感謝の言葉

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 真由華の日常はこれまでと何一つ変わらず,仕事と家の往復だった。  裕翔が突然いなくなったことで,一方的に裕翔から別れを告げられた真由華に連絡をしてくる者はいなかった。  家族と職場から捜索願が出された警察ですら,裕翔がいなくなったことで真由華に話を聞くために連絡をしてくることはなかった。  唯一,同じ大学だった共通の友達から裕翔が失踪したかも知れないと噂話程度に教えてもらったくらいで,裕翔が真由華のところにいることを疑う者はいなかった。 『どうせあいつのことだ,どっかの女にチョッカイ出してトラブってるか,女の部屋に入り浸ってるだけだろう』  そんな話が簡単に出るほど裕翔の女好きは知れ渡っていて,周りの友人たちは真由華が裕翔と一緒にいたときも真由華は裕翔のセフレの一人だろうと思われていた。  仕事が終わるとどこにも寄らずにまっすぐ帰る真由華を不思議に思う者は職場にはおらず,ほかの社員たちも定時になると定型分の挨拶をしてそそくさと会社を出た。  職場を出て電車に乗り,最寄駅にあるミシンや裁縫道具を売っている趣味のお店で生地や綿花を買って帰るのが日課になっていた。  ここ数週間は毎日のように通っていたため,ポイントカードを作った際の登録情報からお店の店主である年配の女性からも顔と名前を覚えられていた。 「こんにちは。また綿を買いにきました」 「あら? 真由華ちゃん。また綿を買いに? 大きなクッションを作ってるの? それともたくさん作ってるのかしら?」 「実は大きめのクッションを作ってみたけど意外と綿が必要みたいで,どれだけ入れてもいくらでも入っちゃうんですよね」  真由華は恥ずかしそうに微笑んだ。 「そうね。クッションって大きさの割にしっかり詰めると結構な量の綿がはいるのよ。だから生地の端切れや綿以外のものを入れてかさ増ししたりするんだけど,真由華ちゃんは全部天然の高価な綿を詰めてるのね?」 「あ,はい。なんて言うか,混ぜ物のない天然の綿だけを詰めた私だけのクッションにしたくて」  店主は笑顔で綿を手に取るとカウンターの上に並べた。 「こだわって作るのは手作りのクッションのいいところだけど,真由華ちゃんのは市販のものよりも随分と高くついちゃうわね。いまうちの店にあるのはこれで全部だけど,もう少し仕入れておく?」 「お願いします!」
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