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「最悪最低ですよ。あなたは俺の聖域を犯したんです」
「仰々しい言い方だな……いやごめん、失言だった」
「暴露しますか? 脅迫しますか? 借金を返済できない部下の息子は家庭教師を任されたのにサボってゲーセンなんかで現を抜かしていると。父親の人事評価を下げて路頭を彷徨わせますか? 今時流行らないんですよ社員の家族も会社の家族だなんて、媚び売り胡麻すり太鼓持ちの温床と化しているのに」
「サイジョウの悪口言うなよ! おじいちゃんが一生懸命ここまで大きくしたんだぞ!」
「はぁーマザコンで祖父コンですか」
満が一喝したところで蛍輔は反省の色も見せない。ふんとまたそっぽを向いた。腹が立つが仕方がない、満は話を元に戻して進める。
「とにかく永墓くんは、保護者同意書が欲しかったはずだ。もしかすると家庭教師の仕事を嫌々受けたのも、お父さんとの交換条件だったんじゃないか?」
「あんなもの、左手で書いて適当にハンコ押しておけば通りますよ」
「だ、だめだろ犯罪じゃないか。そこまでして出たい大会なのか」
再び沈黙が訪れる。
「…………出たいですが!?」
今までで一番大きな声だった。
「同意書の偽造なんて、永墓くんはそんなことしないと思ってるよ、俺は」
正直、先ほどのサイジョウ食品を蔑む蛍輔の言動には腹が立った。しかし話を打ち切って突き放せない程に満は彼に善性を、あたたかな光を見出してしまっていた。
「態度はそりゃ悪いけど、俺の家庭教師をちゃんとしようとしていたし、それに今日だってなんだかんだ言って正門まで来てくれてた。警備員さんと会話もして」
「だから、それはあなたのためじゃないですよ」
「なぁなぁにせずに自分から動こうとしていたってことだろ。ゲームセンターには行ってしまったけれど、最後には俺を助けてくれた。二人で静かに話せる場所に連れて来てくれた。そうだ、それに永墓くんを追い駆けなかったらきっと渋谷センター街をちゃんと歩くことも、格ゲーについて知ることもなかったと思う」
「世間知らずの箱入り息子が」
「でもなぁー、家庭教師の仕事をサボったことを母さんに伝えないとなぁ。うちの母さん巷ではちょっと話題になるくらいに圧力をかけてくるから、永墓くんのお父さん怒るかもなぁー」
「……あなたは何がしたいんですか」
満は背筋を正し蛍輔を見つめる。こちらを向いてくれなくとも、自分だけはしっかり彼を見て喋りたかった。彼からしてみれば面倒で、ずるい相手だと承知している。
「脅迫」
だから言葉以上の裏はないと証明したかった。
「俺を見捨ててサボったのを秘密にする。交換条件に、永墓くんには短い時間で俺の学力を上げてほしい」
「……嫌だと言ったら?」
「言ったじゃないか、逃げたら探すって。探した上で母さんにバラす」
蛍輔の瞳が曇る前に満は続けた。ここから先は用意していない自分の言葉だ。
「やりたいことがある人からその時間を奪うなんて、奪われる辛さも分かるし俺だってこんなこと言いたくはないよ。あっ、俺読書が趣味で、塾に全部その時間とられてるんだ」
「読書、ね……」
大会を目指している蛍輔からすると足元にも及ばない理由かもしれない。
不思議なことに一瞬蛍輔の瞳が揺らいだ。何かを言いたげな表情に、満の心臓はきゅっと小さく締め付けられる。
「……永墓くんには同意書ぐらいしかメリットないよな。でも、永墓さんが永墓くんを心配しているのも分かるし。これも何かの縁だと思う。本当に週七日間の内の二日間の放課後を二学期が終わるまででいいから! ……火曜日と木曜日が嫌なのか? 曜日変える!?」
言いながら満はもどかしさを感じていた。
どうしてこんなに言葉を尽くしているのに的外れな方向に行くのだろう。喋れば喋るほどに言葉は想いとズレていく。用意したものは綺麗に填まるのにその場で編んだ言葉は形を成さない。
「考えをまとめてから喋ってくれませんかねぇ」
もうすっかり見慣れた蛍輔の呆れた表情が満を焦らせる。
何を伝えればきみの心は動く。どうすれば脅迫の枠を飛び越える。
俺はただ、きみと――
「俺は永墓くんと友だちになりたい!」
言ってしまった。
驚いた蛍輔が満を見る。満も目を丸くして彼を見つめた。蛍輔は言われた意味をじわじわと理解していったのか、青白い肌が目も当てられないほど赤く染まっていく。
満も耳まで真っ赤になった。
友だちになりたいだなんて、そこまで話すつもりなかった!
