第7話

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 時はおだやかに流れ、十一月も第四週目――来週の十二月頭には期末テストを迎える。せめてテストの結果を見るまでと蛍輔に頼み、二人の間に結ばれた家庭教師の依頼も残すところあと三週間となった。  冬真っただ中となると日の入りは放課後あっという間に訪れる。一時間もしないうちにすぐに暗くなってしまうのだ。さすがの蛍輔も罪悪感を覚えたのか、 「……まぁ、街灯で明るいからもう少しいてもいいんじゃないですかね」  なんともひねた物言いの提案をする。寒さも身に染みてくるので二人はいつしかホットコーヒーを曜日替わりで奢り合うようになっていた。新しい発見だが蛍輔は猫舌のようだった。 「書き取りも落ち着いて出来ていますし、教師の出題意図も分かるようになってきたでしょう。応用問題も熟せていますからまぁ期末も問題ないでしょうね」  真っ黒だった満のノートはすっかり整い、サブノートまで作る余裕があるほどとなっていた。 「応用問題は蛍輔の教え方が上手いからだろ……家庭教師が終わったら塾だけでやっていけるかな」 「延長は絶対にないとあなたのママに言っておいてください」 「……母さんは俺がちゃんと説得するさ」  そうしてまた駅へと共に帰る。  期末テスト前だと言うのにも落ち着いていられるのは、蛍輔が問題ないと背中を押してくれているからだ。  一学期の期末テスト前はそれこそ寝る間も惜しんで頭に詰め込んでいた。今では日々の復習のおかげで数か月前の問題でも読み解きなおせばすぐに思い出せるようになっていた。  お礼がしたい、満はそう考えるようになっていた。  勉強を見てくれた礼として、少し早いクリスマスプレゼントも兼ねて……そこまで理由を付けないと蛍輔は簡単には受け取らないだろう。  プレゼントはもう買ってある。きっと彼に似合うはずだ。サイズは目視なのでピッタリとはいかないかもしれないが冬にはちょうどいい。  最後の授業が来るときまで、満は大事に部屋に仕舞っている。 「……寒くなって外も暗いので、ゲーセンには来ずにちゃんと家に帰ってください」 「え、気付いてたのか?」 「当たり前ですよ、あなた目立つんですから」  目立つ……だろうか?  袖や靴を見たり振り返って背中を見ようとしたり、歩きながら自身の身なりを確認するが目立つほど派手とは思えない。どこにでもあるありふれた学ランに、真っ赤なカシミヤマフラーを巻いていた。  何が目立つって言うんだと視線に込めて見上げると蛍輔はすっかり呆れている。またブツブツと呪詛を呟いていた。 「危ないからせっかく人が駅まで送っていってやってるってのに、来るなっつってもゲーセンには来るわふらふら本屋に行くわ。はぁーはいはいどうせキモオタの努力なんてリア充には伝わりませんよ。俺をなんだと思ってんですかねぇこの人」 「ご、ごめんつい……。いや、ていうかさ。なんかお前、俺のこと可憐なお嬢さんか何かかと思ってないか? あとなんで本屋行ってるの知ってるのさ」  返事の代わりに舌打ちという名の黙秘。そのまま見上げ続けふいに真実が降りてきた。 「ハッ、まさかついて来てるのか!? 俺が駅から来た道を戻って本屋行くのを見送ってからゲーセンに行って俺に黙って見守られてるのか!?」 「俺につけられてたのを全然気付いてない時点であんたは隙だらけだっつってんですよ!」  それは本当にそう……! だが満は負けたくなかった。 「そそそそれとこれとは話が別じゃないか! だいたい塾がある日はもっと遅い時間を一人で帰ってるしっ、四歳の時じゃあるまいし俺についてくる奴なんていないだろ。ははは、そんなの蛍輔ぐらぐぅえぇッ」  突然背後からマフラーをぐいっと引っ張られ満は後ろへ大きくのけぞった。あまりの勢いに足が浮きあわや背中から地面に倒れそうになる。  受け止めたのは蛍輔の腕だった。  背中側から回された白い手は満の肩をしっかりと抱きとめる。驚きで眼をぱちくりさせ見上げる満を、蛍輔は何故か勝ち誇ったような顔で上から覗き込んでいた。 「隙だらけじゃないですか」 「引っ張ったな蛍輔……!」  なんて男だろう。己が勝利を勝ち取るために武力行使に出るとは。  そのまま二人は睨みあっていたのだが、ふと腕の中のぬくもりや必要以上に近い顔を意識してしまった。  彼らの沈黙は気まずいものに代わり、互いに妙に照れ臭くなって頬が赤くなる。そーっと蛍輔の視線が外れ、満も慌てて顔を背ける。  背けた先は蛍輔の肩口で、満は暴れるように身体を離した。 「……クリスマスじゃなくてよかったな」 「ロマンチックになるところだった……」  まだ十一月でよかった、来月になると代々木公園の入り口はクリスマスイルミネーションでライトアップされるのだ。 「四歳の頃、何かあったんですか」 「大したことじゃないさ……あのCMでちょっと有名になって、知らない人が俺に付いて来ようとしていたらしい」  蛍輔は返事をしなかった。それからまた二人は無言で歩き駅につくと、 「……本屋とか塾は駅近で常識的な人目もありますけど、ゲーセンは無法地帯なので」  ぼそりとだがひどく低い声で警告をし蛍輔は去って行った。  その背が人混みの中に消えた後、満はすぐに顔を真っ赤にして頭を抱えた。  あっぶなかった……!  心臓がバクバクとせわしなく鼓動する。耳まで真っ赤になり蛍輔に抱きとめられたことで頭がいっぱいだった。  本人が目の前にいるときはまだ我慢できた、だがいなくなるとどうだ、すぐにあの腕のぬくもりや今までに見せたことのない勝ち誇った表情が蘇る。  一番初めに抱いた感情は驚きだった。  だってあの蛍輔があんなイタズラをするなんて。鬱陶しい前髪の向こうで少年のような笑みを自分に向けてくれるなんて。  次第に言いようのない安心感、けれどすぐに心臓がうるさくなった。  細身だと思っていたが骨はしっかりと太いのだろう、安定した力強さと肩を抱く大きな掌。抱かれた肩にそっと触れようとし、やめた。まだ蛍輔の指の感触が残っている。  成長してから誰かに抱きしめられることなどなかった。  なんで。  なんであいつは俺なんかに興味を持ってくれるんだろう。  友だちになんてなりたくないとあんなにハッキリと断ったじゃないか。  家庭教師なんて本当はしたくなかったくせに俺が無事に家に帰れるかなんて気にして。 「本屋、誘ったらついてきてくるかな……」  自分が好きなものを隠したがる彼だけど、こちらの好きなものを教えたら、彼は興味を持ってくれるだろうか。  俺の話を聞いて、好きな本を教えてくれるかな。  振り返りスクランブル交差点と向き合う、信号は青に変わったばかりだった。  ゲームセンターは無法地帯だなんて言われた。大丈夫だよ、まだ十八時にもなってないし、少し、ほんの少し蛍輔の顔を見たら帰るから。  足はすでに一歩踏み出している、満は人工的に輝く渋谷の街へ戻っていった。
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