雨降る森の静かな隣人

5/7

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 脱走は意外と簡単だった。  というのも、男が決まった時間に出ていく為、その間に自分も小屋の隙間から逃げることが出来たのだ。  いくら数日ぐうたらしていたとはいえ、猫としての本能は衰えていない。  ジャンプ力などを駆使して天井を駆け上がり、壊れた屋根から外へ出ると、ざざ降りの雨が身体を濡らした。  歓喜の雨と思えば、それも悪くないだろう。  男が戻ってくる前に離れてしまおうと、オレは走り抜ける。  男が歩いていった反対方向へ。  ぬかるむ地面に煩わしさを感じたが、気にしている暇など無かった。  これで自分は、食べられずに済む。  いつか、ねこてる坊主にされるのではないかと、怯える必要も無くなった。  だが、これからどうしよう。  ずぶ濡れのままで考える。  そもそも自分は、この森から出ることは出来るのか。  どこを見ても木ばかりで、自分の場所すら把握できない。  ひとまずは歩くことにした。  そうすれば、いつかは森から出られるかもしれない。  彷徨うことには慣れていた。  野良猫の時は、いつも彷徨ってばかりいたのだから。  しかし勝手知ったる町中と、惑わすような暗い森では、何もかもが違う。  そのことに気づいたのは、もう元来た道すら分からなくなり、行先すらも見失った夜中の頃だった。  歩き疲れたオレは、遥か高い空を見上げる。  町であれば見慣れたはずの、小さな星すら見られない。  居座る雲を、オレは八つ当たり気味に睨んでいた。  うんざりするほどの雨なんて、大嫌いだ。  飼い主に捨てられた時も、土砂降りの夜だった。  どんな理由で捨てられたのか。  今となっては分からないが、そんなことはどうでもいい。  ただ捨てないでほしかった。  ダンボールに入れられたオレは、一緒に置いていかれた傘が邪魔するせいで、飼い主を追いかけることも出来なかった。  今は傘が邪魔しているわけでもないのに、帰れずにいる。  そもそもオレは、どこに帰ればいいんだろう?  最初から帰る家なんてないのに、どこを目指して歩いていたのか。  オレは出来るだけ雨の遮る木の下で、身体を丸めた。  もういいや、ここで寝よう。  気持ちが下がったせいか、投げやりになりつつ瞼を閉じる。  どうせ死ぬのなら、このまま誰にも知られず、ひっそり死んでやろう。  そんなことを考えた。  うつらうつらと微睡んでいると、ガサガサと近くで音が聞こえた。  ハッと目を開けると、見慣れてきた姿の男が、間近に迫る。  ギョッとして反射的に後ずさると、身体が木の幹にぶつかった。  なんでコイツが、ここにいるんだ?  まさか、ここまで追って来たのか?  身体が強張り、警戒心を募らせる。  どうやら誰にも知られず、ひっそり死ぬことすら、オレには許されていないらしい。  諦めにも似た感情が沸き起こる。  コイツに食われることが運命であるのなら、もうソレを受け入れるしかないのだろうか。  オレは大人しく、ソイツの行動を待つことにする。  もう逃げるのは疲れてしまった。  ずっと雨は降っているし、地面は基本ドロドロで、森は広すぎて迷いまくる。  むしろ食べられることが決定事項なら、一思いにやってもらいたかったのだ。  そうして数分ほど、オレが身動ぎ一つせずにいると、男が動き出す。  一瞬ビクついてしまったが、男は気にせず手を動かした。  ダンっと音がする。  オレの上を通り過ぎ、中央から逸れた太い木の幹に、ナイフが突き刺さった。  肝が冷える。  覚悟していたとはいえ、実際に目の前に刃物が現れると、恐怖で身が竦んでしまうのだ。  そのせいでカタカタ震えていると、男はもう一本、ナイフを取り出した。  ソレを先ほどと同じように、オレの上を通過させて、先ほどとは反対の方へ突き刺す。  次に男は、その二つ突き刺さったナイフの上に、布を被せた。  それは数日前に男が殺した、死体が身に着けていた服の生地に似ている。  オレは顔を上げた。  男の被せた布が屋根の代わりになり、しつこい雨を凌いでくれている。  それをボンヤリ見ていると、男が小さな皿をオレの前に置き、その上にいつもと同じように魚を置いてくれた。  しばらくオレは、それに手を付けることが出来なかった。  男は、いつもと同じようにオレを見ている。  強制されているようには感じなかった。  ただオレが食うのを待っているだけ。  それに気づくと、オレはようやく飯にありついた。  魚は、いつもよりしょっぱい気がした。  それ以外、なんの味もしなかった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加