妄想のなかの現実

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 子どもの頃からなにも変わらぬ小さなシールの貼られた天井と派手な壁紙を眺めながら朝を迎えた。小さなベッドで腰が痛み,寝返りをうつのも面倒に感じたが,いまにも漏れそうなほど激しい尿意が無理矢理身体を動かした。 「くそ……面倒臭せぇな。便器がここまでこいって言うんだよ……ちっ……それじゃ俺まで要介護じゃねえか……」  もう数え切れないほど見ているシールだらけの天井と女の子が選んだような壁紙も今日で四十年を迎えた。  幼い頃は四十歳は立派な大人で,家族がいて社会に貢献している社会人だと信じていた。  古田祥一朗(ふるたしょうちろう)は四十歳を迎えて,子どもの頃はまさか自分がこんな大人になっいるとは想像すらしていはかった。  家族の大黒柱だった父親は,祥一朗が高校生のときに胃がんで他界した。  胃がんとわかったのは会社の健康診断で,既にステージ4だったことから,なぜ毎年健康診断を受けているのにこれまでみつけられなかったのかと病院や医師を怨み,最後まで誰かを怨んで死んでいった。  祥一朗は高校を卒業すると,近所のスーパーマーケットでアルバイトをはじめ,将来はアーティストになることを夢見て夜は繁華街でギターを片手に路上ライブを繰り返した。  歌がずば抜けて上手いわけでもなく,人を感動させる詩が書けるわけでもないのに祥一朗の自信だけが先走り,自分がメジャーになれないのは周りが自分を理解しないからだと常に見下した。  四十歳を迎えたいまでも生活のためにアルバイトを辞めることもできず,そのくせ路上でライブをしては見向きもせずに目の前を素通りしていく人たちに毒づいた。  アーティストになると言葉ばかりが大きくなり,十代のころからずっと努力もせずに母親を頼って惰性で生きていることを見て見ぬふりをして毎日を過ごしていた。  常に成功している人たちを羨み馬鹿にして毎晩浅い眠り押し潰されそうな気持ちになり,現実に耐えられず生きることを何度も諦めようとしたが,実際に命を絶つ勇気はなかった。  その度に見慣れた天井を眺め,介護が必要な高齢の母親が年金で養ってくれる安心感と日本人の平均寿命を越えた母親がいなくなる不安に押し潰されそうになり,路上に飛び出し酔っ払いが騒ぐ繁華街の片隅で夢中でギターをかき鳴らした。 「何で俺より劣ってるやつが成功して豪勢な生活を送ってて,俺みたいな才能がある人間がアルバイトしなくちゃ生きていけないんだよ。日本政府,間違えてるだろ。なんで俺のアートを誰も理解できないんだよ」  怒りをぶつけるように路上でオリジナルの曲を歌うほど,誰も興味を示さない自分にみすぼらしい気持ちになった。
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