柿の木の男

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 佳世はその墓らしき石を見て怖がり,晴人に帰ろうと言ったが晴人はその石に何かが彫られているのを見て,近づいて読もうとした。 [愛する家族,いつまでも安らかに,そして永遠に,幸せな時間をありがとう……萌香,彩芽,環,すみれ……]  晴人は一瞬息を飲んだが,ゆっくり振り返り笑顔を見せた。 「たぶん,犬か猫のお墓だと思うけど,随分と人間みたいな名前をつける人たちだったんだな」 「ねぇ,怖いからもう行こうよ」 「ああ……そうだな。人様の土地に勝手に入ってお墓なんてもんを見つけちゃったら,なんとなく気持ち悪いもんな……」  佳世は近所にこんな場所があるのを知っていたら,わざわざベランダから見える部屋など借りなかったのにと,気分が悪くなった。 「ねぇ,帰ろう……」  帰宅して夕食を済ませてから二人で一緒に布団に入ったが,夜が深くなるにつれて風が強くなっていった。  深夜になると風がさらに強くなり,ベランダがギィーギィーと不快な音を鳴らしていたが,晴人は気づかずに寝息を立て,横で寝る佳世は布団に深く潜り込んで音が聞こえないように耳を塞いだ。  朝になり朝食を済ませると,晴人はいつもと同じように天気を確かめるためにベランダから空を見た。 「あちゃ〜ベランダに置いてあった物がひっくり返ってるな。あと,ベランダの手すりがなんか曲がってるような気もするし」  カラカラと軽い音を立てて大きな窓が開くと,爽やかな風が部屋に吹き込んできた。 「手すりは気のせいか……。それにしても風が気持ちいいな。佳世,今日は洗濯できそうだよ」 「そう……よかった。最近雨が続いてたから,洗濯物が溜まってたんだよね」  服を着替えて出勤の準備をする晴人の横をすり抜け,佳世もベランダに出て空を見たが,柿の木があるほうを見ないように不自然なほど視線を上にした。  佳世は仕事に行く晴人を玄関で見送ってから部屋の掃除と洗濯を済ませて,午後からのバイトに合わせて化粧をした。  いつも通りの朝を迎え,いつも通りの時間を過ごしてたはずの晴人は職場に現れることなく失踪した。  最初は事故か事件に巻き込まれたのではないかと,警察も積極的に捜索をしてくれたが一週間経ったいまでは晴人一人のために警察が動いているようには感じられなくなっていた。  そして一週間経ったいま,台風が本土を直撃し,佳世は一人でマンションのなかで泣きながら震えていた。
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