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脱走は意外と簡単だった。
というのも、男が決まった時間に出ていく為、その間に自分も小屋の隙間から逃げることが出来たのだ。
いくら数日ぐうたらしていたとはいえ、猫としての本能は衰えていない。
ジャンプ力などを駆使して天井を駆け上がり、壊れた屋根から外へ出ると、ざざ降りの雨が身体を濡らした。
歓喜の雨と思えば、それも悪くないだろう。
男が戻ってくる前に離れてしまおうと、オレは走り抜ける。
男が歩いていった反対方向へ。
ぬかるむ地面に煩わしさを感じたが、気にしている暇など無かった。
これで自分は、食べられずに済む。
いつか、ねこてる坊主にされるのではないかと、怯える必要も無くなった。
だが、これからどうしよう。
ずぶ濡れのままで考える。
そもそも自分は、この森から出ることは出来るのか。
どこを見ても木ばかりで、自分の場所すら把握できない。
ひとまずは歩くことにした。
そうすれば、いつかは森から出られるかもしれない。
彷徨うことには慣れていた。
野良猫の時は、いつも彷徨ってばかりいたのだから。
しかし勝手知ったる町中と、惑わすような暗い森では、何もかもが違う。
そのことに気づいたのは、もう元来た道すら分からなくなり、行先すらも見失った夜中の頃だった。
歩き疲れたオレは、遥か高い空を見上げる。
町であれば見慣れたはずの、小さな星すら見られない。
居座る雲を、オレは八つ当たり気味に睨んでいた。
うんざりするほどの雨なんて、大嫌いだ。
飼い主に捨てられた時も、土砂降りの夜だった。
どんな理由で捨てられたのか。
今となっては分からないが、そんなことはどうでもいい。
ただ捨てないでほしかった。
ダンボールに入れられたオレは、一緒に置いていかれた傘が邪魔するせいで、飼い主を追いかけることも出来なかった。
今は傘が邪魔しているわけでもないのに、帰れずにいる。
そもそもオレは、どこに帰ればいいんだろう?
最初から帰る家なんてないのに、どこを目指して歩いていたのか。
オレは出来るだけ雨の遮る木の下で、身体を丸めた。
もういいや、ここで寝よう。
気持ちが下がったせいか、投げやりになりつつ瞼を閉じる。
どうせ死ぬのなら、このまま誰にも知られず、ひっそり死んでやろう。
そんなことを考えた。
うつらうつらと微睡んでいると、ガサガサと近くで音が聞こえた。
ハッと目を開けると、見慣れてきた姿の男が、間近に迫る。
ギョッとして反射的に後ずさると、身体が木の幹にぶつかった。
なんでコイツが、ここにいるんだ?
まさか、ここまで追って来たのか?
身体が強張り、警戒心を募らせる。
どうやら誰にも知られず、ひっそり死ぬことすら、オレには許されていないらしい。
諦めにも似た感情が沸き起こる。
コイツに食われることが運命であるのなら、もうソレを受け入れるしかないのだろうか。
オレは大人しく、ソイツの行動を待つことにする。
もう逃げるのは疲れてしまった。
ずっと雨は降っているし、地面は基本ドロドロで、森は広すぎて迷いまくる。
むしろ食べられることが決定事項なら、一思いにやってもらいたかったのだ。
そうして数分ほど、オレが身動ぎ一つせずにいると、男が動き出す。
一瞬ビクついてしまったが、男は気にせず手を動かした。
ダンっと音がする。
オレの上を通り過ぎ、中央から逸れた太い木の幹に、ナイフが突き刺さった。
肝が冷える。
覚悟していたとはいえ、実際に目の前に刃物が現れると、恐怖で身が竦んでしまうのだ。
そのせいでカタカタ震えていると、男はもう一本、ナイフを取り出した。
ソレを先ほどと同じように、オレの上を通過させて、先ほどとは反対の方へ突き刺す。
次に男は、その二つ突き刺さったナイフの上に、布を被せた。
それは数日前に男が殺した、死体が身に着けていた服の生地に似ている。
オレは顔を上げた。
男の被せた布が屋根の代わりになり、しつこい雨を凌いでくれている。
それをボンヤリ見ていると、男が小さな皿をオレの前に置き、その上にいつもと同じように魚を置いてくれた。
しばらくオレは、それに手を付けることが出来なかった。
男は、いつもと同じようにオレを見ている。
強制されているようには感じなかった。
ただオレが食うのを待っているだけ。
それに気づくと、オレはようやく飯にありついた。
魚は、いつもよりしょっぱい気がした。
それ以外、なんの味もしなかった。
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