごく嫌だったろうなって思ったら……すごく、申し訳なくて」  声を震わせながら必死に言葉にする。 「ごめんなさい。私、先生にずっと残酷なことを……」  ようやく沙菜が顔を上げる。 「いいから。もう、いいんだ。きみのほうがずっと辛かったんだから」  三野は首を振り、そして沙菜を抱き寄せる。すぐに沙菜も両腕を三野の背に回し、離れたくないと自らも強く彼を抱きしめた。  そのまま、どちらからともなくごく自然と二人の唇が重なる。 ……あんなに悲しいと思ってた感情が、浄化されていくのだから不思議だ。  それどころか、与えられるキスの行為が巧みすぎて沙菜はなんだか頭がクラクラしてきた。次第に腰に力が入らなくなってきてしまい、三野にすべてを委ねるように身を寄せるしかなくなる。彼が腰に腕を回し支えてくれているので、なんとか立っていられるが……。  これは、確実に沙菜の体がこうなることがわかってキスを仕掛けてきている。 「あ、あの……! 先生、これ以上は……」  息も絶え絶えに沙菜が訴える。 「ん? ああ、そうか。午後、仕事にならなくなると困るよね」  三野は余裕そうな笑みを浮かべて沙菜を見る。沙菜は耳まで赤くし、胸に手を当てて呼吸を整える。 「パンケーキのお店、私以外の人とはいかないでください」   沙菜が拗ねたようにねだると、三野は意外そうに瞬きをして彼女を見つめた。 「……きみは、本当に俺のことが好きなんだな」  彼女の愛情を疑ったりはしていないが、こんなふうに素直に独占欲をむき出しにしてくるほどとは……。もちろん、嬉しい誤算だった。 「好きです……」  沙菜はコクンと頷いて答える。  再び甘い時間が流れそうになる。  しかし――  この後、 実は書庫の奥で本の整理をしていた職員がおり、その男性がものすごく申し訳なさそうに午後の就業が始まる時間だと告げてきたため、慌てて二人は現実に返るのだった。
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