第4話

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 誰もが筐体の液晶画面に夢中になっていたが、近づいてきた満に気付きそっとスペースを開けてくれた。たったそれだけのほんの小さなやさしさに満は感激した。満は反射的に会釈で礼を表す。  みんなが腕を組み顎に手をやり、まるで分析するように液晶画面を見つめている。その先では、奥行のない世界でやたらガタイの良い武士と帽子を目深にかぶった細身の清掃員らしきキャラクターが戦っている。  あ、格ゲーってやつか。  かろうじて知っているコンピューターゲームにほっと胸を撫でおろす。  プレイヤーは選択キャラクターを奥行のない画面内で操作し、相手プレイヤーと一対一で闘う格闘アクションゲームだ。知識としては知っていたが、実際に見るのはこれが初めてだった。  満に背を向けているプレイヤーは残念ながら蛍輔ではなかった。向かいの筐体に座っているプレイヤーの姿は今の立ち位置からは確認できないが、下手に動くと見学の邪魔になるだろう。満はしばらくゲームの行方を見守ることにした。  ゲームは佳境を迎えているらしい、客たちは固唾を飲んで見守っている。  画面両端にあるHPゲージは武士が優勢、清掃員は残り僅か。どうやら満に背を向けているプレイヤーが武士を扱っているらしい。彼がスティックレバーやボタンを素早く操作する度に武士が清掃員に攻撃を繰り広げる。清掃員は構えを崩さず防御に徹していた。キャラクター同士の体格差もあり満には清掃員が圧倒的不利に見えた。  防御が崩れ武士の重たい一撃が入る。清掃員のHPががくんと減る。  あぁ負けてしまう、だがそのとき、武士の追撃を清掃員の蹴りが大きく弾いた。一瞬の空白に誰もが息をのむ。  筐体の向こう側から激しい操作音が響いた瞬間、清掃員から攻撃の嵐が次々と打ち込まれた。客たちはどよめいた。満もその波にのまれ声を上げた。武士はガードが間に合わず清掃員の繰り広げる連撃をまともに受けどんどんHPを減らしていく。  画面が切り変わり清掃員のアニメーションが差し込まれる。目深にかぶった帽子の隙間から三白眼を光らせて、後方に振りかぶった長い足の先にエネルギーが溜まっていく。画面がバトルフィールドに戻ったとき、清掃員は思いっきり溜めた蹴りをお見舞いし武士を画面外に吹き飛ばした。武士はすぐに地面に落下、衝撃で一気にHPが減る。 『K.O.』が表示された途端、割れんばかりの拍手が送られたのだった。  満は拍手を送りながら自分が思わず息を止めていたことに気が付いた。顔も熱い。高揚している。とても良い気分だった。白熱するスポーツの勝敗が決まった瞬間のように、あの清掃員の逆転劇にすっかり魅了されてしまっていた。  負けてしまった武士のプレイヤーは椅子にぐったりと項垂れている、悔しそうではあるが時折笑顔がこぼれているので納得しているのだろう。  筐体を囲んでいた客たちは楽しそうにバトルを振り返りながら「カラス」という言葉を出していく。満はその意味が分からず「カラス?」と思わず声に出してしまった。 「え、あんたカラス知らないの?」  隣にいた中年男性が目を丸くした。満も驚いた、不意打ちに弱いのだ。かっと顔が赤くなる。  「あ、え」「えー……その」と言葉を口の中でもごもご何度もつまらせ、下を向きながら、恥を誤魔化すように邪魔にもなっていない前髪を耳にかける。 「お、俺こういうとこ、あの……初めてで……」  満の小さな声に、周囲の客たちの注目が集まる。満は軽く涙目になった。 「カラスってなんですか……?」  中年男性は満の物言いに一瞬たじろぐが、 「あぁ、初めてであの試合見れたのすごいラッキーだね。