【怪談】黒い影

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 国が定期的に発表する「人口動態統計(確定数)」によると,令和四年の交通事故死者数は約三五〇〇人で,1日あたり約十人が亡くなった計算になる。年齢別に見ると七十歳以上の死亡率が約半数となっており,高齢者の交通事故死が年々増えているのがわかるが,実際の死亡率は年齢に関係なく事故後数日経ってから亡くなった人たちの数字を反映させるとさらに数が増える。  そんな日常の一部となっている交通事故によって人が死亡するとき,即死や意識を失ってからの死亡と事後後も意識を残したまま死を感じながら命を絶える場合がある。  これは事故後も意識を保ったまま命を落とす者たちが共通して体験するという話。  自転車の前後に幼い子供を乗せた母親が,住宅街の交差点で信号が変わるのを待っていた。目の前の通りは交通量も少なく,左右を見れば車が来ているか来ていないかが一目瞭然だった。  母親は日々の子育てと家事をこなし,旦那が仕事から帰ってくる間に多くのことを済ませていた。  二十四時間休むことなく家事と育児に追われ,この環境に慣れたつもりが母親自身,疲れが取れずに体力がなくなっていることを自覚できずにいた。  誰もいない交差点で,子供を乗せた自転車がゆっくり倒れてゆくのを母親は力の抜けた体を支えることなく自転車と一緒に倒れながら眺めていた。  熱中症。これが母親の頭をよぎった言葉だったが,目の前で子供たちが道路に投げ出されるのを見て,子供たちを守ろうと無意識に体が道路に飛び出した。  次の瞬間,さっきまで見当たらなかった高齢者が運転する車が勢いよく母親を反対車線に跳ね飛ばし,倒れた自転車を子供ごと踏み潰した。   跳ね飛ばされた母親は道路に叩きつけられると全身が引き裂かれるような痛みのなかで,額に汗を吹き出して歯を食いしばりながら痛みに耐えることしかできなかった。 「子供たちは!? 子供たちはどこ!?」  子供たちの安否を確認しようと折れて向きの変わった両腕と両脚を引き摺り,車に潰された自転車のほうへと体を向けた。  道路に転がる自転車の金属パーツが子供たちの柔らかい肌に刺さり破裂して飛び出した脳が転がり,潰れた頭は人の原型を留めていなかった。  そんな子供たちの姿を見た母親は,悲鳴と絶叫をあげながら道路にひれ伏した。  その時,いくつもの黒い影が電柱や壁の影から静かに現れ,子供たちに近づくと小さな体から金属のパーツを抜き取り,肉塊から小さなモヤのよう塊を引き抜き,横たわる母親に近づいた。  潰れて鉄の塊となった自動車をレッカー移動させ,放心状態の高齢者を警察官が取り調べるなか,無数の黒い影は静かに手脚の曲がった母親と頭のない子供たちの手を引いてそのまま一緒に影の中へと消えていった。
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