だが、言葉と満の想いはぴたりときれいに填まったのだ。
二人の間に恥と照れと戸惑いがないまぜになった何とも言えない空気が流れていく。
十秒か一分かとにかく満がたっぷり後悔した後、苦笑とも半笑いともとれない複雑な表情で蛍輔が口を開く。
「い、嫌ですが……?」
「なんで!?」
「俺あなたのこと苦手なんですよ!? 知ってるでしょう……」
苦手、先日言われた嫌いよりはまだマシだろうか。それでも、改めて言われると悲しいものがある。
「カラオケ店に入ってからならまだしも、俺が何したって言うんだよ……。初対面のときからすごい機嫌悪そうだったくせに」
返事はない。よっぽどな理由があるのだろう。
「本当に永墓くんがいいんだ。窟波での勉強の邪魔をするのも心苦しいけど、誰かにこんなにワクワクさせてもらったの初めてなんだ」
「それ家庭教師と関係あります?」
「それだけじゃないっ。さっきのゲーセンでも格好良かったしみんなに褒められているのもすごかった」
「じゃあ俺じゃなくてもいいですね。他にも強い人たくさんいますよ」
「カツアゲから助けてくれたじゃないか!」
「それは……俺ですけど」
「きっと、俺が思っている以上に格ゲーが永墓くんには大切なんだと思う。お、俺だって塾で読書の時間削られて正直参ってるんだ、だからっ」
「じゃあ家庭教師にあてられた時間はゲーセンにいるんであなたは読書しながら見学でもしてたらどうですか」
「だだだダメだっ、俺の成績が上がらないからサボっていたのがバレる!」
満は立ち上がって真っ直ぐに頭を下げた。きっと目の前にいる蛍輔はまた目をぎょっとさせているだろう。
「俺は、きみといたら何か変わっていける気がするんだ。俺は読書の時間が欲しい、きみは数時間犠牲にしてしまうけど、二学期以降は邪魔をしない。だから、俺に永墓くんをください」
頭は上げず満は手をしっかりと差し出した。揃えた指先まで芯の通った力強い手を。床を見つめる目はもうすぐ泣き出しそうで首まで真っ赤にしていた。
音はしない。返事も、足音も。
「……まぁ、勉強見てやるくらいならいいですよ。お友だちにはなりませんが」
満が差し出した手の中指の先を、蛍輔がそっと触れた。
「永墓くん!」顔を上げるともういなかった。
「あっ、いない!」蛍輔はすでにリュックを背負いドアハンドに手をかけていた。
「そうそう、ゲーセンにはもう来ないで下さいね。面倒見切れませんので」
ドアの隙間を通って個室を出て行く蛍輔の手にはしっかり伝票札が。満は慌てて個室を出て追いかけた。
蛍ほどやさしくはないが、決して見失わない小さな光。見たことのない世界へ蛍輔が連れ出してくれる気がする。
「代金は結構です。あなた前回、お釣が出るほど置いて行ったでしょう」
「永墓く……永墓蛍輔、け、蛍輔くん!」
「やめてください」
「蛍輔!」
「リア充おつ」
「蛍輔カラオケ好きなのか?」
「ノーコメント」
「カラスってさ、『エクソシスト』好きなの?」
返事はない。それでも満は嬉しくなって、駅に行くまでの間ずっと話しかけ、蛍輔がキレるまでやめなかった。
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