『カラス』っていうのは、さっきのダミアン使いのプレーヤーネームだよ」  彼は快く教えてくれた。まず彼らがプレイしていたゲームのタイトルは『ワンデイ・ストラグル』、通称『ワンスト』。  さきほど勝利した清掃員姿のキャラクターの名前は『ダミアン』と言う。『ダミアン使い』という言葉は、一人のキャラクターを必ず使用するプレーヤーを意味する『〇〇使い』という用語から来ている。  そしてプレーヤーネームというのは、ゲームをプレイする上で登録したプレイヤーの名前である。つまり筐体の向こう側には、ダミアン使いでお馴染みのカラスがいるというわけだ。 「ダミアンは細身だからHPと持久力が低くて使い勝手の悪いキャラなんだけど、あのカラスは扱いが上手くてねぇ。今まで全国を転々としてついに渋谷に来たんだ、つい俺たちも囲っちゃうってわけよ」 「そうそう、ワンストだけじゃなくて他の格ゲーのランキングでも全国上位に食い込んでるし。今年から大会にも参加できるだろうからもっと目立つだろうよ」 「た、大会なんてあるんですか……?」  いつの間にか他の客も加わり大会のことや、いかにカラスがすごいプレーヤーかを語るようになっていた。 「あ、ありがとうございます! すごく分かりやすかったです」  戸惑いはいつの間にか消え去り満は笑顔で礼を言う。  そんなにすごい人が筐体の向こう側にいるのかと、少しその姿を拝みたくなった。 「ところで君、その制服って曙高だよね?」  ふいに背後から声をかけられた、振り向けば大学生くらいの青年が満に向かって笑いかけてくる。  嫌な雰囲気だ。今までカラスについて教えてくれた格ゲー好きの客たちとは違う、満の足元から頭の先までを舐めるように観察しているようだった。 「え、と、そうですけど。それが何か?」 「お金持ちの進学校じゃん。よかったら向こうでどう? 俺このゲーム詳しいからさ」  果たして彼はこの輪の中にはじめからいただろうか? 周りの客たちは何も言わないものの、白けた表情で様子を窺っている。 「だだ大丈夫です! 人探してるんで!」  慌ててその場を立ち去ろうとするが、男がぐいっと満の腕をつかんで逃がさない。周囲からも小さなどよめきが上がる。 「えっ、やめ……っ」  恐怖が足元が込み上げ身体が固まってしまう。 「じゃあ一緒に探してあげるよ。いいだろ、少しぐらい」  そのとき、ガタガタッと大きな酷い音が上がった。  誰もが音の方向に目を向けた。筐体の向こう側、にゅっと姿を現したのは背の高い紺色のブレザーを着たカラス――永墓蛍輔だった。 「あっ、ながつっ……えっ、前髪!?」  あの鬱陶しそうな前髪が、後ろへ適当に流され額まで露わになっているではないか。  驚いた満の間の抜けた声に、様子を見守っていた客の何人かが笑うのをぐっと堪える。前髪を指摘された蛍輔はというと、眉間に皺を寄せて心底は呆れた目で満を睨んでいた。  満が彼の名前を呼ぼうとする前に蛍輔はリュックを持って立ち上がり満の元までやってきた。  立ち上がった彼のなんと背の高いことか。思わず見上げると、蛍輔はどこか気まずそうな顔をした。 「すみませんねぇ、この人は俺の連れなんで」  威嚇するような低い声と高所からの圧力。満に声を連れ出そうとした男はたじろぎ、満はすぐに解放された。  彼らを囲っていた客たちに蛍輔は無言で会釈をする。あぁやっぱり律儀な男だ。 「ほら、さっさと行きますよ」  蛍輔に腕を引かれ、満はまた連れていかれる形となった。  今日は鼓動がどきどきと早まることばかりだ。中でも今この瞬間は感じたことのない高鳴りだった。  蛍輔の大きな背中は頼もしく、満には小さな光がきらきら散りばめられているように思えた。
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